2018年8月7日火曜日

熊谷志衣子(鋳物師 南部鉄器工房15代当主) ・鉄瓶に熱い思いを注いで

熊谷志衣子(鋳物師 南部鉄器工房15代当主) ・鉄瓶に熱い思いを注いで
1946年生まれ、岩手県の盛岡市で鉄瓶や茶釜など作っています。
熊谷さんが受け継ぐ工房は鈴木盛久工房と言われて400年続く老舗です。
熊谷さんはその15代目、この工房では代々が名工として知られ13代は国の無形文化財保持者に認定、14代は東京芸術大学教授として鋳物の世界の研究と指導に当たってきました。
熊谷さんは初のの女性後継者として15代を襲名、鋳物作りに取り組んでいます。
昔から伝わる道具の良さを見直してほしいと語る熊谷さんに伺いました。

盛岡は茶の湯とか鉄瓶とかを作っていました。
南部藩のお殿様が藩の産業として鉄器作りを奨励して、その材料は自分の処で全部まかなえました。
砂鉄、鋳物に適した川砂が取れました。
粘土も耐火性の粘土、漆も取れました。
金閣寺の修復も岩手の漆を使っています。
茶の湯釜は京都から釜師を呼んで、武士の作法として殿さまが奨励しました。
代々男性でしたが、父が14代で東京芸術大学教授で退官してから盛岡で継ぐ予定でしたが、現役で早く亡くなりました。
私が継ぐまでにはブランクがありました。
私は彫金をやっていましたが、やろうと思って40歳の時に始めました。
鋳型が重くてどんなに頑張っても持てないものがあります。
世間では私が継ぐことには吃驚したと思います。
自分でなんでもやらなければと思って、無理をしてぎっくり腰も何度もしました。

工程は50以上の工程があります。
先ず鋳型を作ります。
デザインした図面の平面の半分を鉄板で切りとったものがゲージとなり、型の中に入れて回転させます。
曳き型という技法です。
材料は川砂を焼いて細かく砕いて細かいものから粗いものまでをふるい分けます。
芯土(まね)は細かいふるいでふるったものです。
粗いものから型を作る、粗い所に細かいものが入って行くので、寸法的には最初から終わりまで変わらないです。
芯土(まね)はベビーパウダー位の細かさなので、それに耐火性の粘土を水でといだものを合わせて、トロトロにした感じで最後は仕上げます。
型が乾かないうちにあられ模様、色んな模様を押しますが、漆を濾す薄い和紙に墨で絵を描いてそれをひっくり返して水で貼り付けます。
模様に合わせてヘラで押して模様を表現します。
強く押したところが出っ張った表面になります。
細かいところは最後の方の作業になります。

鋳型が出来たら型をしっかり焼いて、焼き型は髪の毛一本でも綺麗に出ます。
型に中子用の専用の砂を詰めて、上下に型が有って、上下に取れないと中子は作れない。
鋳がたから外すとちょうど同じ立体が出て来ます。
中は中空になっていて、同じ丸いものがもう一つ出来る訳です。
それを厚みの分だけ砂を削ります。(削りすぎると本体が厚くなってしまう)・・・削り中子
削り中子を中に収めて鋳型が完成する。
湯口から鉄(1300℃位)を流し込んで、冷えて行って固まります。(一番神経を使います)
翌日に鋳型をはずします。

まだ中子砂が入った状態なので、それを掻きだして、バリを取ったりして整理します。
そのままだと臭みもあり錆びやすいので逆さにして炭火に1時間ほど焼いて表面に酸化被膜を作ります。
一回磨いて外は綺麗にして、もう一回軽く全体に薄い被膜をかけて漆を焼き付けます。
おはぐろを上に塗って、落ち着いた色合いになるようにします。
(全体の工程がいまいち理解できない)
漆、砂、鉄、粘土のことなどを理解しないといけないし手間も掛かります。
分業でやっていますが、例えば鉄瓶だともし一人でやるとなると1カ月はかかります。
茶の湯釜 季節感を大事にする。
柄杓が入らないといけないので、形状にも多少制約があります。
図面の段階できっちりしないと、最初からやり直さなくてはいけない。

今はヨーロッパでは白とかピンクとか装飾していますが、それは鉄瓶ではなくて急須なんですね。
用途が違うので分けて考えて行かないとだめだと思います。
鉄瓶を使ってお湯を沸かすとおいしいです。
お湯を沸かしてポットなどに全部入れて、鉄瓶の蓋を開けておくと余熱で乾燥するので錆びたりはしません。
お茶がおいしくて使い始めたらやめられませんとよく言われます。
小学生が見学に来ますが、おばあちゃんところで使っているよとか言って、そういうのっていいなと思って聞いています。
昔は街中に何軒もありましたが、今は3軒になってしまいました。
戦争で鉄の仕事ができなくなってしまったことが大きいと思います。
昔の鉄瓶はでっぱりが立体的でしたが、今は薄い模様になってきました。
古典的なものをやってみたいとは思いますが、結構難しいです。