富田耕生(声優) ・【時代を創った声】(第13回)
平成天才バカボンのパパ、手塚治虫のヒゲオヤジ役、オスカー俳優 アーネスト・ボーグナインの吹き替えなど様々な番組のナレーション等、1万本以上出演。
最初は生で、よくやったもんです、ぶっつけ本番でした。
25,6歳で劇団に入ってラジオでずーっと出ていました。
台本なんてほとんどなくて、ディレクターから説明を聞いて、手をあげたら、こうやるとかやっていました。
「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」エアウルフをめぐるアクションドラマ、日本では1986年から87年にかけて放送されて、主人公を支える親代わりでもあるアーネスト・ボーグナインが演じている。
そのアーネスト・ボーグナインの吹き替えを担当する。
地声とそっくりだったので、そのまんまという感じだった。
磯部勉が主人公役をやりました。
アーネスト・ボーグナインは頑固おやじだったと思う。
30年ぶりに追加収録が行われたが、僕はあまり変わらず自然に出来ました。
二枚目役の担当は一息でやらなくてはいけないので、大変だったと思います。
高校出てすぐ劇団に入ろうとして、グループを作って3年ぐらいやっていました。
電車に乗って3時間ぐらい自分で観察して、人間の観察をしました。
そして後で集まって発表するなどをしていました。
発声訓練もしました。
人間観察をいろいろやってきてどんな役をしてもこわくはなかったです。
収入はあまりなかったので、兄弟が多かったので兄弟にたかったり、新聞配達をしたりしました。
不安はなかったけれどずーっと続けていていいのかなあとは思いました。
姉からはやりたい事をやれ、私は生活費ぐらいはずーっと面倒みてやる、と言ってくれました、その姉も90いくつで亡くなってしまったが。
姉は人を派遣するような会社をやっていたので、手伝いをしたりしました。
ラジオ、洋画の吹き替えなどたくさんやって、徐々に食べられるようになりました。
段々アニメも出てきました。
舞台の方が難しいけど楽です、相手がそこにいて声を掛けたりするけれども、ラジオではそうはいかないので、距離感とかもあり想像力も使うし難しいと思う。
アニメブームになってきて、絵が間に合わなくなってきて、線画で顔の表情なども判らず感情を出すのでたいへんでした。
役作りはドラマを知っているから自分の役はこんなものだと判る。
生の時にはいろいろ大変な事がありましたが、意気込んでやりました。
アニメのシリーズでは「鉄腕アトム」が最初で、その半年後ぐらい後に「鉄人28号」で警察の大塚所長をやりました。(約50本 1年間ぐらい)
「鉄腕アトム」のヒゲオヤジ役は楽しくやらせてもらいました。
ヒゲオヤジ役もアーネスト・ボーグナイン役もあまり芝居をしないで済んだので楽でした。
天才バカボン 普通のレベルでは出来ないので、バカボンのパパをやるときには殻を破けないといけない。
2~3倍の声で最初声を出してそれから、本題にはいらないとなかなかできない。
バカボンのパパ役の雨森 雅司氏の後を継いだ時には、彼とは声の出し方など大きな違いがあるので、僕でいいのかなあと思ったが、富田のやり方で良いんだといわれて、雨森も亡くなってしまったし、ごめんよと言ってやったのを覚えています。
声を出し過ぎてポリープの手術を2回やりましたが、怖いです。
これで3度目になりました。
だめかなあとは思ったが、何とか喋れる様にはなりました。
うがいをして、喉を休めるようにしていましたが、最近はどうでもいいと思ってやらなくなってしまいました。
自分としては個性を作ってやったのでよかったのかもしれない。
声優は相手が見えないが、形が膨らんでいられるような芝居をすればいいんじゃないかと思う。
雰囲気が眼に浮かぶような喋り方をすればいいんじゃないかと思う。
健康には気をつけて、今後、後は楽にしたいと思っている。