玄侑宗久、柳美里、和合亮一(作家、詩人) ・ふくしまにまなぶ ふくしまでまなぶ
トークイベント
震災と東京電力福島第一原発の事故から間もなく5年半、福島県に住まいを構える3人は今何を語るのでしょうか?
発起人 和合亮一さん
和合:文学の立場で先ず皆で語り合って、それをこれから広げて行きたいと願っています。
玄侑:一旦思ったことを、改めてもう一回ちゃんと情報を得て思い直すことが、今帰還困難区域とか戻れるようにあちこちなってくるにあたって、新たな情報と新たな思いが必要じゃないのかなあと思います。
柳:あえて南相馬に来た理由、震災から一か月後から通い始めて、地元の臨時災害放送局のFM番組で地元の方と話をする内容ですが、いろんな人間関係ができてきて、友情をはぐくんで来るうちに、地元の方の苦楽が、暮らしてみなければ判らないのかなあと思って家族で移住する事にしました。
柳:2011年4月21日に警戒区域に設定する前に歩きました。
三春に向かって滝桜を見に行って、そのあとに玄侑さんのお寺に樹齢450年ぐらいの紅枝垂れ桜が有ると聞いたので見に行きたいと思ったが迷ってしまった。
中学生の女の子に聞いたら黙って彼女が歩きだして付いて行ったら、初めて口を聞いて玄侑さんのお寺ですと言って、帰ってゆきました。
南相馬に住み始めて1年半になります。
それまでは鎌倉に住んでいましたが、漁港がそばにあるんですが、南相馬では魚屋さんに皆皿をもって並んでいて、眼の前で切ってくれる
手間がかかるだろうにと思うが、この街は舌が肥えているから手が抜けないと言っていました。
洋服屋さんでも手間をかけることをするし、経済原則ではない繋がりの中で街が形成されている。
残っている店は志が高い、いいものをつくっています。
7月12日に避難指示が解除されたがなかなか 1割ぐらいではないでしょうか。
玄侑:一番最初に詳しいことを学ぶ前に、出るのか出ないのかという決断を迫られて、出る結論をだした人と、残ることに決めた人がいて、自分が出した結論は尊重したいと言う事で、確認バイアスというらしいが、出した結論を肯定する様な情報をそれぞれ集めてゆく。
どんどん分断してしまったというものを、もう一度思い直す、一旦こうだと思ったことをほどいてかんがえなおすということが今求められているのではないかと言う気がする。
放射線の専門家たちにもう一回登場してもらいたいと思う。
震災直後の状況と、5年がたってその思い。
当初は本当に判らないと言う事が有って第一原発は爆発するのではないのか、というようなおびえの中でどうしたらいいのという結論をだしたが、今は落ち着いて放射線というものとちゃんと向き合えるんじゃないかと思います。(はっきりいって忘れて暮らしているが)
和合:震災後から福島の話、ツイッターで書いているものを朗読させて頂いたが、最近は震災の話をするにしても希望を語る様な、そんな話をしてほしいと最近言われるようなことも多くなりました。
柳さんの「ねこのおうち」 どんなきっかけで纏めようとしたのでしょうか。
柳:書くまでに時間がかかっていて、最初の2編は8年前 震災前、震災をはさんで後の2編を書きました。
地元で臨時災害放送局の南相馬ひばりエフエムの「柳美里のふたりとひとり」という番組のパーソナリティーを担当していて、220回に近づいているので、毎回二人に出て頂くので440人の人に話を伺っている。
津波に遭われて家族を失ったり、家財を失ったり、原発事故で仮設住宅に今もお住まいであるとか、そういう方に私の以前書いたもの、なかなか読んでくださいとは言い難かった。
今苦しんでいる人悲しんでいる人に渡せる物語を書きたいと思って書いたのが「ねこのおうち」なんです。
玄侑:「ねこのおうち」読みましたが、人間を扱うと誰の物語ということになるが、猫になるとどんな名前の猫がでてきても読み終わってしばらく経つと、命の話だなあという感じがする。
うちの山のところにも、虫たちがやけに出てきて、人間というよりもその頃、虫とかに目が行った。
小さな生き物に焦点が有る様になったのは震災以降です。
草はらに塩水がかかって虫は全部死んだのではないかと言っておる人達がいたが、蝉は減った気配はないし、コウロギが同期して鳴くのを聞いて全然死んでないと思って、強いなあと思ったことが大きかったと思います。
柳:私も小さなものに、目がぱっと合うんですね。
冷蔵庫の扉を開けた所に蚊が落ちていて、間違えて冷蔵庫に飛びこんだのかと思って、掌に乗せていたらもぞもぞしてきた。
蚊がいきを吹き返して、そとに飛びたたせた。
私は在日韓国人で父母も国を捨てて日本に来て各地を転々としたが、何故この場所に住んだんだろうと、すごく考えますし、逆に執着します。
玄侑:東日本大震災というのは阪神でも熊本でも起こっていない重大なことは、遺体が無いのに亡くなったものと思わなければいけないと言う、死亡届は遺体が無くても今回出せたわけですが、出さないと言う人がいまだに2500人以上いるんです。
これは異常な事態です、行方不明と変わらないわけです。
遺体を見ていない、触れていない、抱きしめていないと言うことなんだと思うんです。
柳:女川の方 お母さんがまだ見つからない、今見つかったら私の心が持たないから母は出てこないのではないかと、思っている、とおっしゃった言葉が残っています。
それを聞いた時にその前で泣きだしました。
その姿を見て彼女は泣いただけにしないでください、知ったと言う事には責任が伴いますよねとおっしゃった、その言葉は重く残っています。
除染、原発の終息作業にしても先の長い話なので、自分としてはなにができるだろうと言う風に考えるしかないが、書店ができないかなあと思っています。
土地の問題が有るが探しています。
買わなくても、ふらっと立ち読みでも出来る。(商売として成立させようとは思っていない)
私がいいと思う本をずーっと置くとかすると他県からも来るのではないかと思う。
2011年以前には無かったものが、出来たと言う風になればちょっと象徴ということになるのでは。
玄侑:荘子が好きで、これが自分だと思った自分をいかに壊してゆくか、いかにもう一回チャラにして組み立て直すのか、自分から自分を解脱する為の本だと思う。
何年も、前に思いこんだまま過ごすことって、物凄くもったいない。
もう一回チャラになる、改めて向き合う、そのことが大事だと思う。
行政、政府がやることは、避難計画を細かくすると言う事で、私達が震災を経て思ったことは結局直感だよなというか、二度と同じことは起こらないし、何のマニュアルも役に立たないし、そういう意味で一人、一人が持っている力をもっと信じたい。
現在あるほのかな気配、それを動物たちは感じて一早く非難したりするのを見て、人間もようやく気がつくが、どんどん直感を使わなくていい世界に行っている。
猫、虫とかが気になるのは、何のマニュアルも、計画もなく直感で生きていて、それがうらやましい。
直感を磨くと言う方向に行ってほしいと思っている。
和合:一番直感をあらためて感じたのは、20年詩を書いてきて震災を経験して、6日後に詩を書き始めて皆さんに読んでいただいたが、直感しかなかった。
沢山の方が涙を流している状況の中で直感だけが自分として立っているような印象が有りました。
柳:故郷という言葉は自分にとって重い言葉で、国の問題もありますし、私は南相馬に居を構えていて、生活の中で見る風景を愛しているし思い入れています。
原発事故以前の姿は知らないが、暮らしてみて、以前の美しさが良く見えるようになった。
それを作品にしてゆきたいし、街の一員として出来ることをしたいと思っていて本屋を思いつきました。
玄侑:私にとって故郷はやがて帰る場所なので、こういう私になる前の、命の本体、そこにいずれ帰るということはいつも意識します。
命が活発に働く事を邪魔しているのが、私、だから我々は私を無くすためにお経を唱えたり座禅したりしますが、命がうまく発揮できるように、私がいなくなるという時間を大事にしたいと思っている。
夢中になって何かをしているときには私は居なくなる。
それが故郷だと思っています。
孤独はつきものです、感じなさい、考えなさい、新しいことを思いきってやりなさい、新しいことしかこの震災は残らない、残せない、新しいことを思いきってやりなさい、新しいことを福島の皆で分かち合いながら発信してゆきましょう。