2017年3月21日火曜日

中谷加代子(高専生殺害事件被害者遺族)・“責める”ではなく“寄りそう”

中谷加代子(山口女子高専生殺害事件被害者遺族)・“責める”ではなく“寄りそう”
2006年山口県高等専門学校で当時20歳の女子学生が同級生の男子学生に殺害される事件が起きました。
事件後男子学生は自殺、10日後に遺体で発見されました。
中谷さんは事件の犠牲となった女子学生 あゆみさんの母親です。
5年前に仕事を辞め被害者の声を直接届けることで、犯罪を犯した人々の心を変えたいと云う思いで刑務所や少年院などの矯正施設に出向き、受刑者たちに事件を伝える活動を続けて居ます。

12回 130人の受刑者一人ひとりと向き合って、話をしています。
どんな怖い人なのかと怖いイメージで伺って行ったが、ほんとうに町中でも出会えるような普通の方でした。
罪をつぐなうためにいる訳ですが、罪を償うことと、幸せを感じて生きると云う事が同じ方向にあると思っているのか、あるいは反対の方向にあると思っているのかと云う事を最初に質問します。
最初私自身真反対だと思っていましたが、今は反対ではない、同じ方向だと思っています。
2006年、当時20歳の娘のあゆみが学校で同級生に殺害される事件が起きました。
あゆみは生きていたら30歳になるんです。
ウエディングドレスを作りたいなあと云うのが私の夢でした。
そのあとの私の人生は抜け殻のような、生きる気力がなくなってしまいました。

それまでの生き方を変えないと生きていけないと云う、そういう事件、経験だったと思います。
あゆみは家族思いで友だちも一杯いて、家に行ったり来たりしていました。
2006年8月下旬、朝いつもと同じようにあゆみを駅まで送って行きました。
夫とは同じ職場で、夕方自分の席に帰ってきたら夫からのメモがあり、あゆみが学校で倒れたから迎えに行って来ると云う内容でした。
夫に電話したら保健室で待たされて、様子がまだ判らないとのことでした。
なかなか電話が通じなくて、何回目かに電話が通じたときには夫は何もいいませんでした。
問い詰めたらやっとあゆみが死んだんだと云う事でした。
あゆみの友だちから電話がかかってきて、TVを点けたら速報が出て居て、「中谷あゆみさん死亡」と云う文字が見えて、間違いだと思いました。

あゆみのはずは絶対ないとそれを早く確認したいと思いました。
遺体と対面した時、最初ビニール袋に入っていて、白い布を刑事さんが取ったが、その瞬間まで絶対に違うと思ったが、あゆみがそこに眠っていて、顔の色が少し紫色で眠っていて、起こそうと思って一生懸命声を掛けたが、何べん呼んでもあゆみは目を覚まさなくて、ただただほっぺたを触って起こそうと思ったが起きなくて、自分が死んだ方がどれだけ楽だったのかと思いました。
誰が犯人かはわからないが男の子だと云われたが、クラスメートだったが、彼も犯罪に巻き込まれたのではないかと最初思ったんですが、警察からそれは違うといわれました。
強姦致死、自分の欲望のままに殺害したことについてはどう受けとめたのか?
私はなにも見て居ないし彼とも会ったことがないので何にも判りません。
会ってなんでこんなことをしたのか、聞いてみたいと思います。
憎しみの感情はありました、絶対許さないと。

10日後、犯人は自殺で発見され連絡を貰ってから彼から何にも聞けないと云う事が判って、ほんとうに力が抜けました。
ほんとうのことを教えてほしかった、生きて償って欲しいと思いました、それがあゆみへの唯一の供養になると思っていましたが、その願いもかなわなくなりました。
彼は謝罪、反省、責任をとることから逃げたんだと思います。
なんで、なんでと云う事からずーっと10年以上、今も停まっているんです。
どうしたらこの事件が起きないですんだんだろうかと、考えるようになりました。
加害者の彼が自殺してしまって、この世の中にいなくなったことが一つあるかもしれないが、あゆみだったらどうするかとそれを考えたのが大きいですかね。
あゆみだったら憎しみ続けないだろうと、あゆみと相談しながら長い時間をかけてそうなったんだろうと思います。

たくさんの方、友達、先生、私の同僚、近所の方、ほかの事件の被害者の方、知らない方から励ましの言葉、電話、手紙をいただいて、思って下さる気持が凄く伝わってきて、そのお蔭で話ができる状態になれる迄になったのかなと思います。
1年半後に加害者の両親が謝罪に家に来ました。
あゆみのお参りに来たいと家に来ましたが、ひときわ小さく見えました。
かわいそうと云うか、情けない形に見えました。
加害者の両親も家族も被害者かもしれないとその時思いました。
加害者側が孤立してしまったら、それは悲しいと云うか、そこで又ふつふつと憎しみが募って行くようなことにも成りかねない。
事件から5年後、地元の市役所を早期退職、役に立つことがあればやってみようかなあと云うような気持でした。

仕事を辞めると言ったときに、誰かに体験を聞いていく中で伝えることが仕事の中にあるかと主人とも話したが、お前の話を誰が聞くのかと言われたが、刑務所の受刑者に話を聞いてもらう事があるかもしれないとぼんやり思いました。
加害者の彼がもっと自分の人生の事、廻りの人のことを真剣に大切に思っていてくれたら事件は起こらなかったんだろうと思います。
加害者が変わってくれればと言う思いで、受刑者に働き掛けることがあるのかもしれないなと思いました。
再犯率、受刑者の50%の再犯率があり、そこで犯罪が繰り返される。
再犯を少なくしたい、悲しい思いをする人たちを少なくしたいと思って、そこに糸口があるような気がしたんです。
刑務所のプログラムで犯罪被害者の視点を取り入れた教育と云う事で、更生プログラムがあり、その一コマに私が行かせてもらう事になりました。

目の前に被害者である私が居て、最初から泣いて待っている方もいまして、全然想像できませんでした。
自分は生きる権利がないんではないのかと云う思いを持っていました。
真剣に考えている人たちが前にいて驚きました。
90分の前半で自分のところに起きた事件の話をして、後半は10人ぐらいの人と一人づつやり取りしました。
受刑者のなかには、青い空を見ても青いと思って見てはいけないと思っていましたと言われた方がいました。
自分が幸せを感じても幸せに感じてはいけない、幸せに蓋をしている。
押し殺して下を向いて生きている、その人からはそう感じました。
そうしているとつぶれてしまうか、爆発してしまうのではないかと思いました。
葛藤の中で自己否定を続けないでほしい、喜びは認めてあげて欲しいと思いました。
幸せを感じる人生、犯してしまった罪を、経験を無駄にしない人生を歩んでほしいと思いました。

自分が幸せを感じて主体的な人生を歩んで、初めて被害者の事も考えてもらえるのではないかと、罪を償う事と幸せを感じる事は同じ方向にあると私は思っています。
自分の幸せを棚にあげておいて人の幸せだけを願うなんて、そんなに天使ではないです。
人間って、自分がある程度衣食住足りてようやく周りが見えて来るのではないかと思う。
加害者と受刑者とをみて、生きることを真剣に考えてほいしいと思ったのは重なる部分があると思います。
今まで幸せを感じてはいけないと思った受刑者が、前向いて生きていいんだと云うことに気づいて貰えたんじゃないかと、いう瞬間があります。
そうすると私の方がエネルギーを貰う様な、行かせてもらってよかったと思う瞬間があります。
加害者の彼がもし生きていたら事件に向き合って欲しいと思いますし、そのあとは自分の人生を主体的に生きて欲しいと思います。

生きることに前向きに生きて欲しい、生きて幸せを感じて最後まできっちり生きて欲しいと思います。
被害者からみると加害者が幸せを感じると云う事は、理不尽だと思いますが、本当の償いを求めるのであれば加害者が幸せを感じて主体的に生きて、初めてそういう人生の中でこそ本物の謝罪、反省に至れるのではないかと思います。
幸せと償いは同じ方向ではないですかねと、その被害者の人にも申し訳ないけど言いたいです。
被害者から加害者に声を届ける形が有効なんだと理解してもらって、活動が広がって行って、加害者との対話が成立して再犯が減ってゆく、悲しむ人が減るという形になればいいなと思います。