大屋 進(NPO鎌倉広町の森市民の会)・鎌倉の里山を守る
80歳 首都圏では他に類を見ない豊かな生態系をはぐくむ鎌倉西南部にひろがる広大な丘陵地、鎌倉広町の森に、40数年前宅地開発計画が浮上しました。
開発反対の先頭に立ったのはその数年前に広町近くに移り住んだ大屋さんです。
山桜の花や蛍の光、鳥や蛙の声を季節ごとに故郷の富山と同じように楽しんでいた大屋さんは
一度破壊されたら、自然は元に戻らないと、市や業者に宅地開発を止めるよう申し入れ開発反対の署名運動を始めました。
その後長い話し合いが続けられ、2003年大屋さんたちは広町の森市民協議会を正式に設立して、市と交渉した結果、鎌倉市の土地開発公社が代行取得し、それを住民が整備し、里山として田んぼ、畑、森、水路、散策路などを復元し、維持してゆく事とになりました。
新聞広告で宅地分譲しているのを見て、見に行ったら駅に近ければ東京への通勤は可能かなと思った。(モノレールが開通していて、自然が豊かだった)
江ノ電はここから20分掛かります、藤沢市の境です。
鎌倉では谷の事を谷戸と言いますが、山、湧き水もあるし谷戸もあって自然の豊かなところで、色々な生物が住みやすい。
1973年、移り住んで2年後に宅地開発の話が持ち上がった。
自然を壊されることは嫌だと言うことで、鎌倉らしさを維持したいと、周辺の住民たちの運動が起きて大きな流れになってゆきました。
60ヘクタール在り、東京ドーム10個以上になります。
開発業者が個人の地主から買い取って、宅地業者の土地だったんです。
市としては住宅にする事について止める手段はなかった。
市に買い取ってほしいと言ったら400億円かかると言われてしまった。
住民運動にして行こうと言う事だったが、男性は仕事で家にいないので、女性軍が最初にスタートして、男性軍が追いかけるスタイルになった。
先ず、市民集会をやり話し合いをしました。
署名運動もしました、10万人署名を何回かやりました。
市民集会が4回、署名運動が3回、国、県、市とか行政機関に対して陳情、環境省、業者にお金を貸す銀行にも行きました。
平日なので女性が主体で男性は何人か会社を休んでいきました。
鎌倉の自然を守ることに賛同していただこうと、運動協議会を作ろうと、設立の働きかけをしました。
130人が賛同してアクションをして開発反対ののろしを上げました。
協議会の会員が1000名を越しました。
正会員は3000円、普通会員は1000円で120~130万円(寄付金を含め)集まりました。
新聞、ちらしをだすとか、何回となく市との交渉などに費やしました。
買い取って居ないエリアについて、田畑の復元、山の散策コース、谷戸の小道の手入れをしてゆく事を市に話をして実行してゆく。(道具、部材、倉庫などの購入にも会費を投入)
バブル崩壊で買い取れないのかとの運動もして、県、国に対してお金をだしてもらえないかと陳情し、金融庁には不動産業者に金を貸すのを止めてほしいと、銀行には融資を止めてほしいと働きかけを行いましたが、ハイ判りましたとは行かないで長い間かかりました。
協議会の役員を20名にして、いつも集まって喧々諤々議論をしながら運動の方向付けをしました。
土地の値段が下がってきて、緑地を残そうという動きも重なり、国、県の補助を得て鎌倉市が買い取ることになり、113億円で買い取りました。
市は借金をしてたので土地に手がつけられないので、山、田畑、散策路の手入れなどに市民から話しかけてボランティアで出来る範囲でやることになる。(完全返済期間が8~10年間)
手入れの分科会をつくって広報で呼びかけてもらって、ボランティア活動をしています。
田、300坪、 畑500坪ぐらいしか出来ていません。
桜の植樹などのボランティア活動もやっています。
地元の中学生、高校生などのボランティアも行われています。
子供たちは遊ぶと同時に自然と触れ合う事を全身で感じています。
昨年鎌倉市が都市林公園として認知して、予算を取ってくれて、管理棟を作ってくれました。
今年4月から具体的に公園を維持管理するための予算を投じて、森の維持管理に関するアクションを取ってくれました。(きつい階段など、ボランティアと棲み分け)
市とボランティアメンバーとの話し合いが常時行われて一体感が出来ました。
理事長は任期4年、エネルギーが落ちてくる、マンネリ化する、など弊害が有るので常に新しい血が入る様に、常に活性化するようにしている。
ボランティア活動を継続する為には、いつもメンバーの新陳代謝と、若い人が率先してやる雰囲気を作り上げてゆく事が大事です。
青空保育園が有りますが、建物は無くて、この広町緑地が保育園なんです。
ここで自然を学び、本を読んだり、山を歩いたりして、子供の保育をしています。
子供達へのバックアップもしています