2016年10月3日月曜日

保阪正康(ノンフィクション作家)   ・昭和史を味わう、第34回(東京オリンピック)

保阪正康(ノンフィクション作家)  ・昭和史を味わう、第34回(東京オリンピック)
昭和39年東京オリンピック 10月10日開催。
オリンピックには二つの大きな要因がある。
①平和の祭典である。 
昭和15年に東京オリンピックを開催する予定だったが戦争のため中止になる。
②欧米主導だったが、はじめてアジアで開かれた。
94の国と地域が参加する一番大きな規模だった。
5500人ぐらいの選手が参加。
国立競技場の開会式には約74000人の観客が集まった。

*TVとラジオの実況放送を再放送。

光景は自分達が初めて何か大きな世界と出会っているという感動を感じます。
アメリカ、ソ連に次いで3番目の金メダル16個を取る。
体操、レスリング、バレーとかいくつかの競技ではかなり強い実力を示したが、水泳、陸上は淋しかったのは残念だった。
チャスラフスカ選手(当時22歳)、愛らしい表情が日本人の心に訴えていた。(今年8/30に亡くなる)
チェコの民主化に姿勢が一貫していて、政府に弾圧されたりした。
彼女も日本が好きになったようだ。
女子バレーボール、(東洋の魔女) 視聴率が80%を越えた。
社会がストップ状態になったと言われる。
ソ連に3-0のストレート勝ちする。
大松監督の厳しい練習が後に明らかになったが、選手達もよく付いて行った。
日本人が一所懸命働いたという社会背景とも関係あるのかなあという気もします。

陸上マラソン、今でも忘れられないことが二つあって、
①エチオピアのアべべ選手の走り方、宗教家が何かを求めている様な走る姿、
②2位が円谷選手、 3位のイギリスのベイジル・ヒートリー選手が、国立競技場に入ってきたが、
競技場内で抜かれてしまう光景。
期待にこたえられなかったという事で心理的に追い詰められてか自殺してしまうが、遺書にはここまでこの選手は追いつめられたのかと思って気の毒になりました。

柔道、決勝で神永選手が無差別級でオランダのヘーシンクに負けてしまった。

閉会式
国別が壊れて個人個人が自由に行進する、国の枠が取れてオリンピックの本当の姿というのはここにあるのかという感じがしました。
パラリンピックが第二回目として行われる。

東京五輪音頭
NHKが公募、島根県庁勤務の宮田隆さんの詩が入選、古賀政男さんが曲を付ける。
宮田隆さんは戦時中フィリピンで捕虜生活を送って餓死寸前の厳しい体験をした。
三波春夫さんもシベリヤ抑留者で過酷な生活をしていた。
そういった背景を考えると、オリンピックの本当の意味は、平和の祭典という意味はそこにあったんだなあと、改めて感じます。

当時の世相
昭和39年4月1日から海外旅行の自由化が始まる。
日本人が誰でも国際社会に入っていける、外国の人と接する、外国の現実を見てくる事と言うことが可能になったということは、第二の開国と言う人がいるぐらい。(高根の花ではあったが)
昭和39年4月28日 OECDの21番目の加盟国になる。(先進国への仲間入り)
10月15日 フルシチョフ首相が解任される。
10月16日、中国で初の原爆実験が行われる。(オリンピックをにらんだ行為と思われる)
NHK大河ドラマは「赤穂浪士」 主演 長谷川一夫、テーマ音楽 芥川也寸志。
GHQの占領下では一番やってはいけないテーマだった。(仇討、武士道)
精神的自由がでてくるようになる。