2019年10月1日火曜日

森下洋子(バレリーナ)          ・【母を語る】

森下洋子(バレリーナ)          ・【母を語る】
1948年昭和23年広島生まれ、3歳からバレエを習い始め、小学校6年で両親を説得して単身上京、バレエ団に入り、高校卒業まで両立を続けます。
森下さんのバレエに向ける情熱を知って、お母様はあの子はバレエにあげた子と言って、金銭的な援助以外は一切口を出さず快く東京へ送り出してくれました。
森下さんは1971年松山バレエ団に所属、この年に芸術選奨新人賞受賞、1974年第12回ヴァルナ国際バレエコンクールで日本人として初めて金賞を受賞、1985年にはルドルフ・ヌレエフと共演した『ジゼル』の演技にローレンス・オリヴィエ賞を日本人で初受賞しました。
2002年より日本芸術院会員、松山バレエ団団長、現役として今も舞台に立ち続ける森下さんに伺いました。

7時半ごろには起きて、身体を温めてあちこちの筋肉を伸ばしたりして、レッスンを9時半過ぎから始めて、夕方6時前には終わりますが、団員たちはもっと長くやっています。
温めるのは足をお風呂に漬けて温めてからストレッチを始めます。
くるみ割り人形、人間の一人の少女が大人になってゆく過程にどういうものが必要か夢の中でという、すごく見ていて夢があってよかったのではないかと思います。
身体が弱くて、医師が運動させないといけないという事で、3歳でバレエをやる事になりました。
出合った時に続けたいと思ったのを覚えています。
両親はバレエとは何にも関係ありませんでした。
兄弟は6つ下の妹がいます。
バレエをやる事によって体は丈夫になりました。
4歳ぐらいで映画館の舞台で踊った覚えがあります。
小学校1年生の時に親指姫を踊った記憶があります。
バレエは好きで夢中になってやっていました。
友達はピアノ、習字などやっていて私も習いましたが、辞めてしまって、結局バレエだけ残りました。

東京でお稽古したいという思いがあって、小学校2年生から春休み、夏休みなどに東京に行ってレッスンを受けました。
広島から東京までは20時間以上かかりました。
最初母と一緒でしたが、途中からは一人で行くようになりました。
受け入れ先の人が電報で無事着いたことを知らせてもらいました。
親としては電報が着くまでは眠れなかったと後からいっていました。
電車賃、レッスン代などは大分かかったと思います。
母親は料理が得意だったのでキッチン森下の店を始めて、ステーキ、ハンバーグなどをやっていました。(小学校3年生の時)
おやつなどは何でも手作りで作ってくれました。(アイスクリーム、ケーキ、和菓子など)
洋裁は普通にやる感じでした。
ステーキはおいしいと評判になりました。
祖母が岩国からきて私たち姉妹の面倒を見てくれて、叔母が店の手伝いをしてくれるようになりました。

住んでいたところが広島なので母は被爆しましたし、祖母は左半身全部被爆して、手などもひどかったが元気で、気持ちも明るかったです。
こんな体になってしまったという様な愚痴は一切言いませんでした。
祖母は前向きな考えで私たちに接していたので、その影響は受けていると思います。
バレエにこんなにのめりこむとは思わなかったと母は言っていました。
小学校6年生の時に一生の仕事としてやりたいのでやらせてほしいといいました。
お金は出すけれども口は出さないと両親から言われました。
そういわれるとこっちもしっかりしなければと思いました。
時には母親が来ましたが、私の周りの人が私に世話をしてくれていたので、そちらの方たちに気を配っていたので、母が来たからといってべったりという事はありませんでした。
主要な舞台には広島から観に来てくれましたが、「よかったよ」と言ってくれるだけでした。
身体だけは気を付けるようにとだけは常に言っていました。
小学校2年生で東京に通わせたりしたのは、親としては本当に勇気のいることだったと思います。

高校までは勉強とバレエを両立させてやってきました。
外国へのバレエ留学はなくて3か月ぐらい行ったことはありますが、留学はありませんでした。
オファーはありましたが、外国に行かなければできないというものではないと思っていたので行こうとは思いませんでした。
25,6歳の時に1年間在外研修はありましたが、それはずーっと後の事でした。
結婚することになる清水哲太郎さんから「何のためにバレエを踊っているのか」と問われて、バレエが好きだからやっているというのではないんじゃないかなと思って、どうなのかと考えたら、クラシックバレエは人々の幸せのためにあるんだという事を改めて考えさせられたのかもしれない。
日本人なんだから日本で日本の皆さんにこんなにすばらしい芸術があるんですよ、心が豊かになってもらいたいという思いがあることをお届けしたいと思っています。
11月からくるみ割り人形が始まります。
12歳のクララがどうやって人間として立派に育って行くかという事は変わりはないが、やっていくともっとこうしたらいい、ああしたらいいという思いが凄く深くなってきて行きますね。