2016年9月2日金曜日

筒井宣政(医療機器メーカー会長) ・娘が遺したものづくりの心

筒井宣政(医療機器メーカー会長) ・娘が遺したものづくりの心
愛知県 名古屋市生まれ 75歳 もともと樹脂加工の会社を経営していました。
生まれた次女が重い心臓病が有り、娘を救いたいと言う思いから、医療機器メーカーを自ら興し、心臓病の治療で使われるバルーンカテーテルの開発に取り組みました。
苦労の末開発は成功しましたが、次女は亡くなりました。
筒井さんが娘と共に開花させたもの作りの心とは何か、伺いました。

優れた企業家が集う世界大会に出場、一部には企業のノーベル賞と言われている。
日本とは全然雰囲気が違う、ヨーロッパの雰囲気の中で頂けました。
どう製品が社会に貢献しているのか、利益追求、売上だけではなくて皆立派な方ばかりがでてこられています。
何としても娘を治したいと言う事と、かならず安全なもの、いいものを作る、利益を度外視してやったのが基本になりました。
バルーンカテーテル、物凄く簡易的に、心筋梗塞、心不全でたおれられた患者さんを物凄く簡易に助けられて、一時的に助けることができる、救命救急部というカテーテルです。
幹動脈が詰まった患者さんを心筋梗塞と言いますが、心筋梗塞になると段々と動かなくなるので、足から入れて、心臓の鼓動に合わせて、心臓を次の動きをする役目を楽にできるようにする二大効果によって心臓を助けるカテーテルです。

大学卒業後、父の経営する樹脂加工の会社に入りました。
ホース、テープ、ロープ、パイプとかを作る会社でした。
入社後1年半で結婚して新婚旅行から帰ってから、大きな負債が有ることを父から知らされた。
秋頃にはその7倍の大きな負債が発生して、その当時の利益で返済すると72年と5カ月かかると言う計算で膨大な借金でした。
商社などに儲かる仕事はないかと聞いた中に、アフリカの女性の頭の毛を縛る紐を作ると物凄く売れると聞いて、研究開発の末、良い頭の毛を縛る紐を開発したが、昭和41~42年上場会社がつぶれて景気が良くなく、私自身が行ければ応援すると言う話だったが、英語が殆どしゃべれなかったが、半年過ぎると何とか話せるようになって単身アフリカに飛んで行きました。
一緒になって踊ったり食べたりして、いい仲間になってそれがきっかけで仕事の事に話が及び、マーケットを一緒に回って、凄く好評で5年分の生産能力の注文を抱えて日本に戻りました。
広い土地に新たに工場をつくって、売って売って売りまくって、7年で負債を全て完済しました。

次女のよしみが生まれたのは借金が発生し始めた頃でした。
当時はおそらく3日で亡くなるのではと言われ、3日もったら1週間もたない、1週間もったら1カ月もたない、という事で最初から死の宣告を受けた様な感じで、心臓が7か所悪くて、あてはまる病名が無く、合併症の多い病気でした。
何としても手術をして治したいと思ったが、自費でなければ行けなくて、1000万円どうしても必要で、日本では治せなくてアメリカ、ミネソタの大学にということになり、2000数百万円迄貯めましたが、7か所ある心臓の悪い所を一遍に治さないと駄目だと言う事で不可能だと言われた。
手術は思いとどまり、温存する事にしました。
妻が貯めたお金をそういう病気にならない様に研究する施設、なってもそれを治していただく研究施設に寄付するように言われた。
必死に貯めてきたお金を寄付することは考えていなかった。
数か月、やっぱり妻の言う事にしようと思って、妻に主治医に聞いて見るように言ったが、国立大学だったら大蔵省に寄付金が入ってしまって、後で大学に戻るがどこの部門に戻るか判らず、私立大学だったらという事で私立大学に相談したら、すぐ返答できないと言う事だった。

先生から夫婦で来てくださいと言う事で、これだけのお金だったら人工心臓の研究をしたら、10年分ぐらいの研究費に充てられ、素晴らしい理想的な人工心臓ができるかもしれない、出来なくても業界の発展に物凄く寄与できる、寄与できなくても御両親はそのことに使いきれば御満足いくのではないかと凄くいいアドバイスを得まして、やってみようと思いました。
医局も心臓外科医も協力しますとのことだった。
いざ始めると凄く大変だった。
医学の知識、実験をするので獣医の医学の知識、発がん性とか毒性とかの知識、流体力学、高分子学、機械ともマッチさせるのに電気、物理から全く判らないので、全くの素人が専門の学会に行ったり10年掛かって勉強して、沢山恥も掻きました。
聞いたら教えてくれて、もっと専門用語で言われたりした。
趣旨を説明して、熱意が伝わって皆さんと物凄く親しくなれました。
そんな中で人工心臓の開発をして行った。
東大、阪大などは国家プロジェクトでどんどんお金は出るが、物凄くお金が掛かる事は知らなかった。

作り方は東大型、阪大型とは違った凄いいいものを作って動物実験をやったが良かった。
しかしそこまでに8億円使ってしまった。(補助金、借入、自分お金など)
動物実験を終わるまでに100億円、人間の治験を終わって人間に使えるようにするのにはざっと1000億円掛かってしまう。
例え出来たとしても、それを返す原資になる市場が無いので、私には不可能だった。
人工心臓の為に読んでいた論文の中に、心臓を助けるカテーテル (IASP)アメリカでしかない。
日本人のサイズにもあっていないし、事故が多くて多い時には5%位が亡くなり、平均でも3.2%。
これを何とかしないといけないと思って、カテーテルは会社でホース、パイプの技術を利用できると思った。
市場がアメリカからの輸入が4000~5000本あり、1本で40万円で売れていた。
そのうちの1割としても、2億位円の売り上げが有り、これをやればいいと思った。
大学としては大反対だった。(人工心臓、お金の問題など)
当時超一流大学(2校)と日本の大企業が5億位円使ってとうとうカテーテルが出来なかったので、私には絶対できないと先生から言われて、何が何でもやってみようと思った。
日本人の体格に合ったカテーテルが1年半で完成しました。

使ってもらう様に教授に言ったら拒否されてしまって、1年通い続けたが出入り禁止になってしまった。
肝臓、腎臓の間にバルーンを置くのが一番いいので、アメリカのものだと長さが大きくて下に行きすぎてしまう。
その長さの計測、血管の太さ、身長体重を測れば相関関係がでるのではないかと思った。
出入り禁止になってから半年後に行ったが怒られてしまって、今回は別の話で来ましたと、こういう事で研究をしませんかと言ったら、教授がハッと気付いた様で若手の医者と一緒にやる様に言われて、その先生もピンと来たようで、合併症の起こらないカテーテルをつくって、14施設で安全性を確かめて、学会でバーンと発表して厚生省の許可も取り、一遍に評判がでて日本に我が社ありという事で評判になり急速に名前が売れて使っていただく様になりました。
佳美(よしみ)は高等学校までは非常に元気でしたが、大学が郊外の山にあるので、彼女には負担がかかるので、大学には行かないでうちの会社の事務の手伝いをしてもらう事にしました。
10億円近いお金を返さなくては行けなくて、また売れたよと言うと「お父さん又一人命を救う事が出来たのね」と娘からいわれました。
これは救命救急具であって、そのことは娘には言いづらかった。
言ったら、「お父さんとお母さんが私の病気の事をきっかけに、そいういう人の命を救う物をつくって呉れて佳美は満足しているし、誇りに思っている」と言ってくれて物凄くそれがうれしかった。

私は借金返済のお金の亡者みたいだったのが、それが娘の気持ちが私の方に移ってきて、いいものさえ作れば信用を得て売れてゆく。
兎に角いいものを相手の身になって作ると言う事を学びました。
1500本売れるようになって、1500人の命を救って、それを見届けるように娘は平成3年になくなりました。
よしみが残したもの作りの心、一人でも多くの命を救う、それが一番大きなことだと思います。
そのためには限りない好奇心、努力、情熱、ネットワークなどを作らないといけない。
一人でも多くの命を救う、を会社の理念にしている。