上野 司(農業) ・雑穀が結ぶ地域のきずな
71歳、経営は御子息に譲りましたが、いまも農業を続けています。
二戸市足沢は農業と林業の集落で年々少子高齢化が進んでいますが、15年前集落に残った人達と「気張って足沢70の会」を作りました。
そして昔懐かしい行事や雑穀料理でもてなし、毎年都会からバスツアーの観光客を迎えるまでになりました。
この地方は太平洋側から吹く冷たく湿った東よりの風、山背(やませ)の為稲作は冷害に見舞われることが多く、冷害に強いひえ、あわ、きびなどの雑穀が貴重な食料として作られていました。
その雑穀も戦後生産が途絶えていましたが、平成に入っての健康食ブームで生産が蘇り、雑穀料理が地域おこしの主役となりました。
80戸近くあったが50戸位になってしまいました。
高齢化は進んでいます。
足沢小学校があり、100名位いましたが現在は学年ごとに1~2名になってきました。
今年の天候は不安定で作物にとってはまずい天気です。
山背(やませ)に強いという雑穀が栽培されていたと昔の人から聞いています。
冷害で米が取れなくて、あわ、きび、アマランサスとか栽培されてきました。
米の栽培はしていたが、3~5年に1回とか山背に負けて取れなかった。
土蔵で湿度温度を管理して雑穀、食べ物を保存して2~3年に渡って食べていました。
もちひえ、あわ、いなきび、たかきび、アマランサスそういったものが中心になります。
たかきび、いなきびはイネ科の植物です。
たかきびの実は粒が一番大きくて茶色っぽい皮をかぶっています。
きび団子のもとです。
あわは沢山実がなっています、粒が小さい。
あわを煮込んで水あめみたいなものをつくってそれをせんべいにつけて食べた思い出がちょっとあります。
マグネシウム、鉄分が多い。
全国的に見直されています。
95%以上は外国から入ってくる。
国内では3~4%でその中の一部が私の処で作っています。
足沢の人口は150人を切りました。
「気張って足沢70の会」を立ち上げました。
70戸を維持したいと思って15年ぐらい前村おこしをしたいと始めました。
最初はこの村にお客さんのおもてなしをしようなんて出来るわけがないと逃げ腰でした。
段々やっているうちにお客さんから来年もやって下さいと励ましがあり、リピーターがあり現在まで続いています。
巨木、古木とか、800年の古い歴史があり、清光寺、足沢城のお城の跡地などがあります。
雑穀郷土料理ということでお客さんに提供してきました。
足沢家のお墓があり墓誌に800年の歴史が書いてありました。
この町には下水道、上水道も無く、信号もありません、たまに来るのが回覧板ですと言って笑わしています。
観光バスで来るようになりました。
延べ人数で5000人位になります。
雑穀料理のメニュー 天ぷらを揚げたものに粟をまぶしたり、添加物的な役割だと思います。
すいとん=ひっつみ、ご飯には白い米に黄色いいなきびを入れて炊きます。
ごぼうのいなきび炒めなど。
普段の料理に雑穀をふんだんに混ぜたものが雑穀料理になります。
健康には非常にいい事が判りました。
3人の主婦が中心になって料理の研究をして雑穀料理を完成させました。
お客さんから素晴らしい料理でしたと言われて、喜んで積極的に取り組んでいきました。
会員も初めは厭がっていました。
農家の方はお客さんを接待するのが非常に苦手でした。
ありのままの姿を見せるのもお客さんに好感をもたれる一つの材料だと思います。
ローカル弁を出して話をすると友達になれることができるんです。
リピーターが増えて盛り上がってきています。
会員は22,3名ですが、70名のお客さんをおもてなしをすると云うのは並大抵ではありません。
雑穀料理、山菜、牛乳など、ここで取れたものを中心に料理しています。
2月(小正月行事)、5月(山菜の体験料理)、9月(お山街道散策を楽しむ会)の3つの大きなイベントとしてお客さんを迎えていました。
1回で観光バス1~2台、年間300~400名を迎えています。
小正月行事には五穀豊穣を願って餅つきをして、ひとつは米、あとはもちひえでの餅(ひえ餅は作れないが新しい品種 もちひえを発見しました)です。
岩手大学の星野先生が5000粒に中から1つ有ったそうで栽培して増やしました。
これはどこにもありません。
平成20年度に農林水産大臣賞を受賞しました。
雑穀料理を試食してもらって翌年にいただきました。
県知事賞などいっぱいもらいました。
限界集落の歯止めになればいいなあと思っていますが。
昭和42年に高校卒業後、東京に出るが農家の長男なのでいずれはという思いはありました。
自分なりに農業の勉強をしました。
米が中心で畜産、林業もやってきました。
小麦栽培もやってきたが、価格が下がってきてしまい、雑穀に切り替えました。(20年ぐらい前)
雑穀は農協との契約栽培でした。
一旦はゼロになった雑穀栽培が復活しました。
無農薬栽培には苦労しました。(面積が広くなると厳しい)
南米、中国産とか外国産が95%以上になっている。
息子が東京から帰ってきてくれて、自分で工夫してやっています。
農業の難しいのは1年で一回の経験しか無くて、そこが農業の難しさです。