井上澄子(八戸南部裂織工房代表) ・“南部裂織”の美
昭和10年北海道斜里町生まれ、81歳を迎えた今も南部裂織の製作を続け技術の継承や後進の指導に取り組んでいます。
井上さんは服飾デザイナーを目指し釧路市の和洋裁学校に学びました。
そこで知り合った今は亡き井上修司?さんと結婚し、八戸市で洋品店を開業しました。
商売と子育ての忙しい日々を送っていた井上さんが南部裂織に出会ったのは41歳の時でした。
井上さんは古い布を活かし美しい布に再生する技法に感動し、以来南部裂織の研究に没頭しました。
そして20年後に製作した故郷の山北海道の斜里岳の夕焼けを織り込んだタペストリーで現代工芸作家協会の新人賞を受賞されました。
この受賞に依って江戸時代の南部地方の農村に生まれた南部裂織が日本の伝統工芸品として認められるきっかけになったのではないかと、云います。
井上さんは南部裂織を次の世代に残したいと、八戸市の文化を発信する拠点に裂織教室を開き地元の主婦とはたを織り続けています。
南部裂織に出会って約40年過ぎました。
まだまだ織りたいものがあるのでこれからです。
古い機織り機で自分の身体と織り機と一体になって反物を織る機械で地機(じばた)と言います。
長さ1.3m、幅1m弱、高さが1mぐらい、全国でよく見る機織り機。
縦糸(新しい糸)が3本(ピンク、ブルー、グリーン)そこに古い布(横糸になる)を入れてゆく。
古い布に1cm幅の鋏をちょっと入れて裂きます、一本の糸になります。
化繊などが有ると裂けないので、鋏で切りますが、裂いたものが本物です。
自分の身体を操作して編みます、織り機と一体でないと良い作品はできない。
横布を入れて、順次織って行きますが、凄く時間がかかります。
江戸時代の作品が有ります。(こたつ掛け)
知り合いの方のところにありましたが、研究しようと貰い受けて、真黒になっていましたが3日洗ったら段々と色がでてきて、藍染で、縦糸が麻糸で織っていて、赤い色も入っていました。
農閑期に織った様です。
絶対これは教科書になると思いました。
他に、袋物など皆さんが公民館で織ったものがここに有ります。
手のかからないもので、家庭に密着したものの見本を作りましたが10年掛かりました。
八戸は港なので、大漁旗をなびかせて漁にいったが、30年、40年して使わなくなったものを頂いて、皆さんに織っていただいています。
織っているうちに、布が表現してくれます、布との出会いなんです。
織りは10人10色、女性の個性がそのまま出てくる、プラス布の個性が発揮できる。
苦しい時もあるけど楽しいです。
頼まれて期限に間に合わないときには厳しいです、必死になりますが、それがあるからいいのかなとも思います。
追い込まれた方がいい作品ができるのかもしれません。(展示会などもそうかも)
そろそろ雪が来るころかなあという頃が夕焼けが一番綺麗です。
62歳の時に斜里岳の夕焼けの景色を南部裂織に織りこむ。
150種類の色が入っています。
現代工芸作家協会の新人賞を受賞して、ウイーンでも展示された。
写真はウイーンの展示会で受賞したもの 横1.5m 縦1.4m 中央に斜里岳のシルエット、上空が赤く染まっている。
故郷に帰りたくても帰れないので想いを込めました。
デザイナーになりたくて、釧路市の和洋裁専門学校に行って、布を買う必要が有り井上洋裁店にバイトに行って、そのうちに自分でもお嫁に行こうかと思って、結婚して主人の兄が八戸にいたので開業しようと八戸に来ました。
盛岡で編み物業界では講習が有り、行った時に変わった織り方のものが有り、聞いたら裂いて織ったと言う事でした。
財布を買ってきたが丈夫だし肌触りはいいし、こんなものを織りたいと思った。
裂織教室をやっていると言う事を聞いてすぐに電話しました。
毎日行かれないので1週間に2~3回通って5年掛かりました。
公民館で手芸教室の講座を頼まれてやっていたが、南部裂織は趣味のつもりでした。
南部裂織を講座で取り上げてもらいたいと言う事になって、公民館で南部裂織の講座を開いて22年になります。
62歳で現代工芸作家協会の新人賞を受賞。
大会が有ると色々なところに行って南部裂織の良さを宣伝しました。
八戸市の中心部にある「はっち」(「八戸ポータルミュージアム」)でこういう伝統が有ると言う事で、製作してもらったり、紹介しています。
残して行かなくてはいけない伝統文化だと思っています。
八戸工業大学の人が南部裂織を研究したいと言う事で、織り機を使って研究しています。
その発表会も11月にあります。