2016年10月18日火曜日

花千代(フラワーアーティスト)      ・大胆、華麗に 転身人生(1)

花千代(フラワーアーティスト)      ・大胆、華麗に 転身人生(1)
花千代さんは今年12月に公開予定の映画モグラの歌などの映画や雑誌、サミット、APECなどの国際会議の装飾など、様々な場で活躍するフラワーデザイナーです。
会社勤めを経て、新橋の芸者を経てフラワーデザイナーになったという、異色の経歴の持ち主であることが注目されエッセーや雑誌連載など多数手掛けています。

フランスに留学する前は新橋で芸者をやっていて、千代菊という名前でした。
フランスで4年花の勉強をしましたが、判り易く花千代という名前にしました。
私が小さいころに離婚して、12歳から1年間母方の祖母の所で暮らして14歳から一人暮らしを始めました。(それにより精神的に自立しました)
経済的には父親が負担しました。
家に帰ると食事を作り、何から何まで自分でやりました。
家族の温もりからは断絶していました。
世界文学全集、日本文学全集から始まって、トルストイ、森鴎外、夏目漱石などを読んで、自分とは、人生とは、人間関係とは、生きるとは何だろうとぼんやり思っていたことが、愛、死、哲学、宗教、生き方などが本を開けさえすれば一緒に考えることができた、そういう世界が有ったと言う事で世の中は広い、色んな考え方、様々な人間がいると言う事が、心の慰めにもなったし、作者との対話を感じていた。
本に没頭できたことは、その後の影響に大きかったと思う。

考える癖、一人でも孤独に対しタフにいられる癖が出来ました。
父の再婚相手が母の妹で複雑な思いでした。
20歳を経て芸者の世界に入り、裏から見ることができると、人を先入観で決めつけない、一般的モラルで言うと世間的には×と言われる人でも、それなりに理由があるだろうと言う事であまり人をジャッジしなくなった。(多面的にみる)
人間ですから正しいことをやったり間違ったことをやる訳ですから。

谷崎潤一郎  行燈の陰影の中で美しく見えるものにスポットをあびらせることが日本のいい面なのではではなかったんだろうかと、耽美的な美の魅力にとりこになった時期が有ります。
永井荷風 「新橋夜話」芸者の世界を描いていて、それがのちに芸者になる時の素地になりました。
高校時代、遠縁の叔母が新橋演舞場の切符をくれて、本物の芸者が舞台で踊っている場面を見ていいなあと思っていたが、調べたら芸者になる人がいなくて、彼女らは危惧していていた。
高校卒業後、事務の仕事をしていたが、半年で会社の仕組みを感じて、ここは一生いるところではないと感じました。
日本の名料亭の本を読んでいたら、いい料亭が目にとまり、その日にそこに電話をした。
大きな会社の奥さんかお嬢さんと勘違いされたが、女将さんに繋がり芸者になりたいと話したら一回会って見ようと言う事になり、10数年芸者として仕事をして売れっ子芸者になりました。

芸者さんは10代で日本舞踊、三味線など何らかの伝統芸能をやっている人が多いが、私は何もできないのでかなり後れを取っていました。
旨いレベルに行く事は無理だと思って、御座敷をもりあげてゆく才覚、この人は一体何を言いたいとか、芸者は社交能力が大事なので、社交能力を頑張れば磨けるのではないかと思って、更に本を読んだり新聞を隅々まで読んだり、歌舞伎座、オペラ、新しいアート、コンサートなどに全部費やして、どんな方が来ても知っていた方がいいと思って、勉強して座が白けた時にキーワードが投げかけられるようなことが上手だと言われました。
もともと持っていた本能と、14歳から一人で暮らしてきたことに依る考え方の癖も幸いしたと思います。

自分に大きく影響を及ぼしたのは人との出会いです、会社にいたら会えない様な色んな業界で、政治家、企業の社長さん、絵描き、作家、歌舞伎役者など、血の滲むような努力をしてその業界のトップ、1%に入るということは大変な努力をしているので、そういった人は人間的な厚みと魅力があるので、そういった方に囲まれて12年間育ったということは、凄い勉強、影響を受けました。
その後パリに行っても、起業しても、色んな国で仕事をしていますが、全てベースになっています。
32歳で芸者をリタイアが、1回でも勝負したことが有るのかということがむくむくとしてきて、はやってきたお座敷カラオケが嫌いで、自分のやりたいこともできないし、お客さんの質も変わってきたのかなあと思い、7~8ケ月根回しして32歳の時に芸者を辞めました。

フランスに住んでみたいと思いました。
フランスは異邦人に対しても文化を尊敬する国民なので、和の文化の伝道者的(日本舞踊は名取り、三味線が弾けたし、目をつぶって10分で和服を着れた)にはなっていたと思って、フランスに渡り、1年目で日常会話ができるようになって、花と出会って2年目からはフラワースクールに入って国家試験に通って、研修して4年間フランスにいて、日本に帰ってきて「花千代」という会社を立ち上げました。
日本家屋では花の飾るところは床の間が主で決まっていて、フランスに行って吃驚したのは、或る人に出会って友達となり、ご主人の誕生日のパーティーに来てほしいと言われた。
サプライズをしたいとパリからフラワーアーティストを呼んで、屋敷中花で飾り付けをしていて、何百本のバラとか、室内全部が花で装飾されていて吃驚した。

感動して2週間後にはパリに行って入学手続きをしていました。
学校に2年通っている間に国家試験を受けてすんなり受かって、花屋さんに研修生として行きました。
高級住宅街で花屋さんのプロの手で自宅を花で飾る年間契約をすることが有って、パリのブルジョアの自宅拝見することが出来ました。(美しい花が常にある)
凄かったのがサウジアラビアの方がいて世界に色んなところに家を持っていて、パリにも家を持っていて年に4回来るが、プチホテルの様な一軒家で、ゲストルームだけでも12部屋あって、入口から、全ての部屋に飾っていて、一回の滞在だけでも花が何百万円になる。
娘の誕生日ということで、娘が可愛がっているハムスターの飾り付けしたいといって来る人もいます。

命の長さをどう考えるか、生きているのは限りがあるので、今何かを恐れて居るためにためらって制限をしてしまうと、違う世界に行けたかもしれない可能性を全部潰していることの恐ろしさの方が、大変だと思う。
転身して失敗しても人生は一回きりですからね。
やる前から駄目だと思う事が全て駄目にしていると思う。
好きなことに対する情熱は光ってくるので、光はだれか見ていて引き寄せる。
明るくて、温かくてパワーを発してるものには自然と人は引き寄せられる。