2019年10月4日金曜日

朝崎郁恵(唄者(うたしゃ))       ・奄美シマ唄をうたい紡ぐ

朝崎郁恵(唄者(うたしゃ))       ・奄美シマ唄をうたい紡ぐ
奄美加計呂麻島出身83歳、様々な楽器やミュージシャンとのコラボレーションによってシマ唄を広げてきました。

母のお腹の中に入っているときから母の歌を聞いていたような気がします。
奄美加計呂麻島で生まれました。
平坦な土地があまりなくて山ばかり多くて、食べものが不足して山を切り開いてさつまいもなどを植え凌ぎました。
1935年生まれなので終戦が9歳でした。
ソテツをデンプンにして母が私たちに食べさせてくれて育てました。
シマ唄を習い始めた記憶はなくて、自然にいつも親が歌っていましたので、自然に体に入ってきました。
そんなわけで何百という歌詞がありますが、全部おぼえています。
父親は三味線を弾いて母は唄って踊りました。
色々なお祝い事があると、父親と一緒にいって5,6歳ごろから唄っていました。
加計呂麻島では有名になりました。
行って唄うとおいしいものがいただけるのでそれが一番うれしかったです。
三味線は女性はやってはいけないという事でしたが、15,6歳ぐらいまでは弾いて唄っていましたが、師匠がやめなさいと言われてそれ以後やっていないです。
今は指が動かなくてできないです。

結婚はは23歳でした、主人は鹿児島の出身で転勤することになり、25歳の時に転勤しました。
最初福岡にいたんですが、唄も唄えなくなりました。(12年間)
主人は公務員でしたが、転勤することは結婚するときには知りませんでした。
福岡にいて、奄美の人に会いたいと寂しい思いをしました。
その後東京に来まして、新聞に奄美物産展があるという記事があり子どもをつれていったらその物産展で私の唄が流れていて奄美の人がいっぱい来ていました。
黒砂糖など奄美のものが並べられていました。
受付の人に流れている唄は私が唄っていると言ったらびっくりしていました。
奄美の人の会があるから来てほしいといわれて、又唄を唄えるようになりました。
12年のブランクは全然ありませんでした。
10年ぐらいして国立劇場で唄うようになり49歳から独演会を行い10年続きました。
奄美の人たちは聞いて故郷を思い出して泣くんです。
年齢を重ねるごとに唄の深さ、唄の持つ力が段々でてきます、60,70になってきて、昔の人が唄っていた唄に近づいてきたと思います。

奄美を離れて50年以上になります。
83歳になっても勉強です。
新しい唄が400年前で薩摩時代で、その前が琉球王朝に時代のもので600年前、それをさかのぼると、平家時代があり、平家落人の唄がいっぱいあります。
60歳を超えてから「海美」というCDを出すことになりました。
もともと奄美の唄は伴奏はなくて、風の音、鳥の音、川の流れる水の音などで歌っていましたが、琉球から三味線がきてそこから三味線で唄うようになりました。
私たちは三味線の時代ですが、「海美」というCDではピアノになっています。
意味が分からないという人もいて、理解してもらえる方法がないかと思っていましたが、ピアノしかないという事でしたが、楽譜がありませんでした。
何とかピアノでCDを出すことになりました。
猿之助さんのエッセーにカーネギーホールで歌舞伎をやったらみんな面白くないので帰って行ってしまった。
創作して持っていったらそれが凄く受けて、日本でも若者が足を運ぶようになった。
という事が書いてあったので、よし「海美」もピアノだと思って実行しました。
古いものは創作しないと古いものは残って行かない、という事で私もそう思いました。
音楽関係の人に評価してもらって本当に良かったと思います。
それがきっかけとなりピアノ以外になんでも合います、ギターとかいろんな楽器と合います。

シマ唄とアイヌの音楽とのコラボレーションをしました。
アイヌの安藤梅子さんがおられて(今は亡くなってしまった)、奄美の神唄祭りがあり、二人の出会いのきっかけでした。
是非一緒にやりましょうという事になりコラボレーションにこぎつけました。
何となく似ています、アイヌの方も楽譜が無いんですね。
自由自在に楽しむという事を感じました、又生活を唄にしているのでともに生活の匂いがします。
「海美アイヌ」 CD 先月発売されました。
奄美のシマ唄映画が出されることになり、ナレーター役をやります。
奄美の島の歴史、唄に登場する人物の生きてきた人生を映画にしていて、それとその生活、そこに歌を入れていきます。
薩摩の時代に焼却されているので資料がなく、唄にして残して有るので唄を聞いて歴史がある程度判ります。
ですから貴重な歌です。
唄から学ぶ奄美の歴史を語っていきたいです。
後輩たちに伝えてゆく事もしたいです。
奄美への恩返しのために、無料コンサートをシリーズでやっていこうとしていくつかの島で終わって11月には徳之島でやる事にしています。