2020年8月10日月曜日

比嘉佐智子(戦争体験伝え手)       ・【戦争・平和インタビュー】「母が失った沖縄戦の記憶を語り継ぐ」

 比嘉佐智子(戦争体験伝え手)       ・【戦争・平和インタビュー】「母が失った沖縄戦の記憶を語り継ぐ」  

75年前沖縄では激しい地上戦が行われ20万人以上が犠牲になりました。

地元住民も戦闘に巻き込まれ県民の4人に1人が命を落としました。

鉄の暴風ともいわれる悲惨な沖縄戦について県内の小学校で紙芝居を使って伝えている人がいます、戦後生まれの比嘉佐智子さん71歳です。

比嘉さんの伝える沖縄戦は母安里要江(としえ)さん99歳の体験です。

3か月もの間戦火の中をさまよい家族11人をなくしました。

戦後要江さんは語り部として全国各地で公演を行ってきましたが、認知症の症状が出始め、去年語り部を引退しました。

母の引退を機に比嘉さんは活動を始めました。

継承の難しさを感じながらも前向きに取り組む比嘉さんに伺いました。


父と母が戦後に結婚して、その時の約束は戦争の話はお互いに話をしないでおこうという約束で結婚したと言っていました。

母の自分の体験については聞いたことはなかったです。

私は県立病院の看護師でした、母が全国を飛び回って語り部をしていたころはちょうど出産して、産休もなかったのですぐ出勤していました。

疲れてごろっと寝てしまっていました。

私からみたら母はすごいと思っていました。

足が痛くても断らない、これは自分に課せられたものだから断ることはしないんだと言っていました。

戦争で生き残ったのは家族で一人なので、戦争の怖さを自分しか伝えることができないんだと言っていました。

避難生活でも一番つらかったのは子供の泣き声だったそうです。

轟の豪で大声を出すとアメリカ兵が攻撃してくるということで怒鳴っていたそうです。

母乳も出ずやせ細ってなく元気もなくなってきて、洞窟の中は臭気(汗、尿、排せつ物など)が漂っていて寝ることも出来なくてひしめき合っていたそうです。

闇の中で娘の和子(9か月)は息を引き取ったそうで、何日も話すことができずに抱いていたそうです。

死臭が漂い始めて岩盤の茂みに横たえて埋めたそうです。

早く死にたいと思っていたそうです。

5歳の宣秀が残っていたので考え直して気持ちを入れ変えたそうですが、どう生きていいかわからなかったそうです。

朝起きてみたら主人も27歳の若さで栄養失調で亡くなったそうです。

宣秀も受けた傷が悪くなっていって主人が亡くなってから49日目に亡くなったそうです。

胸の中に苦しいことをすべて閉じ込めている母がいました。


33回忌になると死者は神様になって昇天するということで、自分がしゃべっていいんじゃないかなということで、区切りをつけようと思って最初TV出演がきっかけとなって体験を語る機会ができてきました。

最初の講演は1981年で、全国働く婦人の集いがあり、ほかのところでも講演して欲しいと要望があったそうです。

母が語り部として活動していた当時はよくわかりませんでした。

自分は伝えるために生かされているということも言っていました。

認知症になった今でもヘリコプターが飛んで行ったら攻撃されるといったり、常に今でも頭の中は戦争があります。

5年前から認知症が始まり、今までどんなことがあっても断らなかったが、突然自分はめまいがするからいけないということがあり(認知症の)症状が始まりました。

手を出したことのない母が私たちをたたこうとしたり、出てゆくと飛び出して車を捕まえて助けてくださいとか、手を付けられない状態でした。

つらいから思い出したくないということもあったと思います。

暗いところが嫌で怖くて寝られないということもありました。


長い年月ずーっと心の中に閉じ込めてきて戦争の凄さを感じます。

40年続けてきた語り部を昨年引退しましたが、もう楽になってほしいと思いました。

語り部を辞めたいとは当人からはなかったです、体調不良だけが自分はできない理由だと思っていたと思います。

2019年5月30日に引退していますが、大阪府の意岐部中学に講演していましたが、「みんな戦争があった過去を知らないといけない、経験した私たちは心の底から恐ろしさが出てくる、この思いを伝えてほしい」といって、最後は締めくくりましたが、認知症でも語れるのだと思いました。

母親からは語り部を継いでほしいということは何回も言われましたが、戦争のことをもっともっと知らなければ語ることはできないと思いました。

母がやってきたこの語り部を私でも少しはできる事があるのかなあと考え始めまして、できる事からという風にしています。

平和学習に昨年初めて立ちました。

紙芝居を使ってやるのはツールとしては紙芝居しかないと思っていて、紙芝居は伝わりやすいと思っています。

沖縄戦のことについて母にもっと聞いておけばよかったと思います。

苦しみとか伝える力は私にはまだまだ足りないと思います。

あの戦争を忘れない、風化させない、二度と戦争をしないで、いつまでも平和でありますようにということだと思います。 より多くの人に伝えていかないと戦争のむごさが判らなくなってしまうと思います。  体験した人が継承していく人が少なくなってきてしまって、できる事からやって行くことだと思います。

平和は願っているだけでは平和にはならないと思うので、平和の担い手としてできることをやってほしい、やることが大切なんだと考えさせられました。

もう先の時間が無くなってきているので、せめて孫にはこういったことがあったということは伝えていきたいと思います。