2018年8月24日金曜日

田村セツコ(イラストレーター)      ・【人生のみちしるべ】あなたにハッピーを!(1)

田村セツコ(イラストレーター) ・【人生のみちしるべ】あなたにハッピーを!(1)
東京生まれ、80歳、現在も第一線で活躍するイラストレーターで、エッセイストです。
1950年代に可愛い少女のイラストで雑誌界にデビュー、60年代は少女雑誌、「リボン」や「なかよし」の人気イラストレーターに、70年代にはキャラクターグッズが人気を博します。
鉛筆やノート、レターセット、小物いれや、エプロン、食器まで田村さんの描く可愛くロマンチックな女の子の絵が描かれ少女たちの心を掴みました。
田村さんは独身で一人暮らしです。
ここ数年は自分のライフスタイルやファッションを語る本を次々に出版、今年出版した「孤独を楽しむ本 100の私の方法」は若い世代から田村さんの同世代まで多くの女性たちの心を掴み人気を呼んでいます。

子供のころから好みが変わらなくて、白のブラウスと黒のベストに、スカートは色々変えてますが、パターンは似ています。
1950年代に少女雑誌でデビュー。
ファッションとしては大きなリボンと縞々ソックスに黒い靴は、私のイメージの女の子のパターンです。
そうすると気分が落ち着く感じです。
表情はなるべく明るいお茶目な感じの女の子の表情が好きです。
初めに普通の鉛筆で下書きをして、仕上げの輪郭は色鉛筆のこげ茶色、色は水彩絵の具で仕あげています。
イラストについ一言囁きの言葉を入れて、その延長線上に絵以外でも書くオファーが増えました。

昭和13年生まれ、父は警視庁の警官で母は専業主婦でした。
小学校で4回転校しました。(栃木に疎開もしました。)
栃木では農家の家で飼っているいる食事とそっくりなオーガニックなものを食べて育ちまましたが、ガリガリでしたが元気で育ちました。
弟をいつもおんぶして遊んだりしていました。
隣りの子と会話が出来るようになると転校することになり、心もとない時期でした。
日記を書くようになりました。
空白の部分に絵を描いたりしました。
綺麗な衣装などを見ても絵を描いたりして、人のものを欲しがるということはなかったです。
日記帳が親友になりました。
ラジオで聞いたりしたら登場人物を想像して書くのは習慣的に書いていました。

高校時代にはテニス部と美術部に入りました。
或る少女雑誌に「あなたの好きな先生にお便りを出しましょう」というページがあって先生方の住所が書かれていて、松本かつぢ先生の絵が一番好きだったので、往復はがきに質問を書いて送りました。
1週間もしないうちに返事がきました。
あなたの絵を送って下さいとのことで送りました。
一度訪ねていらっしゃいと連絡が来ました。
私がイメージしていた先生とは違っていました。
ちゃきちゃきの江戸っ子の奥さんと7人のお子さんがいました。
自由に描いたものを物を1カ月に一遍見てもらうような事をしていきました。

高校卒業後安田信託銀行に入社するも、月に一度は松本かつぢ宅に通い指導を受ける。
先生から小さなカットなども頼まれるようになり、退職願を書いて会社を辞めました。
18,9歳の時の決断でした。
銀行の屋上から東京駅をみていたら、ゴミ拾いのおじさんがゴミ拾いをしているのを見てそれも悪くないなあと思いました。(かっこ悪くても自由にと思ったと思います。)
辞めたものの仕事が無くて、神保町の古本屋で海外の雑誌を見たり、気に入ったものを
切り取ってスクラップブックを作ったりしました。
映画もよく観に行き、ファッションとかヘアスタイルなどを勉強していました。
人生初めての孤独感も味わいました。
松本かつぢ先生に「絵の世界でやっていけるでしょうか」と聞いたんですが、「そんなこと誰も判らない」と言われました。
凛とした感じは受け止めました。