頭木弘樹(文学紹介者) ・絶望名言 フランツ・カフカ
「僕は人生に必要な能力を何一つ備えて居らす、ただ人間的な弱みしかもっていない。
無能、あらゆる点でしかも完璧に。」
作家フランツ・カフカの言葉
病気、事故、災害、あるいは失恋、挫折、孤独、人生受け入れがたい現実に直面した時に
人は絶望します。
頭木さんは大学生の時に難病を発症し、13年間療養生活を送りました。
その経験から悩み苦しんだ時期に救いとなった言葉を「絶望名言」と名付けて、名言集を出版しました。
「あきらめずにいれば夢はかなう」、「明るい気持ちでいれば幸せなことしか起きない」とか
素晴らしい言葉は眩しすぎることもある。
失恋した時には失恋ソングの方がぴったりする。
辛い時には、絶望的な言葉の方が心にしみて救いになる時があるのではないかと思い、そういう言葉を絶望名言と云っています。
20歳のときに突然難病になり、医師から進学、就職も出来ず親に面倒見てもらうしかないといわれました。
完璧に無能な状態になってしまいました。
その時に読んだフランツ・カフカの言葉が凄く感動しました。
プラハの生まれで、「変身」が出版されたのが1915年、ちょうど100年前ぐらい。
今読んでも衝撃を与える、と云うのが凄い。
ある朝目が覚めたらベッドの中で突然虫に変身してしまう、非現実的な話と云うもの。
病気したときに読むとまさにドキュメンタリーです。
「生きることは絶えずわき道にそれて行く事だ。
本当は何処へ向かうはずだったのか振り返って見る事さえ許されない。」
カフカの創作ノートに断片的に残っている。(37歳の頃のもの 40歳で亡くなる)
作家になりたかったが、サラリーマンだった。
3回婚約して3回婚約解消の頃のもの。
私(頭木)は本来生きるはずだった自分の人生の道からそれてしまって、わき道を走るようになってしまった。
潰瘍性大腸炎でした。
人によって症状の幅があり、私の場合は重い方でした。
それまではほとんど病気をしたことがありませんでした。
本来の人生を失ったという事が苦しかったです。
カフカの言葉に出会って、わき道にそれるのが人生ということで救いになりました。
*さだまさしさんの「第三病棟」
「僕の病室 君のそろえた 青い水差しと白いカーテン
子供の声に目覚めれば陽射し 坊やが窓越しに笑顔でおはよう
あの子の部屋は僕の真向い お見舞の苺が見える
やがて注射はいやだと泣き声 いずこも同じと君が笑う
遊び盛りの歳頃なのにね あんなに可愛い坊やなのにね
カルテ抱えた君は一寸ふくれて 不公平だわとつぶやいた
紙飛行機のメッセージ 坊やから届いたよ
夏が過ぎれば 元気になるから そしたら二人でキャッチボールしよう」
返事をのせた飛行機を折って とばそうと見たら からっぽの部屋
少し遅めの矢車草が 狭い花壇で揺れるばかり
受けとる人の誰もいない 手を離れた飛行機
君と見送る梅雨明けの空へ 坊やのもとへと舞いあがる
なんで自分だけが苦しむのか、夜中に眠れないでいると、子供の泣き声が聞こえてきて、平等でないことに悲しみ怒りを覚えて、平等だと思ってること自体が間違いで、人間それぞれ違っていて、元々平等ではない、違って当たり前だと、反省して「第三病棟」を聞くとその時のことを思い出します。
1970年代の後半の曲
レールから外れた途端はまだレールの続きの夢を見て居る。
カフカの「変身」も虫になった営業マンは会社に行く心配をしている。
「僕には誰もいません。ここには誰もいないのです、不安のほかには。
不安と僕は互いにしがみついて、夜通し転げまわっているのです。」
(恋人へのカフカの手紙の中の言葉。)
手紙も作品と云ってもいいぐらいのもの。
絶望した人が一番よく言葉にするのは、自分の気持ちはほかは誰にもわからないと云うことだと思います。
同病あい憐れむと云うが、同じ病気でも症状、状況などが違うので共感しない。
災害にあっても状況がそれぞれ違っていて、同じように気持ちは一つにはなれない。
孤独が漏れなく付いてくる、それがすごくつらい。
絶望している人への接し方は難しい。
なかなか立ち直れない人に対しては、悲しい展開が起きやすい。
最初は励ましていた人がだんだんイライラしてきて、責め始めたりして、最後は見捨てるような展開に陥りやすい。
長い目で見てあげて立ちあがりをあせらない、当人も周りも。
深く沈んだらゆっくり上がる必要がある。
せかさずときどき連絡をとって、立ち直れそうになったらいつでも力を貸すようにそばにいてあげるのが一番いいと思います。
川野:「あわてず、あせらず、あきらめず」、これを肝に銘じて心掛けなさいと先生に言われました
焦るとさらに落ち込んでしまったりする。
医学の進歩のおかげで13年目で手術をして、外を出歩ける様にも成り普通に近い生活が送れるようになりました。
絶望名言を読むことで救いになりました。
カフカ、ドストエフスキーとか。
「将来に向かって歩くことは僕にはできません。
将来に向かって躓く事、これは出来ます。
一番うまくできる事は倒れたままでいることです。
将来に向かって歩く事は僕にはできません。
将来に向かって躓く事、これは出来ます。
一番うまくできるのは倒れたままでいることです。」
(婚約者へのカフカの手紙。29歳のころ 結婚しようと思っていた人への手紙)
カフカはこの頃不幸な出来事などなかった。
私自身倒れたままだったので共感しました。
日常生活自体が倒れるものでもある。
経験を踏まえてさらに成長される方もいますが、必ずしもそうはいかない。
苦労したせいで得るものも大きいが、失うものも大きい、苦労は成長させるものもあるが人を駄目にしたり歪んでしまったりもする。
倒れたままで生きていく、半分倒れたままで生きていくこともありだと思います。
カフカは平穏な人生を送っていて、はた目からみれば、サラリーマンとして順調に出世して、恋人もいたし友達もいたが、日記などを見てみると、大変な絶望なわけです。
普通の人生であっても倒れる人は倒れる、敏感な人は倒れてしまう。
絶望した時にカフカの言葉は、なにかあった人ではないからこそカフカの言葉は誰にでも共感できる。