2016年10月14日金曜日

岩井光祐(国際音楽交流協会事務局長)  ・楽器がとりもつ交流の輪

岩井光祐(子供のための国際音楽交流協会事務局長) ・楽器がとりもつ交流の輪
10年前会社を定年前に辞め、サックスの勉強を始めその3年後にボランティア団体子供の為の国際音楽交流協会を立ち上げました。
仕事で世界を駆けまわっていた時に岩井さんは平和を輸出する民間外交の必要性を強く感じて楽器を海外に贈り始めたと言う事です。
神奈川県南足柄市の自宅を事務所にして自治体やボランティアの力を借り、日本の小学校などに働きかけて使わなくなった楽器を寄付してもらい、フィリピン、アフリカのタンザニア、ウガンダなどにこれまでに500個以上の楽器を30校以上の学校に贈ってきました。

仕事を長い間、外国との仕事をしてきて、言葉で通じないことが有る。
音楽というものは世界のコミュニケーションができるものと思っていました。
鉱物資源の仕事の商品を扱っていましたので、音楽とは全く関係なかった。
ペルーに行き、ボランティアとしてハーモニカなどを20台届けたりしていました。(仕事をやっていて小学校のPTAの会長をしていた頃)
会社を早期退職して活動のためには音楽を勉強しなくてはいけないと思って、アルトサックスを習い始めました。
東南アジアのホテルに泊ると、バンドが演奏をしていて、フィリピンでは学校の教室でサックスを習ったりして、子供との交流をしたりしていました。
そこの校長先生から楽器が無いとの話を受けました。
日本に戻って、校長先生、PTA、行政などに協力してもらって楽器を集め始めました。(7年前)
フィリピンのほかにはアフリカのタンザニアに知り合いがいてやはり楽器が足りないとの話を受けました。
楽器は鍵盤ハーモニカをまず10台サンプルとして持って行きました。(4年前)
地元の音楽の先生に指導してもらいました。
どの様に活用されているか、隔年ぐらいに行くようにしています。
海外の在日本大使館のレセプションで12月に行ったときには、300~400名の来賓、政府要人の前で、子供達が日本の国歌、タンザニアの国歌、上を向いて歩こう、などを吹いてもらいました。
2回目には35台の鍵盤ハーモニカを持って行きました。
これで一つのパターンが出来たと思いました。
一昨年ウガンダに行って、ウガンダの日本大使館の協力を得て、最初から35台の鍵盤ハーモニカ、レコーダーを小学校に寄贈しました。
タンザニアは政府もしっかりしていて、安全で内戦はありません。

去年の5月にはモンゴルに行ってウランバートルの小学校に見本として取り合えず10台持って行きました。
仕事で世界を駆けまわっていた時に、言葉ではいくら話しあっても仲良くなってゆくのは難しいと思いました。
日本人として何ができるのかなあと思いました。
出来る限り多くの国に届けて、日本人の平和への願いを届けることは大事だと思いました。
平和は当たり前ではない、民間人として、ボランティアで平和外交している方たちはいっぱいいます。
楽器を色んな国に届けていこうと思いました。
オリンピックも大事だが、国と国との競争もあるし、音楽を聴けば理解しあえると思う。
子供にマシンガンを持たせるのではなく、鍵盤ハーモニカを持ってもらって音楽を奏でる子供達が育ってほしい。

モンゴルでは一般の小学校に5台、特殊学校に5台を届けて、吹き始めて聞いていて涙を流していた人がいました。
今年はロシアにも行きました。
ロシア人はどういう人達なのかと、語学の勉強もしながら、ハバロフスクから列車で38時間掛かってチタに行きました。
チタに1918~20年日本軍が駐屯していたが、モニュメントが10か所あり公園の様に綺麗にしていて、吃驚しました。
日本のものを大事にしてくれていて、皆さん優しい方で、勉強するにはいいところだとも思いました。(今年の3月から7月まで行って、大学生と一緒に勉強しました。)
そこの大学寮には外国人がいて、その人たちと知り合って、現地で応援してくれる人を探して、彼等に1台づつ渡して、活動する様に契約してきました。
国内でも参加してくれる市町村が増えてきました。
学校などは鍵盤ハーモニカを、市町村には市民の広報に載せていただいて、皆さんが持っている色々な楽器を寄贈していただきます。。

必ず現地を見て、そこにあった楽器を贈ろうと思っています。
そのあとのフォローアップをしっかりやっています。
在庫数の確認、どの様に使われているか。
行った時の費用、贈る費用などは全部自分で賄っています。
重量オーバーになっても無料で取り扱ってもらう様に交渉したりしています。
今アフリカには55カ国あります、国連に198カ国、先進国をのぞいて140ぐらいの国が有るが、そこに楽器を持って行ってそこで交流しましょうとの思いが有ります。
平和のために民間の外交官になったつもりで行きましょうと言うのが私の夢です。