2019年10月17日木曜日

紙ふうせん(フォークデュオ)         ・紙ふうせんで45周年

紙ふうせん(フォークデュオ)         ・紙ふうせんで45周年
「紙ふうせん」は後藤悦治郎さんと平山泰代さんの夫婦のフォークグループです。
二人は5人のフォークグループ「赤い鳥」のメンバーでした。
「赤い鳥」はヤマハライトミュージックコンテストで「翼をください」で、総合グランプリを受賞して、1970年にプロになりました。
活動期間は5年、1974年に解散しました。
メンバーだった後藤さんと平山さんの二人でその後「紙ふうせん」として再びスタートして45年が経ちました。
「紙ふうせん」はその後「冬が来る前に」で大ヒット、今もライブ活動などを中心に活躍されています。

二人でレコードになった曲、地方の公共団体の町のイメージソング、会社の社歌、校歌などを作っていて、300曲ぐらいですかね。
私(平山泰代)は20曲ぐらいです。
日常ではハモったりはしませんが、お互いの受けごたえはやっています。
「赤い鳥」1965年に誕生しました。
「翼をください」が有名です。
「紙ふうせん」になって45年になりました。
「赤い鳥」は兵庫県の尼崎市に小さな町があり1967年から平山とディユエットで歌いだして、コンサートを2年間やっていたら、いろんなバンドが参加してその中からピックアップしてできました。
公衆電話の赤い色が目に飛び込んできて「赤い鳥」という名前にしました。
伏線としては鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』のことが頭にはありました。
当時としては女性2人、男性3人という様な混成グループは日本にはありませんでした。
平山はクラシックをやっていたので強い声が出るので芯にはなりました。
女性二人が頑張ってくれました。

全国ツアー、ラジオ番組など忙しくて曲を作る時間が無くなり、ゆったりしたスケジュールでやろうという呼びかけをしていました。
5年後に解散する事になりました。
フォークソングにこだわりましたし、渋めのステージングをずーっとやりました。
区切りの年なので10月と12月にコンサートをやります。
平山:声は大事なのでまずは風邪を引かないように健康管理をしたり大きな声を出さないようにしています。
高校2年生の時にマドンナだった平山泰代を見に行こうと数人で行きました。
3年になったときに同じクラスになりましたが、付き合いはなったです。
平山は音楽専門の大学に行って、私は京都の大学に行きました。
或るときに大学のバンドのコンサートに呼びこんで、フォークソングの世界に引き込みたかった。

平山:13枚の便せんの手紙をもらって、招待券が入っていまして出かけて行きました。
ギターの音が聞こえ、「悲惨な戦争」の歌が聞こえてきてこんな素敵な歌があるのかと、カルチャーショックを受けて私も歌ってみたいという気持ちになりました。
1967年から二人でデュエットをするようになりました。
クラシックではマイクは使わないのでマイクワークが大変でした。
後藤:「赤い鳥」はヤマハライトミュージックコンテストで「翼をください」で、総合グランプリを受賞しました。
作曲家の村井邦彦さんからプロに成らないかとの勧誘がり1970年にプロになりました。
グランプリの副賞としてヨーロッパ旅行があり、村井さんがわざわざロンドンまで来て説得にきて、5人で目をつぶってプロに成るなら手を挙げるという事で決まりました。
演劇がやりたくて演出家になりたいとは思っていました。
平山:大学に残ってピアノを教えることをやっていましたが、結局この道を進むことになりました。

後藤:1975,6年で「冬が来る前に」を舞台で歌っていたが、録音テープを持って東京の録音会社に商いに行きました。
その中のソニーが行こうという事になりました。
改めてレコーディングすることになりました。
この曲はブラジルの北部のサンバのリズムを取り入れた曲にしました。
22歳の時に平山泰代さんに木に登って返事しないと降りないと言ってプロポーズしました。
閉園までいましたが、返事をもらえませんでした。
平山:当時将来のことが全然わからないのに結婚なんて言う段階ではないと思ってイエス、ノーは言わないことにしました。
6年後にOKの返事をしました。
後藤:「やっちゃん、これからの人生すべて割り勘でいけへんか」と言いました。
精神的にも金銭的にも二人5分5分でお互いよりかかることなくやっていこうと思いました。
平山:母からは「これからの女性は仕事を持って生きてゆく時代だよ」、という事は小さいころから言われていました。
「5分5分」という事はすごく気に入りました。
後藤:声が続かなくなっても日本人が持っている歌をもっともっと追及したいと思っています。
万葉集などもきっと節をつけていたと思いますので、歌として受け止めています。
こういったことを若い人に伝えるつなぎ役をしていきたいと思っています。
平山:歌い続けたいと思います。
オリジナルの曲を作ってみたいと思っています。