穂村弘(歌人) ・【ほむほむのふむふむ】
短歌の世界では歌会始の選者を務めていた岡井隆さんが先月亡くなられました。(92歳)
我々が短歌を始めたころのトップランナーであこがれの歌人だったのでとてもショックです。
寺山修司や、塚本邦雄と一緒に前衛短歌運動を推進した3人のなかの人おひとりで、最後の人です。
未来という短歌の集団のトップでした。
容貌がかっこよかったです。
歌風はベースになっているのがリアリズムで、斎藤茂吉たちがやっていた現実を一人称で歌うというようなものでしたが、青春期以降塚本邦男たちとの出会いがあったことで、三人称や、虚構にブレンドされて、カオスが岡井さんの中にはあったと思います。
「眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし王子死す」 岡井隆
王子死すというところでドキッとして母との間には緊張感があるなと伝わる感じがあります。
「泣き叫ぶ手紙を読みてのぼり越し屋上は闇はさなきだに闇」? 岡井隆
恋の歌なのかと思います。
「さなきだに」というのはそうでなくてもという意味だともいます。
心の中の風景と目に映っているものが一つになっている迫力のある歌です。
岡井さんは医師でもあったのでもしかすると病院なのかもしれない。
斎藤茂吉も精神科医であったし、森鴎外も医者だったし、明治以降医師、文学者であり物書きという系譜があると思うが、岡井さんはどこかで意識していたのではないかと思います。
「ああ迷う迷えとことん迷い抜けレモンを絞るその時の間も」? 岡井隆
我々は迷いを整理して片をつけたいと思うが、岡井さんはとことん迷い抜けと自分に言い聞かせていて、下の句もユニークでレモンを絞る時も心の中は葛藤が渦巻いているという、岡井さんでも混乱しているのかと思うと勇気付けられるような気がします。
「蒼穹(おほぞら)は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶」 岡井隆
上の句は叙景的に入って、下の句でちょっと見えを切る。
リアリズムの強みは変化を詠えるということです。
若いころの文語的な骨格の正しい感じの歌い方と段々話し言葉に砕けた感じになっていって、それが若者の話ことがと違って80,90代は渋い。
「うら寂しいダイエーでシャツを海風に耐えらえるだけおしゃれな白」? 岡井隆
かっこ悪い安物を買って、逆にかっこよくなるみたいで、なかなかまねはできない。
岡井さんは内容にも幅があるし文体にも幅があります。
後半は夏の歌をテーマ
「ラジオ体操の帰りに喧嘩して喧嘩し終えてまだ八時半」? 伊舎堂仁
小学生の感じです。
今日の終わりまではまだまだ長い、子供の感覚で長い今日が終わってもまだまだ夏休みが長くて、夏休みが終わってもまだまだ人生は長い、人生を時計に例える換算法があるが、子供だとまだ朝で、我々では夜八時半ぐらいで二度と太陽は登らないぐらいの年代に来ていて、これには膨大な時間に包まれている空気感がある。
「自転車の後ろに乗ってこの街の右側だけを知っていた夏」 鈴木晴香
どこにも書いていないが恋の歌です。
自転車を前にこいでいる人がいて、おそらくスカートで自分は横座りをしている。
恋をしてその人の後ろに乗っていたその季節だけの特別な行為なんですね。
「 二〇一七年の夏、人はまだ蜂に蜂蜜を作らせている」 鈴木晴香
2017年以前の死者に向かって説明しているようにもとれるし、何かとても大きな時間を感じる歌です、あるいは人類というようなものとか、我々に進化、運命みたいなものが「まだ蜂に蜂蜜を作らせている」というフレーズから伝わってくるような不思議な魅力のある歌です。
「おすそわえされた水ようかんが差し上げた水ようかんだと気づく猛暑日」?鈴木美紀子
よほどの猛暑日ですね。
水ようかんが妙にリアルです。
「気づく猛暑日」、時間差で気付くところが面白い。
「電気屋のマッサージ器で友達としりとりしているプール日和に」? かみもとさん
若い方で時間の使い方が逆に若さを感じる。
「母さんと思われる人にちゃんづけて呼ばれるバス停遠い遠い夏」? ゆきのさん
何か切ない、実のお母さんはあまり知らずに大きく成った方だと思います。
うっすらした記憶が一つだけあって夏の日にバス停で○○ちゃんと呼ばれて、おそらくその後別れたかなんかで、たった一度の記憶だと思います。
「ゴーグルの反射する日の光から彼氏いるのと聞かれた夏の日」?
まるで「ゴーグルの反射する日の光」から聞かれたかのような、鮮烈な、この鮮烈もやはり若さではないですか。
こんな鮮烈さにはならない、ある年齢以上になると。
リスナーからのもの
「そういえば血管年齢百歳といわれて十年まだ生きている」 はるがすみさん(79歳)
ユーモアと渋とさみたいな感じ、面白いです。
*「・・・」?の短歌は漢字等含め記載が違っている可能性があります。