野村道子(声優) ・時代を創った声(8回目)
ドラえもんのしずかちゃんやサザエさんのワカメちゃんなどを長年演じてこられました。
ドラえもんのしずかちゃんを26年間、サザエさんのワカメちゃんを29年間演じるなど様々な作品に出演してきました。
最初は何年も続くとは聞いてなくて、6カ月ぐらいは、1年になりましてという事で嬉しいという感じが、3,4年経ってくると誰も何も言わなくなり、大きな存在になってきます。
難しさと楽しさを両方味わい、体調が悪い時もありますが、終わってみて、緊張感のある生活をずーっとして来たんだなということが判りました。
しずかちゃんはお嬢さんだし、ワカメちゃんは庶民的で、キャラクターの作り方はして来たので、二つやってきて、私が二つやってきたことを知らなかったりして、これはしめたもんだなと思いました。
しずかちゃんの方が私に近いなあというのはありましたので、しずかちゃんの方がやり易かったです。
ササエさん役の加藤さんはそのまんまで、パワフルです。
「のびたさん」という様に呼び方を定着したのは、知らぬ間に自然とやりました。
中学、高校は演劇部にいました。
高校生でTV局に見学に行ったりして、何となく入れたのかなという気がします。
杉浦直樹さんが放送部のコーチで来てましたので、そこにも出演して、お話しをさせていただいたりしました。
高校卒業後、自然に劇団に入りました。
20歳ぐらいで、女学生の役とか時代劇だと茶屋の娘としてTVに出ていました。
朝、7時50分から天気予報で3年間毎日やりました。
お天気おねえさんを、30人ぐらいのオーディションを受けて、担当することになりました。
その頃は劇団を辞めてプロダクションに入りました。
生なので台風が来る時が大変でした、毎日顔をだしてやるということは、凄い大変なことです、他にも仕事をしているので、寝不足だったり、覚える事もあったし、若いから出来たと思います。
朝、8時に終わるので他のドラマなどが段々できなくなりました。
段々声の仕事にシフトしていきました。
身体がでる仕事は容姿が問題になり、役が決まってきている傾向が有ったので、これはいいチャンスだと思いました。
一つの作品を皆で作るということが有り、トチらない様にという緊張感もあり、本当に楽しかったです。
今はDVDを渡され家で勉強して、来た時には一回合わせて、次は本番という様にスピーディーなので、あれだと自分の良さも出ないし、人のセリフを聞いている余裕が無い。
昔の作品が良かったねと言われるのは、先輩のアドバイスをしてくれたりするのを聞きながら出来た時代だったので、そういったことが懐かしいと思います。
サザエさんなどの最初のころは、それぞれ皆さんが主演作品を持っていたので、集まった時にあっこう来るのかとか、緊張感が有り、そのなかで自分を確立してゆく心地よさが有りました。
主人(内海賢仁)が亡くなって3年になります。
出会いはレギュラーが一緒だったのが、「マッハGOGOGO」と言う番組で、私がヒロインで毎週会っていたので、段々付き合う様になりました。
友達としては最高の友達だと思いました。(9年間の付き合い)
兎に角暖かい人でしたので、居心地のいい結婚生活でした。
凄い人見知りなので、それを隠そうとして仕草が大げさになってしまうようでした。
40代で子育てしながら、夫がプロダクションを始めて、家庭のこと、プロダクションのかじ取りもやらなくてはいけなくて、とにかく忙しくてその頃のことは覚えていないです。(約10年間ぐらい)
現場にも子供を連れていったりもしました。(周りからの協力もありました)
その時は大変だったと思うけれど、今考えてみるとそんなことは考えないので。
一日が密だったと思います。
母が死んだときもサザエさんなどにでていたので、私がおりる2~3年前からおりたいといっていたが、ドラえもんが終わると言う時点でサザエさんもおりるという事で、サザエさんも辞める事にしました。
淋しさはどっかにありましたが、新しい生活が始まるぞ、という様な思いが結構強かったです。
66歳になり、こういった声も辛いなと思う様になった時期でもあり、潮時だなあと思いました。
洋画でも自分らしさを出すことは、大事だと思います。
若い人に対しては、色んな経験、色んな人に接しないと、味は出てこないと思います。
若い人は早く仕事をしたいと言う焦りが有るが、もっと他にやることが有るでしょうと、言っても駄目ですね。
焦らないでじっくり出来たらいいなあと思いますが、時代がそうじゃないですね、難しいです。
感性が有り、魅力的な声の有る人はなかなかいない、そういった声はその人の生活、性格から出てくると思うので、先ず人間を磨きなさいと言うことしか、言えないと思います。