相澤一成(名取リーディングクラブ代表) ・故郷に捧げる朗読劇
震災から6年となる東北で故郷を失った人々の心を慰めたいと、ある朗読劇が上演されました。
ファミリーツリー海辺の町の小さな家族の物語です。
この劇の脚本を書いたのが宮城県名取市出身の俳優相澤さん47歳です。
相澤さんは21歳で名取市から東京へ出ます。
オーディションを受けて『超光戦士シャンゼリオン』で準主役としてデビュー、その後TVや映画、舞台で活躍しています。
相澤さんが生まれ育った名取市は東日本大震災の津波で閖上(ゆりあげ)地区を中心に900人以上が犠牲になるなど、大きな被害を受けました。
震災から何年たっても癒されない思いを抱える両親や町の人たちのために、相澤さんは今自分が出来る事をしようと決心しました。
そして2カ月半掛けて書き上げたのが朗読劇ファミリーツリーでした。
地元の人達の朗読グループ名取リーディンググループを立ち上げ、この半年間名取と東京を往復しながら演出担当として15人のメンバーと朗読劇の稽古を続けてきました。
朗読劇あらすじ
お花見をするためにおじいさん、おばあさんが山の頂上の広場に集まるが、子供孫等も東京から帰ってきて、婚約者を連れて帰ってきたりして、そこでお花見をしながらいろんな話が繰り広げられる日常的なストーリーで全編宮城の方言です。
震災の後にいろんな町から思い出の場所、思い出のものが消えていって、大事な場所が無くなって行ってそれを見て居る時に、なんかそういうものを思い出す様な話が書けないかなと思ったのが今回の作品を書いた最初です。
最後まで書き上げて、もしかしたらこの話を聞いて町の事を思いだしたり、若い人たちはその面影を忘れずに次の世代に語り続けてくれる、そんなふうになればと思いました。
被災地がいかに大変な状況にあったかとか、いろいろ悲しい思いをした人がどんなにいたかという事を外に発信するものは多いが、そこに住んでいる人達に向けての気持ちを軽くするものだったり、気持ちをほぐしてくれるような作品を作りたいと思った。
日常的な事を書きました。
会話を聞いて家族の事を思い出しながら聞いてもらえたらいいと思っていました。
私は稽古中に地震が来て、姉の子供が閖上(ゆりあげ)に遊びに来ていて、町を出たときに地震が来て、閖上(ゆりあげ)に戻ったが家はめちゃめちゃで、私の両親が姉の子供を連れて姉のところの仙台に行ったので命は両親も助かりました。
町が無いと云うことが信じられなかった。
いろんな世代を登場させたいと思った。
戦争を経験した世代、高度成長期を経験した世代、バブル、バブル以後の低迷期を経験した世代、これから未来を背負ってゆく世代、いろんな世代の人が出てきていろんな世代が観ても共感を感じてもらえればいいかなと思って書きました。
若いころは自分の町が大嫌いでした。(中学高校時代)
田舎なので閉鎖された町で人間関係が濃くて、すぐうわさが出てきて、尾ひれがついてきてどんどん話が広がって行くような世界が、若い時はいやに見えました。
反面お祭りになると一致団結したり行事があると人が集まってやると云う、強さなどの良さが今になって判ってきました。
21歳のときに地元で就職はしていたが、ある日耐えきれずに家出をしました。
財布だけを持って東京に着いてから地元からきている先輩に連絡を入れて、2週間程度お世話になりました。
両親があちこち電話をしていて、たまたま電話をとったら私で居場所がばれてしまいした。
一旦帰ってから事態を収拾して、やりたい事をがあるならやるようにしなさいと言われました。
東京に戻ってめぐりあわせとしか言えないかもしれないが、たまたま事務所に所属出来て、ある人に紹介してもらってオーディションを受けることになり、役者の世界に入る事になりました。
先輩を見てきて人への接し方、生活態度などを勉強させてもらいました。
その間あまり故郷の事は思い出しませんでしたが、大震災にあって何時もあるものだと思っていたものが急に無くなって、心のよりどころにあったものが根底から崩れてしまったような感じで信じられなかった。
故郷の大事さ、人の繋がりの大切さを気付かされました。
命は永遠ではない、何時死が訪れて来るかもしれないと云う事を考える様になりました。
先に亡くなってしまった人たちと今生きている人たちが、ある特別な場所であるひとときの時間一緒に普通に会話出来ると云う芝居なので、楽しい時間には終わりがあるので、終わりを迎えると何故そこに来たのかをお互い語ると云う構成になっています。
家族と話をすることが多くなったような気がします。
周囲の人に対して深く考えるようになったと思います。
その人を思う事、いたわる、いとおしいと思う事、感謝の気持ちなどを意識するようになりました。
民謡のシーンがあるが、会場からも一緒に歌っていました。
みんなが知っていて、子供のころから親しんできた民謡です。
最後のセルフで生まれ変わりたいのなら何に生まれ変わるか、家族のそばに生まれ変わりたいというと、もう一人がもしかしたら自分も誰かの生まれ変わりなのかもというセリフがある。
家族を亡くして身内が抱えて居る悲しみを、実はそばにいて自分の子供だったり孫になって生まれ変わるかもしれないし、もしかして自分も先祖が生まれ変わって今ここにいるかもしれない、ちゃんと命と云うか思いはつながっているんだよ、そんなに悲しまないで次に生まれ変わってくるときにどこかで縁がある人のそばにいるということを持ってくれればいいと思って書きました。
これが民話みたいなものになって語り繋がれればいいなと思っています。