2018年8月31日金曜日

白井聡(政治学者)保阪正康(評論家)   ・対談「平成最後の夏に」~前編~

白井聡(政治学者)保阪正康(評論家)   ・対談「平成最後の夏に」~前編~
来年天皇陛下が退位され、平成が終わります。
残すところ8か月、今日と明日の二日間、その平成という時代を振り返ります。
対談するのは京都精華大学専任講師の政治学者白井聡さん、ノンフィクション作家で評論家の保阪正康さんです。
白井さんがこの春出版した「国体論 菊と星条旗」は、明治維新から現在に至るまでの日本の政治状況を国体という概念から、読み解き注目を集めました。
昭和14年生まれの保坂さんに対して、昭和52年生まれの白井さん、世代の異なる二人が平成はどんな時代だったのか、そしてポスト平成時代はどんな日本になるかを語りあいます。

白井:来年天皇陛下が退位され、平成が終わりますが、30年ぐらいがいったいどんな時代だったのかを語るにいい機会だと思います。
明治維新から150年の節目になり、近代の日本の歴史が何だったのか考えるいい機会ではないかと思います。
保阪:明治150年を分析する方法が色々あると思うが、軍事が中心の77年と、非軍事の73年が有ると思うが、アメリカを軸とした150年が有ると思う。
「起承転結」と見ると 明治が「起」で、大正が「承」で、昭和が「転」(クライマックス)で、平成が「結」と思うが。
白井:明治から150年ということで、途中で折り返し点が有ると思っていて、それが1945年8月15日であるわけですが、挫折が有ったわけで再出発の時点でもあった訳です。
戦前の77年間に関しては明快なイメージが有る、封建社会だった日本を急速に近代国家を建設してやっていった時代が明治としてあって、大正時代は大正デモクラシーといわれ自由主義化、民主主義化が幾分進んだ。
しかし、民主主義的な国家となると思いきや、昭和のファシズム時代を迎えてしまう。
戦後はどうなんだろうと思うと、1868年から1945年までで77年間、1945年から2018年までで73年となるが、戦後の時代を上手く区分を持ってこられるのか。
戦後はのっぺりした連続性で取られてしまいがちである。

保阪:日本人のある種の歴史観、現実と向き合う姿勢のあいまいさを全部含んでいる。
戦後という言葉自体が一つの元号と化すような形で使われている所に、明治大正昭和平成と私達はいうけれども、その戦後という意味づけして使う元号の骨格、国体というのが白井さんが言うところのアメリカだと思う。
白井さんの本を読んだ時に、戦後というのを元号として考えるとよくわかる本だと思いました。
白井:元号とは国内的にしか意味がない訳で、国内では戦後がずーっと続いているような感じがするが、世界の秩序はどうかと言うと冷戦構造が始まるぞいうところだった。
1990年前後に冷戦構造が崩壊してEUが出来、中国の国力が強くなってきてアジアの秩序も大きく変わろうとしている。
日本だけは戦後という時空を生きている。

保阪:冷戦が終わると言うのは戦争が終わったということで、戦争の概念が我々が言うのと冷戦というのと、我々が考えている戦争の概念は近代日本の概念で世界的に通用するものではないということも判りました。
のんびり続いているところに、緊張感の無さの連続性のもっている背景になにがあるかという所を突きつめてゆくと、答えがいいか悪いかは別にしてアメリカなんだよね。
その着眼点は凄く大事だと思います。
1945年戦争が終わって1952年4月28日まで、占領国の中心の国家でアメリカンデモクラシーというのが日本の国の一つの軸になっていた。
アメリカの占領下の中に組み込まれることによって安全、日常生活の保障があって、それは歴然たる事実です。
我々が学生の時に日米安保条約の時など、アメリカ帝国主義とかを実態を何一つ知らないでアメリカ帝国主義を論じている。
昭和21年から昭和27年まで札幌で過ごしたが、食べ物も無くノートも無い時に助けてくれたのアメリカなんですね。
父がアメリカ兵から道を尋ねられ教えてあげたら、僕たち子供にチョコレートを一杯くれたが、父はそれを取り上げて川に投げ捨てました。(鮮烈だった)
GHQが列車からチョコレートなどを投げてくれたり、長靴を送ってくれたり、給食はある、アメリカの恩義が一方であり、複雑なアメリカ観になっている。
頭ではアメリカ帝国主義と言いながら、実際はアメリカに対してかなりシンパシーを持っている。
アメリカは日本にとってどういう国と言われたら判らなかった。

白井:アイデンティティーをどうしたらいいのか躓き、それが今でも尾を引いているのではないか?
保阪:突きつめて行くと親アメリカなんですね。
白井:日本が元気だった頃、バブル経済の頃、日本の経済成長は永久に続くのではないかと感じがした時代を子供の頃の記憶として覚えています。
平成になり万年不況の時代となりおかしいと思ったが、段々見えてきたものがある。
とどのつまりは属国であるということは、ほとんどの日本人は意識していなくなったと思う。
所が冷戦構造が崩壊し、日本がアメリカに従属している姿勢は変わらない。
露骨な形で従属が見えてきた。(政治的な事)
沖縄においては残酷な形態をとってあらわれ、沖縄の人は爆発する。
経済レベルで見ると多国籍資本の横暴が、益々露骨に強くなって行く事態が進行したわけで、日本がどう対応対応してきたのかというと、グローバリゼーションに騙され続けてきたというか、本質を何にも考えないままに社会の内実をすかすかに荒廃させてしまったのが平成時代だと思う。
グローバリゼーションはアメリカ発のものであって、戦後日本の対米従属はただごとならぬ事だと思う。
政治力、軍事力の面で従属している。
魂の次元、価値観に入りこんでいるような、極めて異様な姿になっているというのが、最近強く感じるようになりました。

保阪:3つのキーワードで語る発想を直ぐします。昭和天皇、戦争、国民。
昭和天皇が神格化した天皇と人間天皇。
国民が臣民と市民
戦争が軍事と非軍事
これを組み合わせると昭和が語れる。
平成は天皇と政治と災害だと思う。
天皇は昭和天皇の戦争の精算を行うものと、象徴天皇。
政治は人と制度、55年体制の崩壊(平成5年頃)、平成の政治はそこから始まる。
小選挙区制が政治を日本の社会の根本を変えてきているのではないか、平成の政治に対しては可成り問題だと思う。
災害は天災と人災が有る。
阪神大震災、東日本大震災、熊本地震などが有る。
一方で東京電力の原発の問題もあった。
災害というものの影響が平成時代はまだ十分に現れてなくて、これから出てくるだろうと言う感じを持っています。
関東大震災の時には二つ兆候があって一つは虚無感が社会全体に広がってゆく、大正末期から昭和の初めにかけて都市文化の退廃化、昭和に入っての自殺ブーム、虚無感の延長だと思う。
平成の災害もそういうことが有るのではないか。
原発は人災である。(天災に摺りかえるような分離が出て来る所に何か誤魔化しが有るのではないかと思う。)

白井:平成がどういう時に始まったのかというと、1989年に代替わりが起きているが、ここが大きな転換点だったと思います。
東西対立の構造が終わった。
アメリカにとって日本はアジアで一番大事なパートナーであるということで、庇護しないといけないということで日本は凄く受益をしてきた。
基礎構造が崩れてしまった。
91年にはバブル経済が崩壊してゆく、右肩上がりの構造が崩れる。
日本人のナショナルアイデンティティーの核心は経済成長だと思う。(経済大国化)
90年当たりは曲がり角として凄く大きいと思う。
たまたまそういう時に昭和天皇が亡くなる。
失われた10年失われた20年ということになり、平成時代は丸ごと失われた時代だったという結論にならざるを得ない。
平成時代には虚無観みたいなものが漂っている。
戦後の日本のアメリカの属国性という事、それがソ連が崩壊して属国であることの合理性がなくなったにもかかわらず、むしろ益々属国になっているということが、社会全般を腐敗させている、虚無的にさせていることが有るのではないか。

保阪:こういったことの議論が世代を越えて広がってもいいと思う。
我々の時代は反米という意識を政治化していて、デモをしたりして反米の意志表示をしたが、我々の魂の価値観、精神構造の中に入りこんでこのことに気付くと言うことは、単に反米などというよりも遥かに越える深刻な問題が有ると思う。
我々古い世代がそれを言うと政治化する。
白井:或る意味アメリカナイゼーションして行くそれが正義なんだと言うふうに、覚悟を決めたのならアメリカンデモクラシーを真剣に追求して、全面的、社会的変革に行くかというとそうではない。
アメリカナイズされているようで、実は上手いことやり過ごしている、という奇妙なことをやっている。
こういうあり方は戦前の天皇制の延長線上にあるんだ、ということに仮説を立てるにいたった。
国体論、戦前の天皇中心の体制、敗戦で国体は日本の民主主義の限界を隠すものだった。
ファシズムの温床であるということで解体されたということになっているが、国体の存在感は無くなったが、僕が提示している仮説は国体は二度にわたって形成され、一回安定してそして崩壊にはいってしまう、ということを二度くり返しているという仮説を立ててる訳です。
明治の天皇中心の国作りで一等国へと躍進をする、大正で安定して、その後破滅へと向かってしまう。
戦後もアメリカを頂点に置いていると考えれば、アメリカの子分になることによって見事に復興して経済大国にまでなる。
ジャパン イズ NO1ということでアメリカ何するものぞ、ということで安定期になる。
平成時代に入って或る意味国体の崩壊期に入っていく、というビジョンを出しているが、歴史的存在としての自己を自覚してほしい、私たちはいったい今どこに立っているんだろうか、何を見ているんだろうかということです。

保阪:僕は78歳で講師として大学生と接して、昭和50年代生まれ、平成の人達と近現代史を語ってきたが、社会の中で歴史はどうやって咀嚼され、人はその歴史をどういうふうによすがとして、自己を確立してゆくのかという話で、生きた学問をする。
学生に昭和9年と思って天皇機関説に類する憲法の話をすると学生にいう訳ですが、
そういう授業は案外おもしろがります。
白井:どうしたら忘れずにいられるかというと、或る種何度も何度も思いだす作業が必要で、今起きている現実を過去に起こったことと二重写しにして重ね合わせて見て行くというある種の思考習慣が必要。
アメリカが細かいことを日本に指図してきているのかというと判らないが、アメリカの意志を日本で上手く演出できる人たちが、日本の中で上手い事実権を握っていると思う。。