2020年8月12日水曜日

浜田桂子(絵本作家)           ・【戦争・平和インタビュー】「"対話"から紡ぐ平和」

 浜田桂子(絵本作家)       ・【戦争・平和インタビュー】「"対話"から紡ぐ平和」

浜田さんは昭和22年生まれ、72歳、結婚、出産を経験し、37歳の時に絵本作家としてデビューしました。   ロングセラーとなっている「あやちゃんのうまれたひ」をはじめ、デビュー以来命の大切さをテーマに創作活動を続けています。   そんな浜田さんが作家生命をかけて取り組んだのは平和に関する絵本の制作です。     タイトルは「へいわってどんなこと?」、中国や韓国の作家たちと4年以上の対話を重ねて作りました。  この絵本は日本だけでなく海外でも大きな反響を呼び、先月には香港の出版界である栄誉ある賞を受賞するなどいま改めてこの本が注目されています。   戦後75年、価値観の異なる人との対話が平和につながるという浜田さんに伺いました。

小さい時から絵を描くことが大好きで、両親が喜んでいましたし、本も好きでしたので大きくなったら本に絵を描くということを思っていました。  

10代で私は父と母を病気で亡くしています。   父は中学2年の時にくも膜下出血、母は高校3年の卒業目前に肺がんで亡くなりました。   思春期の時期にかけがえのない人と死別しなければならなかったことで、命なんて願っても祈っても消えるときにはふっと消えてしまうというというような、生きることの不信感のようなものが強かったです。

そうした中でも絵本へのあこがれ、いつか絵本を作りたいという思いは心の支えになっていたと思います。           不信感が180度転換したのが私の出産の体験でした。命のつながりというのを何か形にしたいと思っていました。  それが結果としてデビュー作の「あやちゃんのうまれたひ」になりました。

これまでに27冊の絵本を手掛けてきて、中でも力を入れたのが「へいわってどんなこと?」で戦争はしない、嫌なことは嫌だと意見が言える、悪いことをしてしまったら謝るという言葉と共に優しいタッチで描かれています。

平和を考える心の扉をノックする絵本であったらいいと思っています。

昨年の6月ぐらいから香港では自由が奪われる危機感ということで市民の方が声をあげたり、デモをされたりしていましたが、ぜひ香港でもこの本を出したいというオファーをいただいて、出版し香港から受賞されました。

最初3000部ですぐまた3000部が増刷されました。

読書会も開かれていまして、市民の方たちを励ましているということもうかがっています。


絵本作家としてデビューする前、30歳の時に児童文学の作家の方に誘われて、被爆ということを経験された方との交流の中から衝撃を受けたことがいくつもありました。

被爆者の方たちが生き残ってしまったという罪悪感を持っていらっしゃるんですね。

それと被爆者の方たちに対する差別が厳然としてあるという事実に非常に衝撃を受けました。

被爆者のかたは語ることによって平和を作っているということを目の当たりにしました。

平和の絵本を子どもに読んであげたりしていましたが、下の子供は怖いこんなの、と言ってみようともしてくれなかった、うえの子は昔話を聞いているような反応で、皮膚感覚として伝わっていないと思っていました。

「へいわってどんなこと?」についてはアジアの人と向き合おうと言うことになりました。

最初はできるか不安がありましたが、同じ絵本作家の人たちとは気持ちをかさねられるのではないかと思いました。

試作本を作って意見交換してゆきました。

韓国の作家から痛烈な批判を受けました。  戦争の場面で浜田さんは無意識かもしれないけれど、日本人の特有の被害者の意識がでた表れではないかという指摘で、どういう場面かと言いうと平和って戦争の飛行機が飛んでこないこと、爆弾が落ちてこないこと、家や町が破壊されないことという受け身の文章でした。

二度とあのようなことはしない、二度と他者を苦しめない、だから平和は大事だという意識は大変希薄、まさに意識が現れた文だという指摘でした。  日本では通用するでしょうがアジアでは通用しませんと言われまして、驚いたのと腹が立ちました。

知識と本当に苦しんだ人たちの思いというのはわかっていないということを痛感しました。

唯一の戦争被爆国ということで日本は加害の意識を全部それでそぎ落としてしまった、アジアでなにをおこなったか、朝鮮半島で何をおこなったか、ということを和らげてしまったというんでしょうか、最もポイントとなったことが唯一の被爆国という言葉ということを私は知るんですね、とても複雑な思いをしました。

これ以降の平和感は変わりました、知識で知っていても感覚で捉えうる意識をする、人としての苦しみや悲しみがどういうものであったかということ、思いをはせようということを凄く考えるようになりました。

子供の主体性を考えました。

試作の中で平和って一人ぼっちにしないという場面を作りました、それは阻害する、仲間外れにするというような意味で作ったんですが、浜田さん実はひとりぼっちって凄い大事だよと言われました、一人でものを考えることは素敵なこと、個人としての権利や尊厳がきちっと守られて初めて手をつなぐ、連帯、みんなで一緒ということが力を増してくる、だから一人は大事だよということで私はハッとしました、自分の中にそういう視点は全くなかった。

子供を主体的な位置に置いたら、言葉が全部変わってくる、受け身ではなくてアクティブな言葉、戦争なんてしない、爆弾なんて落とさない、というような言葉にすることができると思って言葉を変えました。

残念ながら今対話ができているとは思えません、対話、言葉が凄く軽視されていて、ある意味表現の自由が脅かされているような、むしろ戦前に近づいているように感じたりします。

平和博物館の課題の展示に関して市民からのクレームが非常に多くなってきて様々な展示を縮小せざるを得なくなったということを学芸員の方から伺いました。

最近は価値観を共有しない、対話を許さない、議論を許さない雰囲気を感じています。

言葉の暴力が容認されてしまってるような社会、これは対話を軽視されているということを痛感します、ヘイトスピーチが横行してナイフのように人を傷つけるわけです。

対話しないと違う側面を知らないわけですから、一方的に信じた悪いイメージから憎しみ、怒りとかが勝手に生まれてしまう。

対話は自分の意見に屈服させるものではなくて、相手を尊重し、違った意見が出てきたときにまず受け止め背景を理解してゆく。

違う意見の中から新しい認識が生まれてきたりするので、対話とはそういうことかも知れません。

同意できない場合には冷静にそれを伝えればいいと思います。


感覚的に多様なものに触れるということも大きいと思います。

その一つに絵本もあると思います、絵本は大切なことをシンプルに伝えていますので、人の価値観に押しつけがましい形ではなく訴えられるのかなあと思います。

戦時中、国は軍国少年少女を育てるために絵本、紙芝居をフル活用しました。

出版社は苦い経験をもとにして戦後出発しています。

自尊心を育むことがとっても大事だと思っています、生まれてきてよかったそう思えることは他者に共感できる力を産むんですね。

子供は感覚が鋭い部分がある、子供の声にじっくり耳を傾けてほしい、子供は社会を構成する仲間であるという視点がもっとあっていいのではないかと思います。

身近なこと、これってなんかおかしいのではないかという違和感を大切にすることも平和につながって行く第一歩のような気がします。

SNSに関してはいろいろありますが、SNSも力になることもいろいろあります。

声を上げると筋力のようなものがついてくるような思いがします、発言することを躊躇しないということも大事なことかと思います。

共感を広げる活動でなにか平和を作っていけたらいいなあと思います。

絵本は武器よりもはるかに安い、喜び、うれしさ、楽しさを生み出すもので、共感を集めてみんなの思いが重なって平和になっていけばいいなあと思っています。