2016年10月26日水曜日

今井敬潤(大阪府立大学大学院客員研究員) ・“柿の力”を再発見(2)

今井敬潤(大阪府立大学大学院客員研究員) ・“柿の力”を再発見(2)
柿渋というのは青いうちの柿を潰して、しばらく置いておいて(1週間)、タンニンがじわっと出て絞って発酵させて、熟成させて出来上ったものが柿渋です。
潰して1週間位でブクブク泡がでてきて、アルコール発酵、次に嫌なにおいがしてきて酢酸発酵、次に酪酸発酵、プロピオン酸発酵など 主だった発酵が終わるのが1カ月。
ひとまず終わるのが3カ月~半年ぐらい。
初めは緑色、灰色をしていたのが褐色になって、独特の臭いがします。
柿渋を身の回りのものに使った。
防水防腐効果があるので、主に魚網に使ったり、繊維の上に被膜を張らせた。
柿渋はお盆過ぎから作り始める。
紙に塗って、江戸時代ならば紙衣(かみこ) 軽いので防寒にもなった。(布の様に使った)
渋団扇、非常に強度が有った。
渋紙はどこでも利用できた。(敷物、かいこを飼う時に防寒のためにカーテンの様に垂らす、物を包む、防湿の役割を果たす)
酒屋では酒を造る時は、もろみの絞り袋に使った。(量が多かった) 醤油でも同様。
黒板塀は柿渋が塗られていた。
城を作る時にも防腐として使われた。

ベンガル柿(インド)は漁網に使われいて、柿渋は日本で作られたとはいえないが、タンニンを使うのは各地で使われ、他にはこれほど細かく使われたのは無いです。
小紋染めには型紙が必要でそれを作るのに、和紙を3~4枚重ねるときにも柿渋を使うが、粘着力が有り硬い、それを彫刻刀で彫って作る。
戦後になるといい塗料が出来て、合成繊維ができてきて、防腐をする必要が無くなり、一気にそう言う用途は減ってしまった。
渋塗り職人は一気にペンキ屋さんに変わった。
昭和40年ぐらいから清酒を作る時に、「さえ」、とか「てリ」とかを強調する時代になり、柿渋がおり下げ材(澄ませる)として重宝されるようになってきた。
今も使われています、清澄剤が新たに開発されるが。やはり柿渋がメインになっています。

昭和50年代に半ばに柿渋は凄いと調べ始めました。
仕事として柿渋を作っていた人に聞けたのは、当時で80歳ぐらいの人達でした。
先ずはどんなふうにして作られてきたのかとか、材料は何なんなのか、どういう点が難しい問題なのか、どんな利用法があるのか 聞いて、資料を纏めて、「柿渋」という本にして出しました。
当時酒蔵に行くと、木綿の使い古しの袋が積んであって欲しい人は持って行っていいよといった状態だったが、そのうち一袋8000円もしたが、それも今は無いです。
柿渋染めが話題になって来て、一過性なものと思っていたが静かなブームが続いています。
外国人も興味を持って、ルーブル美術館の関係の方が家に尋ねてこられましたが、外国人にも何か魅かれる色の様です。
天然塗料として、建築関係の利用があちこちで行われてきています。
タンニンはホルムアルデヒドと旨く結合する性質が有ります。
プレハブ住宅の中に渋紙を貼って、ホルムアルデヒドを規定量入れて、吸着の実験をすることになり、吸着能力が実証された。
天然塗料として注目されるようになった。

丸森町、町おこしとして小規模ですが、柿渋の商品化、柿渋石鹸も作っています。
自分の地域の歴史を調べて、そんな力が有ったのかと驚いて、動きがでてくる。
2005年から始めて15年近く経って安定して作っています。
柿渋の新しい使い方、重金属と結び付くと言う特性もある、ノロウイルスに対する抗菌性とかもあるので、柿渋の文化があるという上に立って色んな利用が進めばいいかなあと思っています。