2019年10月29日火曜日

友永詔三(造形作家)           ・型にはまらず自由な発想で

友永詔三(造形作家)           ・型にはまらず自由な発想で
昭和54年から3年間NHKで放送された人形劇「プリンプリン物語」の人形制作者です。
放送回数は全部で656回、その間およそ500体のキャラクターを生み出しました。
その後は木の彫刻を中心に国内外で企画展を開くなど精力的に作品を発表、現在は東京都あきる野市で江戸時代の民家を改築して美術館兼アトリエで創作活動を続けています。
造形作家として友永さんが大切にしている言葉が「型にはまらず自由な発想で作品をつくる」です。
74歳の今もその言葉を胸に作品と向き合う友永さんに伺いました。

オーストラリアに24歳の時に行きましたが、ピータースクリベンという演出家から「型にはまらず自由な発想で作品をつくる」という事を言われました。
まだほとんど仕事などしていない時期でした。
子どもの頃四万十川の上流で育ったので、子どもの頃魚は歩いたりしないのかなと思いました。
そういうのを大人になって実際に形にしているわけです。
マレーシアから仏像を頼まれて作りましたが、「仏師の作る型ではなくていい、親とか友達とか大切に思う人をイメージして作ってくれ」と言われました。
頼んできたのは駒澤大学に留学していた僧侶ですが、帰ってから改めて来てくれて阿弥陀如来をつくってほしいといわれました。
額のところに玉眼をつけますが、故郷の水晶を弟から送ってもらって削って付けましたが、透明ではなく白っぽいのでそれが良かったと思います。
自分が生まれたところは物を作る原点みたいなものがあるので、それを入れたいと思いました。
行ったところとつながっていればいいなあという思いもありました。

人形劇プリンプリン物語の人形、プリンセスプリンプリンは可愛く作るのに苦労して作りました。
主人公の少女プリンプリンが、まだ見ぬ故郷を探し求めて仲間たちと旅をする、ミュージカル仕立ての物語です。
悪役の人形もいろいろ考えて作り、衣装などもインドに行って調達したりしました。
インドの物語が下地になっているものですが、展開の中にはそういったものはないです。
プリンプリンのまつげは特徴的でホロホロチョウの鳥の羽でやっています。
髪の毛も金糸の刺繍糸を使っています。
基本的には木肌の色をそのまま使っています。
人形によって木の種類をいろいろ変えています。
見えないところまで気を使いました。
思い出のある人形としてはルチ将軍、プリンプリンの次に視聴者から人気がありました。
動物とか魚をいれて500体以上になりました。
主な人物では同じ人物でも複数つくりました。

台本を読んで自分でイメージして、ディレクターの人と相談して作りました。
国によってある形を基本にして形、色などを変えて作りました。
男性のキャラクターがピアスをしたり、髪の毛の色もいろいろな色を使いました。
当時はそんなことはほとんどなかったが、人形の世界ではできると思いました。
投書では、外国人が作っているんだろうという内容が結構ありました。
当初半年といわれて、別の国にいったら別の人に代わるという事でした。
ルチ将軍の人気が出たことと操り人形、棒使い人形、グローブの人形などいろいろ作れたので続けることになりました。
34歳の時の仕事でした。
発端はあるディレクターから電話があり、来年からプリンプリン物語が始まるが、期日までに絵を描いてほしいといわれて絵を届けました。
変わったものを求めていたんだと思います。
関節の部分に木を使った球体関節人形で動けるような人形にしてそれを僕が初めてTV用にやりました。

特別器用ではないが、モノをつくるのは好きでした。
遊び道具も全部自分たちで作って遊んでいました。
工業高校に進みました。
芝居を見たくて東京の精密機械メーカーに勤めました。
2年間勤めましたが、別のことをやりたいという事でインテリアのデザイン学校に行きました。
卒業後東宝系の舞台装置を作る会社に就職しました。
オーストラリアで人形劇映画をつくるという事でそのキャラクターデザインを募集しているという事を友人からもらって、どうせ受からないと思って絵を送ったら、演出家から会いたいという事になり会いに行きました。
台本を渡されて登場人物のキャラクターを書いてきてほしいといわれて、絵も描きましたが絵だけではわからないと思って、紙粘土で顔をつくって持っていきました。
東京で1年近く作っていましたが、それが人形を作るきっかけでした。
そのころに「型にはまらず自由な発想で作品をつくるように」と言われました。

デザイン学校で講師をやっていた時に、アメリカから帰国した講師がある会合に同席してそのひとから画廊を紹介していただき連れて行ってもらいました。
展覧会をやらしていただくことになり、人形劇をやっている演出家と一緒に仕事をするようになり映画、舞台の仕事をやるようになりました。
NHKの演出家がそれを見てくれて、人形劇プリンプリン物語につながっていくわけです。
普通はどこかの先生に付いたりアカデミックな教育を受けて学校の教授に言われるとおりにやらないと卒業できないが、僕の場合は師匠もいませんでした。
僕は人との出会いだけで仕事をしてきたようなものです。
与えられた仕事は一生懸命やってきました、ほとんど初めての仕事ばかりです。
11月16日から青梅市立美術館で展示会があります、テーマは「アートの地産地消」です。
一体だけですが。