2017年3月10日金曜日

柳 美里(作家)           ・福島・南相馬に生きる

柳 美里(作家)           ・福島・南相馬に生きる
芥川賞川作家、柳さんは1968年生まれの在日韓国人2世です。
1997年 28歳の時に「家族シネマ」で芥川賞受賞、その後妻ある男性との恋愛、妊娠、出産と云う自身の体験をつづった「命」も多きな話題となりました。
そんな柳さんは、東日本大震災を機に津波と東京電力福島第一原子力発電所の事故の被災地である福島県南相馬市に通うようになりました。
そこでの人々との交流を経て一昨年、長年暮らした神奈川県鎌倉市から南相馬市に移住しました。
そして執筆活動を続けています。
南相馬市でどのように生きたいと考えているのか伺いました。

以前はとがったような印象がありましたが、福島に来て何回かお会いしましたが、穏やかになった様な印象を受けましたが?
自分という枠と云うのが強固にあったが、全部四方をシャッターを下ろしている感じでした。
ある意味拒絶していると云うようななかで、物を書いていました。
南相馬に通うようになって、転居するようになって、垣根自体を無くしたような感じがします。
小説の中の世界に入るためには現実の人間関係がない方がいいなと思っていました。
30代の頭で息子を産むまでは小説を書くと決めると、ワープロを持って書けるまでは帰ってこないと云うようなやり方をしていました、いわゆる生活をしてなかった。

母が福島県の南会津郡只見町の中学、高校時代を過ごしていて、その後南相馬の原町で暮らした時期がありました。
南相馬の臨時災害ひばりFMで担当している、「ふたりとひとり」30分のインタビュー番組。
大震災の翌年から5年間続いていて、480人以上の地元の方々と話をしています。
私は聞き役に徹しているので自分の考えは話しません。
二人で来ると親しい人を連れてくるので、緊張感がなくなるし、相馬弁が出てくるし、それも面白いと思いました。
大震災の時の様々な状況を皆さん経験していて、個人個人の時間をかけて居るので、抱えているものの場所をつくると云うか、置き場所のような番組にしたいと思って話を伺っています。
話さない方は無理に引き出さないようにしていますが、ちょっと聞くと終わった後も話し続ける方もいますし、話してよかったと云う方もいます。

2011年にラジオが始まる前も通っていましたが、暮さなければ苦楽に近づけないのではないのかと、その年の4月には南相馬で暮らしたいと思っていました。
「ふたりとひとり」を通して人との繋がりも出来てきて、友だちになり、繋がりが濃くなってきて転居は自然の流れでした。
子供を連れて原発の周辺地域に行くのは虐待ではないかとか、SNSでさまざまな言葉が投げつけられました。
住まいは原発から25kmの処です。
ここが汚染地だと決めつけることは、そこに暮らしている人たちに対して差別につながる。
それが他県に避難している方が差別、いじめられることに繋がると思う。

都会で育ったので、一番好きなのは空が広い、南相馬は上を見なくても空があります。
阿武隈山脈もなだらかで優しい。
その風土に培われた文化、人が良いですね。
歩いていていろいろな発見があって楽しいです。
原発事故で急激に高齢化してしまったが、暮らしてみると良いところばかりが気が付きます。
しかしそれは目には見えない文化とかで、それを大事にしてゆく方法で町が生き残れると云うか、それしかないのではないかと思っている。
だから福島の子供たちには期待しています。
小高工業高校、小高商業高校で今教えて居て、聞くことから話す事に進んでその後書く(作文)と云う事に進んでいければいいと思っています。
自分の事も話していて、挫折の事なども話しています。
挫折の中で進むべき道と云うのを見つけてきたと云う話をしています。

今年春、小高工業高校、小高商業高校が統合されて小高産業技術高校になり、校歌の作詞を依頼され作りました。
地元の人の思い入れのある村上海岸、浮船、紅梅、小高川などの地名は全部て入れて作りました。
作曲は長淵剛さんです。(依頼の手紙と一緒に詩も送りました)
2回長淵さんが来られて、詩の中に出てくる地名、旧校舎などを見て下さいました。
綺麗な曲だと思いました。
書店を開こうと思っています。
まだ帰還している住民の方が少なくて、今年学校が再開される。
息子が原町高校に通っていて、下校時間は暗くなっているので心配される保護者もいて、駅のそばに本屋さんが有れば生徒が部活帰りに立ち寄ったり、電車が来るまで立ち読みしたり、親が迎えに来るまでの待ち合わせ場所にもなると思って書店を開こうと思いました。

書店のイベント、友人の作家を東京から呼んで来てくれると思って、私も書店員として立ちます。
作家の話を聞くと、もしかして自分でも書いてみようと思う人がいるかもしれないと思っています。
駅前に図書館がありそこで小説を書いていることが多いです。
書店の一角にスペースを設ければ、そこで小説を書くことが出来るのではないかと思っています。
以前とは変わって、私の本質はむしろこちらだったかも知れないと思います。
人間って自分として確固としたものがあるわけではなくて、いろんな他人の影響が加わり流れ込んできて自分と云うものが出来てくるが、自分が会った480人と云う方は大きくて、共にある自分ですね。
一言で言ってしまうと南相馬の土地、人が好きなんですね、そこに惚れ込んで住んでいると思うしかないですね。
大震災で失ってしまったものはあまりに多いが、マッチ売りの少女のマッチのともしびのような思いで書店を開きたいですね。
店の名前は「フルハウス」 はじめての小説のタイトル。 
意味は満員御礼と云う事でフルハウスと云う事です。