2016年10月25日火曜日

今井敬潤(大阪府立大学大学院客員研究員) ・“柿の力”を再発見(1)

今井敬潤(大阪府立大学大学院客員研究員) ・“柿の力”を再発見(1)
昭和24年岐阜県瑞穂市生まれ、京都府立大学農学部を卒業後、大阪府立大学農学部大学院の修士課程を終了されました。
専門は果樹園芸学で特に渋柿の柿渋の研究に力を入れています。
現在は大阪府立大学大学院客員研究員の他に、岐阜女子大学の非常勤講師も務めています。

岐阜県瑞穂市は冬柿の故郷 冬柿の発症の地。
瑞穂市の居倉というところに母木が有り、発症の地の碑が建てられている。
明治30年代に福島さんと言う人がその地域にあった甘い柿、「居倉御所(いくらごしょ)」から冬柿を見出したのが始まり。
正月には必ず碑の前に行って碑に書いてある文章を見て1年を振り返り、これからの1年をどう進むのかと思ったりしています。
大学のテーマが梨だった。
農業高校に勤めて、出会ったのが柿で、大きな力を持っていると思った。
私の家は寺院でかつては境内の中に20本ほどありましたが、今は無いです。
文学では、猿蟹合戦、正岡子規の俳句、小林一茶の俳句等が有る。
「渋いとこ母が食いけり山の柿」 (小林一茶)の句が好きです。
柿は中国中南部が原産と言われて、奈良時代に日本にきたと言われています。
平城京に柿が流通していた事が正倉院文書、平城京跡から出てくる木簡から柿のことが書かれていた。

色んな形の柿が有ると言うことはそれだけそれぞれの人がおいしいと思った人が、種を蒔いてもっと旨いものを作ろうと営みが絶えずあちこちで行われた。
岡山県で権次柿というものがあるが、ならず者だったようです。
それぞれの土地で色んな柿が有ったようです。
甘柿と渋柿が有るが、今は判らなくなってきている。
学生に聞くが1人位が渋柿を食べた経験があると言うぐらいで渋柿を口にすることが無くなってきた。
経験が無いためか、渋く感じない学生もいます。
日本の文化を語る上では、この渋さという言葉抜きでは語れないと思うほど渋いという言葉は大事だと思います。
幼稚園の先生が幼稚園の子らに体験させたら、砂みたい、ざらざらしているとか、という表現をしたそうです。

伝わった段階では渋柿で、鎌倉時代に甘柿が登場する。
種ができないと渋が抜けた様な感じになり、ゴマの様な点々ができるが、江戸時代になるとゴマの様な点々が無くなった甘い柿が登場する。
明治までぐらいは渋柿の方が圧倒的に品種が多かった。
当時は干し柿と柿渋が必要だった。
渋を抜く方法として、干し柿にする方法、塾柿、さわし柿(焼酎、ドライアイスで渋を抜く)
江戸時代にはお湯に一晩浸け周りをこもで巻いて渋を抜く方法があったが、温度管理が難しい。(又品種に依っても温度が違う)
市田柿、(長野県下伊那)  あんぽ柿 (半乾燥の柿 福島県)が有名。
干すと被膜ができて中に渋が抜ける物質が出来て渋さが取れる。
ペクチンが多く関係していると言われる。
干し柿の産地では干す時期の気温が上がって来て、カビが生えて困っていると言われている。
古来、柿は主食にちかい食べものだったと言われる、飢饉のときの飢えをしのぐ為とか。
保存食料として大事だった。
甘柿は長持ちはしないので渋柿が一般農家では大切だった。

柿の葉寿司、柿の葉茶、あちこちで利用されている。
20年前 葉の彩り品種として選ばれて、専用の品種が作られている。
黒柿 年数が経つとタンニンを含んでいるので黒い模様が出来て、それを板にして調度品などに用いられた貴重なものです。
娘を嫁がせるときには柿の苗を持たせて嫁がせたと言う話もあります。
自分の最期まで柿に見守られて、火葬にする時に柿の材が使われた。(一生を柿に託す)
私は村のお寺を預かっているが、月まいりがあって、或る古老のお宅に行くと古い柿の木が有って若し何らかの都合で木を切る時にはお経をあげるようにと家族には言っているそうです。
外国でもカキで通用する。
1600年代 ポルトガルの宣教師が布教する時に役立つ様に辞書を作ったが、柿がでてきて説明書きをしている。(日本のいちじくと表現しているが、トルコ産の干しイチジクを見たが紐で結んでいてまさに干し柿だった)
外国人から見た柿、オランダ商館員のツンベルク(シーベルトの前) 学名をつけたがカキと付けている。
神の食べものという意味があるので、柿に対するイメージをそう捉えていたようです。

明治以降に日本の柿が海外にも入っているが、食べ方がいまいち判らない。
柿は熟した柿、硬い柿のおいしさはわからなくて、最近は判り始めて、冬柿が外国でたくさん作られるようになりました。
ブラジル、韓国などで多く作られるようになり他にニュージーランド、オーストラリア等でも作られるようになりました。
若い人にとっては縁の遠いものになってきてしまいましたが、生産地では若い人にも食べてもらえるように取り組み始めています。
サラダでも食べられるようにと、品種改良もされています。