平野 文(声優) ・【時代を創った声】
3歳のころから子役として多くの舞台やドラマで活躍されてきた平野さん、ラジオのディスクジョッキーなどを経てアニメ『うる星やつら』にラムちゃん役で声優としてデビュー、40年近くたちます。
現在は築地の魚河岸のお嫁さんとして生活をしながら声優の仕事を続けている平野さんに伺いました。
声優、ナレーター、ラジオパーソナリティ、エッセイストなど多岐にわたって活躍。
『うる星やつら』は1981年の放送、高橋 留美子さん原作、ラブコメディータッチの話。
ラムちゃん役は声優として初めてです。
最初に受けたオーディションが『うる星やつら』のラムちゃん役でした。
ラジオの深夜放送では2時間を一人で生で行うので、声のリクエストをやっていたら、リスナーの一人がアニメの声をやってみたらというはがきが来て、できるかも言しれないと思って事務所にお願いしてオーディションを受けることになりました。
子役のころにアフレコをしていましたと言ったら、それではすぐに慣れますといわれました。
児童劇団にいたので基礎は厳しくしつけられましたし、大学でも演劇を専攻していたので演技の勉強は沁み込んではいたとは思います。
ラムは現代の妖精だといわれました。
演技をしない自然に行こうと思いました。
センテンスが非常に短い、「ダッチャ」という語尾をイエスという言い方とおんなじだとするんですね。
喜怒哀楽をそういった言い方で表現するようにやっていました。
原作にも投影してもらってうれしかったです。
マイクの立ち位置など技術的なことはDJの時代から教えていただいていたので基本的なことはできていたと思います。
水中の中で話す場面ではペンとか指先を唇のところにあてて前後に動かすんです。
マスクをする場面では紙コップを当てたり手で覆ったりします。
こういったことは舞台ではないことなので吃驚しました。
食べながら泣いてしゃべって、というアニメではありうるストーリーです。
3歳のころピアノを習っていて、いとこがバレエをやっていて見に行ったら譜面など見ないでできるということで自分からバレエをやりたいといったようです。
佐川さんの体操のお兄さんがNHKでやっていて、ミュージカルの舞台でやるので一緒に子役としてはいって、それが舞台に広がっていって、6年生の時にNHKの少年ドラマでデビューしました。(「名探偵カッチン」)
NHKのTVの子供番組などにも出演しました。
叔母がNHKが若者向けのラジオを始めるらしいから受けてみたらといわれて、耳心地いいおしゃべりには憧れていたので、DJのオーディションを17歳の時に受けました。
間違ってもいいから自分の思ってることを自分のことを気楽にしゃべりなさいと間違ったことは後から訂正できるからとディレクターの方から言われて肩の力が抜けました。
コンビでやるものがありましたが、コンビのおしゃべりがたのしかったです。
リスナーの方からのはがきを読むということでもいろいろなことを教えていただいたと思います。
ラジオで鍛えられた1秒以下のスポーツ的な感覚はアニメのなかでも役立ちました。
1987年『アニメ三銃士』のミレディ役をやりました。
妖艶な色っぽい女性の悪女なのでラムちゃんとは対極で「私無理です」と断りましたが、やってくださいということでやることになりました。
絵が動き始めるとその声になるんですよね。
こういうことがあるんだなという初体験のアニメでした。
報道番組、リポーターとしてもやるようになりました。
魚河岸のリポーターをしているときに見合いをして結婚することになります。
平成になったときに34歳となり、所帯を持つのもいいかなあと思って魚河岸の人とのお見合いを頼みました。
会ってみたらニコッと笑って亭主にするならこのタイプという感覚的なものがありました。
そこで教わることは楽しかったし楽でした。
自分でこれをやりたいとお願いしたのは、深夜放送をやってみたい、アニメをやりたい、魚河岸にお嫁に行きたい、その三つぐらいしかないです。
若い人達に対しては今の方はリズム感もいいし、勘もいいので、技術的なことは長けていると思いますが、私の経験上子供のころから何が役に立つかわからないからいろんなものを見ておけとか、ドアを開けたら公人であれと言われたのは必ず守っていて、声は経験値がその表現に声が看破するということがあると思うので、諸先輩の演技のずっしりした中身のすばらしさは実感していたので、演技の基礎はいやっというほど習得しておいていただきたいと思います。
声に限って言えば、地声でやってきたような気がします。