曽根原久司(農村社会づくりNPO代表) ・耕作放棄地をよみがえらせる
57歳、大学を卒業した後経営コンサルタントとして主に金融機関を対象に経営相談にあたってきました。
しかしバブル崩壊、経済がガタガタになると直感した曽根原さんは東京を離れ、山梨県北杜市に移り住みました。
農地を借りて野菜作りからスタート、その後都市と農村の交流を行いながら地域を活性化させようとNPO法人を設立しました。
このNPO法人で曽根原さんが力を入れてきたのが、高齢化や過疎化で耕作の担い手がいなくなった耕作放棄地を復活させる取り組みでした。
曽根原さんはどのように問題を取り組んで来たのか、そこにかけた意味合いを伺いました。
東京を離れて24年になりました。
山梨では耕作放棄地の開墾活動をやってきました。
企業の皆さんとその農地を活用するというプロジェクトを多くやっています。
大学時代は経済系の学校でしたが音楽浸けになっていました。
就職はしないで音楽をやりながらフリーターをやっていましたが、作曲、編曲、イベントなどもやったりしているうちに、経営コンサルタントの道を選びました。
最初は経営コンサルタントの企画会社に5年間就職して、その後独立しました。
銀行の経営コンサルタントの仕事が増えてきました。
当時経済バブルでその後バブル崩壊しました。
社会では表面化しないころ、不良債権問題がちらほら発生し始めたころから予兆を感じました。
日本の右肩上がりの経済成長はこれで収れんしたという直感がありました。
日本の右肩上がりの経済成長とは違った視点での働き方、暮らし方が必要だと思ってリサーチしました。
農村にある資源に着目しました。
日本の森林率は先進国中2,3位というデータがあったり、耕作放棄地の面積は数十万ヘクタールになったりしていて、東京都と大阪府の面積を足した面積に匹敵するという事も知りました。
自分自身が試してやってみようと思って移住地が山梨県となりました。
山梨県は日本の耕作放棄地が第2位でした。
高齢化のために農地が耕されなくなってしまった農地が沢山あります。
10,20年放棄されると木が生えてきたジャングルのようになってしまっている。
まず家を建てて、地元を観察して回りましたら、1/3が耕作放棄地になっていました。
荒れた耕作放棄地を借りて一人で復活させる活動を始めました。
木を伐採して、木の株を伐根する作業などをしました。
2ヘクタールを開墾して野菜や米を作る事から出発しました。
地域との関係が重要で、水田を行うためには共有の用水路の管理が必要です。
「組」に入ることを検討して、組長さんに相談に行ったら、新しく移住してくる人が増え始めたが、その人たちとの人間関係がうまくいっていなかったりしていて、逆に何とかならないかと相談を受けました。
移住者だけの組を新設して、既存のところに組み入れられないかという事を考えました。
新しい組が誕生しました。
新しい組も一緒に用水路の管理をするなどして関係性ができました。
移住後5,6年してから、隣町の役場の職員と知り合って、限界集落エリアがあり耕作放棄率が半分以上になっていて、集落が消滅する可能性があるので何とか力になってほしいという相談があり、新たに始まりました。
開墾ボランティア制度を考えてボランティアを集めました。
メディアにも取り上げられて、500人以上のボランティアの人たちが集まりました。
平均年齢が26,7歳で、若干女性が多く、東京、神奈川、埼玉、千葉のエリアから来た人が全体の8割でした。
就職飢餓期でもあり、社会から否定されるような思いもあり、自分探しというものが流行りました。
そんな若者たちが沢山訪れてきました。
空き家、空き施設が結構あったので、開墾に来てくれるのならただで泊まれます、開墾後は温泉に浸かってリフレッシュして帰れます、という事で開墾ボランティアを進めました。
参加者も私同様にはまっていました。
数年で4ヘクタール(野球場の4倍分ぐらい)を開墾しました。
開墾ではお金にはならないので、復活した農地を企業とのタイアップによって新たな経済を作れないか、考えました。
お菓子の会社の或る役員の人と話をして、社員が送り込まれてきて、復活した農地でその企業で使う農産物の栽培を始めました。
大豆を使った和菓子が開発されて大豆が利用されました。
その後さまざまな企業との連携が始まりました。
2008年に東京の大手不動産会社と提携し、耕作放棄地を開墾し、社員が農産物の栽培を経験、収穫して、新しい商品を開発する作業が始まっていきました。
ストレス解消、達成感も私と同様にどの企業の皆さんんも同じ感想を持ってもらいました。
様々な米の栽培、トウモロコシ、大豆などを栽培しました。
棚田エリアで酒米を作り、2社の酒蔵で純米酒、純米焼酎などを作り、好評です。
その後森林資源を活用するプロジェクトもやっています。
間伐材問題、間伐した材料が切りっぱなしになっていて、企業とタイアップして活用していこうとプロジェクトも進めています。
間伐材を使った一般住宅を建てて販売する。(国産材が80% 通常は10%ぐらい)
日本の農村、都会にはそれぞれニーズや課題があると思います。
農村の課題は過疎高齢化、担い手の減少など、都会の課題はストレス、メンタルなものなど、両者を助け掛けすることによってウインウインの関係が生まれてくると思っています。
24年間活動を行ってきたが、地域には素晴らしい資源があったという事を再認識されている事と思います。
人材育成が大切なんだという事を思っていて、起業家の育成(農村起業家)を課題として考えていて、広めていきたい。
10年前ぐらいから始めていまして教えた生徒は1000人ぐらいにはなり、その中で起業した人は200、300人ぐらいになりました。
日本の耕作放棄地、森林、空き家などを何らかの事業に成立したならば10兆円ぐらいになると思って活動しています。