2016年9月23日金曜日

望月暁云(書家)        ・ドラマでも書家を育てた!

望月暁云(書家)        ・ドラマでも書家を育てた!
昭和30年にNHKの総務部の職員として入局、昭和56年ドラマ部から声を掛けられ、ドラマの書道指導を34年間続け、去年80歳を前にその仕事を勇退しました。
書道指導というのは俳優に書の書き方を教えたり、俳優の代わりに書いて手元を撮影したりするものです。
34年間で書道指導したのは大河ドラマや、朝の連続TV小説、金曜時代劇など121本に上っています。
最後のドラマは去年の大河ドラマ「花燃ゆ」でした。
今年4月には80歳、個展を開き元気に活躍しています。

元気なのは食事を3食しっかり食べると言う事ですかね。
10年前はドラマの指導をやって、家に帰ると午前1~2時、風呂に入って一杯やって最後に麺類をいつも食べていました。
肥っていて、麺類を一切やめたら3カ月で5kg痩せました。
傘寿記念書作展、80点の作品を並べました。(全部新作)
3年前から準備を始めました。
書道指導、時代劇などで書状を書いたり、名前、花押とか筆で文字を書くときに、俳優さんに対して、書くときの所作指導をやったり、書状を書いて、手元吹き替えで俳優さんの代わりに書くと言う事をやっていました。
書家としての書を書いては駄目で、その時代時代、その人に沿った書風に似せて、原稿を書くのが大変です。
下手に書く場合もあり、下手に書くほど難しいことはない。

臨書が基本なので、中国古典の色んな法帖を元に臨書を毎日しています。
古文書の様に判らない様に書いてしまうと、書を撮る場合があるので判り易く書いてほしいとの監督さんからの要望もあり、判り易い様に行書体ぐらいに直して、とびはねは家康なら家康の特徴の上で書きます。
昭和56年~去年までやって居ました。(34年間 121本)
ドラマでは書道のほかに大変な勉強をさせていただきました、大きな財産になっています。
北条時宗の時は文机で書状を書かない、手に持って書く、紙はA3版ぐらいで、筆圧で折れてしまうので折れないように書くのに苦労しました。
女性の時にはメイクさんがどうらんを塗って上手く仕上げてくれます。
ハイビジョンになってくると上手くいかなくなってしまう。
仕事を辞めて、今は細かい仕事があるので忙しくやっています。

昭和30年に入局、昭和33年に書道部に入って書を習い始めました。
総務部で仕事をしていました。
昭和56年(45歳)、「人間模様」という現代劇で、身体障害者のご夫妻が書道教室を開いていると言う事で、お手本を書くシーンが有って楷書で「秋の空」というのを書いたのが初めてです。
手元吹き替えでやったが、首は曲げるな、背中は伸ばしたまま書くと指示が有り、大変な作業でした。(その場の人の状況に合わせて書かなければいけない)
画面上はその半紙の上しか撮っていないが、演出上のこだわりですね。
34年間NHKが、私を書家として仕事をさせていただいた事は、私としては最高の財産になりました。
本木雅弘さんが徳川慶喜をやりましたが、書が上手かったので、手元吹き替えでない方がいいと、監督さんに言ったら、そうだねいけると言ってくれて、本木さんは全て自分で書きました。
「花燃ゆ」では井上真央 さんも書がやはりうまくて、全て自分で書きました。
俳優さんは書のたしなみは持っていますね、雰囲気も出しますね。
書く文字の大きさ、草書体なのか、楷書体なのかに依っても筆の動きは違うので指示しないと判らない部分もあります。
朝早く行くときもあるし、明け方3時、4時に帰ることもありましたので家族の協力が無かったらできなかったので、家族、或いはスタッフの方などにも感謝、感謝です。

昭和11年2月6日 山梨県で生まれました。
3歳までいて、東京都の中野に移りましたが、その後千葉県に疎開しました。
おもちゃは自分で作りました、駒、竹トンボ、杉鉄砲、凧はよく作りました。
野球もよくやりました。
終戦が小学校3年生でしたが、空襲警報が無くなって夜も灯りが点けられると、そういうことが良かったなあと思いました。
8月15日の放送では意味が判らなかったが、大変なことが起きたんだと、中には涙を流している人が居て、不思議な光景だと思いました。
小学校へ上がって字を書く事が好きだった。
父は書が好きで、実印、ハンコも彫るし、日本卓球連盟の主事もやっていたので賞状、横断幕も自分で一人で書いていました。
書に関してはNHKに入って書道部に入ってからです。
書道部の先生は田村稲軒先生でした。
書が上手くなってくると面白くなり、張り合いが出てきました。

書は私の身を助けています。
NHKに入ってからも周りから書いてほしいと言うこともあり、書いてほしいと言われて書いている、これが非常に身になっている。
ずーっと続けられたのは、好きだったからでしょうね。
父は卓球連盟を辞めて書を書こうと思って、家で作品を書いている時に脳溢血で倒れてしまいました。
私も書を書いてぽっくり行きたいと思って、一生書から離れられないでしょうね。
書の勉強の真髄は古典の臨書をベースとしなさいといつも言っています。
書の勉強は終点が無い。
今は地元に対する恩返しというか、町内会長、社会福祉協議会の評議委員、学校関係の役員、
もちろん書道もやっています。
全国レベルの展覧会が5つ、ローカルが3つあり、それぞれ作品を作るので、毎週必ず作品製作をやっています。
何を書くか、どう収めるか、決まったら書き出すわけです、だから準備段階が7割、いざ書くには3割です。