2016年10月12日水曜日

荒澤光利(保育士)           ・第二の人生はおじいちゃん保育士

荒澤光利(保育士)           ・第二の人生はおじいちゃん保育士
68歳、静岡県の職員を定年退職した荒澤さんは孫の育児を手伝ったことがきっかけとなり、保育士を目指すことを決意しました。
2年がかりで保育士の国家試験に挑戦し合格、去年4月から静岡市内の保育園でおじいちゃん先生として1歳児の保育を担当しています。
第二の人生として保育士を選択したのは何故か、今の生きがいは何か伺いました。

1歳児の特徴は、言葉がでてきて、おむつが外れないが心身共にグーッと成長する年頃です。
大学卒業後、静岡県庁に就職、米の減反のセクションに入って、その後難病の事、非行防止、訴訟生活相談等をやってきました。
昭和48年職場結婚、子育てもタッチしなかった。
10年ちょっとで妻が脳腫瘍になり、子供二人を残して死んでしまった。
数年後、再婚して現在に至っています。
子供のことはまかせっきりだった。
60歳で定年退職、平成21年3月31日。
長女が初孫を身ごもっていたが、出血して、病院に入院して、その後3ケ月で元気な子を産んでくれました。
再雇用で広報課に再就職しました。
孫が1歳3カ月の時に長女が看護士として職場復帰したが、孫の具合が悪かったりすると、手伝いなどをしていた。
ボランティアとして出来ればと思ったが、勉強して保育士をとれば預ける方も安心すると思った。

保育士の過去問題を見て、取れるかなあと思った。
保育士を目指す学校に毎週一回行って勉強を開始しました。
なかなか頭に入ってこないので、過去問題の練習問題をやったりして成績もよくなってきました。
学科試験は10科目あり、1科目20問、社会福祉理論、養護理論、発達心理学など10科目。
11月から始めて8月が受験日で、1年目で受かろうと思っていたが、6科目は良かったが、4科目は足りなくて合格できなかった。
実技の勉強も始めました、音楽、言語、絵画の内、2つを選んでやるわけですが、言語と音楽を選びました。
「大きなかぶ」という話を選んで、話す練習をしました。
音楽は課題曲が2曲出るが、使う楽器がピアノ、アコーディオン、アコースティックギターのいずれかで弾きがたって歌う。
ギターを少しやってた経験があるので、ギター教室に行きました。

2年目学科が受かって、実技試県には150名がいてほとんど若い女性、男性も若い男性で高齢者は私一人でした。
ピアノが圧倒的に多くて、ギターはほとんどいませんでした、これが幸いしたのか、受かることが出来ました。(64歳)
県庁の先輩だった人から声がかかって、保育園に行くようになりました。
去年の4月から仕事を始めました。
働いているお母さん方の希望を聞いて、保育所として受け入れるが、途中で送りをして、二時頃に再び受け入れる、国の認定子供園の走りみたいなことをやっていた。
2年目に1歳児を朝から6時間までをやるようになりました。
最初は身体が動かなくなる様になるまで疲れました。
辞めようかなとも思っていたが、我慢して3カ月やっているうちに、ボーナスがでて、もう半年やろうと思った。
身体も慣れてきて、大変さは無くなりました。

周りは若い女性だらけですが、あまり気にしないでやっています。
子供たちともフレンドリーに家のおじいちゃんの様に接しています。
こちらがその子に愛情を注げば判ってくれる、怒る時も貴方が大事で、覚えてほしいから怒るんだと、気持ちを込めてそうします。
優しい気持ちを持てる子になってほしいと思っています。
愛情を注がれてきた子は大人になると優しくて力強くて親離れが早くて自立すると信じているのでそういう風に接しています。
待機児童、保育士の不足の問題。
潜在保育士の掘り起こし、高齢者を活用できないか。
全科目対応できるようにでは無くて、音楽とかを省いても対応できるようにするとか、もっとハードルを下げることも必要ではないか。