2017年3月25日土曜日

清水国明(タレント)        ・めざそう、多毛作人生

清水国明(タレント)    ・めざそう、多毛作人生
1950年福井県大野市(旧和泉村)に生まれる。
1973年伝説のフォークデュオを「あのねのね」で芸能界デビューします。
2004年自然ぐらしを実践する山梨県富士河口湖町で、NPO法人河口湖自然学校を設立。2013年には山口県周防大島近傍の無人島を購入、そのほか阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本などの被災地に積極的にかかわっています。
現在はTV、ラジオでも司会やコメンテータ、ー雑誌への執筆など幅広く活躍しています。
そんな清水さんが今年1月福井県若狭町の文化と福祉の複合施設パレア若狭で講演されました。

「あのねのね」のグループをやっていました。
「赤とんぼの唄」などを歌っていましたが、終わってTVの仕事などをやるようになりました。
福井県大野市(旧和泉村)に生まれ、谷あいの村でした。
たった一回の人生だから、いくつも楽しみたいと私は思っています。
憧れはエネルギーとなって人間の成長にふさわしいと言われています。
今は何にも揃っているので、憧れる必要がない、これが欲しいと云うのも憧れだといえばそうであって、それに進んでゆく、そういく考え方もあります。
京都の方の大学に行って、いい仲間(笑福亭鶴瓶、原田伸郎ら)と出会って、京都で8年間過ごしました。
旅館でアルバイトをしていて、あるとき、ビアガーデンで歌を歌う話があり30分で2000円貰えると云って(本当は3000円貰えるが)二人には1000円渡して、私は2000円もらったというようなことをしていたりしました。(冗談半分に)

そのうちTVにださせてもらってあっという間に人気者になって、あっという間に落ちてしまいました。
東京に移動して、ローンを組んで家を建てて生活していました。
今は山梨県川口湖に引っ越して、自然の中での遊び方を熟知していたので、自然を楽しむ学校「森と湖の楽園」を始めて今日に至りました。
いろんなところに行っていろんな人との出会いがあり、いろんな仕事も変わって行って、沢山の人生が出来たなあと思っています。
瀬戸内海の無人島に行って、愛媛県と山口県の県境のところ、みんなで購入して、自給自足で稲を作ったり、海水から塩をつくったり、自主自立の生活を始めて居ます。
無人島で不便さをあえて楽しんでもらって、日ごろの便利さに感謝出来ると云うものです。
ありが島(ありがとう)という島を作りました。
そこでキャンプすると、何にもないんで早く帰りたいと思う。
家に帰ってくると、電気が点く、電気がつくんだと云うことになる。(当たり前のことに感動)
実はありがたい生活をさせて貰っているんだなあと気付いて感謝して生活をするように
成ります。
当たり前と云う事が実は有り難いものである。
「婚活」の島を今年は作ろうと思っていて、おめで島(おめでとう)と云う名前にしようと思っています。

オートバイの競争の世界にも入って、14箇所骨折をしました。
レースで人と競うのが好きなのかも知れません。
全国規模の魚の釣りのトーナメントにも参加して、場を変える、世界を変えることで一匹の魚に震えるような喜びを感じる事が出来るんだなあとも思いました。
いまは自然界で自然をベースにした事をやっています。
ビジネス界は苦手です。
お金に対して手紙を書いて私のところに来て下さいということで新聞にも載ったりしたが、大分来るようになりましたが、じっとしてくれません。
自然の中で鍛え直すという、企業研修をやっています。
3本マッチを渡して火をおこすことをやってもらうが、今の若い人は火をおこせない。
企業研修にはそこそこハマりました。

一番良いのは好きな事をやっていてそのことで皆さんに感謝されて、皆さんからお金を頂ける、そういう暮らしをしているのが一番だと思います。
二番目は好きな事をしているが貧乏、三番目にはいやな事をやらされながら金持ちになる、四番目は嫌な事をやらされながら貧乏、これが一番多いと思う。
最後は一番目を目指して頑張ろうと思っています。
世の中は発展しているが、人間力と云うか、生命力はどんどん落ちていっているような気がします。
自分で修理する時代ではなくなってきてしまっている。
自分持っている色んな事を伝承する役割があるのではないかと思います。

お金持ちの別荘地でお金を守りに入った人は意外といらいらしたりしてクレームがいろいろ来ていると、ある管理人から聞きましたが、子供たちに竹細工、英語などを教えて居るおじいさんおばあさんがいるがその人たちからはクレームがないそうです。
渡そうと思った人と守ろうと思った人の違いではないか。
何人もの人との出会いをしたいと思っている。
清水クーコと結婚したが、離別してその後再婚して3人女の子が生まれました。
これからは自然にと思ったが、家族は一緒には来ないと云うことで、離婚と云うことになり、河口湖に行ったら3回目の結婚をして男の子が生まれました。
子供は9歳になりました。
楽ではない事だが楽しいことはしてきたと思います。
楽な事がいいと錯覚してしまうと、楽な方に流れてしまう。
楽の究極は寝たきり状態だが、感動の為にはあえてわざわざ寒いところ、不便な所に行って一日一日をベストで生きていきたいと思う、そうすると何処で死んでもOKです。
一番いい死に方は100%で生きてきて寿命が来たらパクンと死ぬ、だらだらと死なないそれを直角死と云います。