2012年6月30日土曜日

高樹のぶ子(作家66歳)       ・人生はミステリーと冒険

 高樹のぶ子(作家66歳)       人生はミステリーと冒険       
(1946年4月9日 - )は、日本の小説家。九州大学アジア総合政策センター特任教授 、『水脈』で女流文学賞 、『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、『HOKKAI』
「光抱く友よ」1984年に芥川賞受賞 アジアンの国々10カ国を旅をしてエッセーを書きあげる
2004年に昭和30年代に「まいまいしんこ」に私が子供のことを書きました   
アニメ映画になって世界各地で上映された
まいまい 額につむじがある  
感動喜び怒り切なさの感情が動くとそれが立ったりざわめいたりする  
感性を錆びさせないように小説を書いていきたい
好奇心 直ぐに自分に飽きちゃう 一か所に安住できない 
スズメバチは巣を作ると 別に直ぐ作りたくなる
 
去年ミステリーを作った 絵画をめぐるミステリー フランスのロートレックが書いたマルセルと言う娼婦の肖像画をタイトルに頂いている
生涯子供ぐらいの高さしかない画家だった(病気の為に)  
歓楽街のムーランルージュ そこの踊り子たちキャバレーのポスターを書いて一躍有名になった マルセルの肖像画は 右側だけが書かれている反対の顔はどのような表情だろうと思った  
何で片側だけを書いたのだろうと思った  
これらが私の小説を書くモチベーションになった 
 
京都国立博物館に展示もされたが 最終日の朝に突然消えてしまって大騒ぎになった
当時の新聞は盗んだ動機、盗難方法等色んな推理が報道された 
結局のところ捜査は行き詰まり犯人は上げることはできませんでした
勿論マルセルも出てきませんでした  
処が時効が成立した後に或る人物が新聞社に持ちこんできます 
又色んな詮索が行われたが判らずじまいだった
人は死ななかったかと言うと一人亡くなった。 守衛さんが自殺された  
この事件が起きた時は私は22歳だった
その年の12月の初めごろには3億円事件が発生していた  
年が明けて東大安田講堂が陥落した  たて続けに起きた

マルセル盗難事件 この事件をズーと新聞記者が追いかけていた 
その資料を有り難くいただく事ができた その記者がいた新聞に連載することができた
引き受けた段階でいくつかの現代日本の問題にも通じる本質的なテーマが見つかる  
それを私なりに消化して書いてきました 
其の一つは絵画の鴈作と言う問題があります 
絵画の真鴈とは一体どういうもんなのか  
サンセルナ教会はヨセフという聖人をたたえ祭っています  
一番新しく作られた壁を見て吃驚した ラ・トゥールという画家の「大工の聖ヨセフ 」という絵 左側にヨセフが、やがてイエスに訪れる死を予感してか十字架を持っている 」右手にヨセフの仕事を助けるようにろうそくを掲げているのが幼子イエスです  
とても美しい横顔なんですね 
 
そしてろうそくの灯が消えないようにそっと手を添えている其のイエスの手をろうそくの明かりが赤く透けてみえる 
其の絵がとても神々しく美しい絵で一度見たら光の美しさが印象に残り一枚なんですが 其の絵は本来ルーブルの目玉と言っていい様な絵なんです
ルーブルに有るべき絵が何でここに有るのかと不思議に思った  
当時鴈作について調査をしていた
普通鴈作と言うとさばいてお金にするという風にしか考えないけれども そういう金銭的な価値で見るようになったのは日本が戦後 高度成長を遂げるように成って以降のことではないかと考えている  
それ以前 中世とか宗教が浸透していた時代には絵と言うのはとても大きな役目を持っていた  
サンセルナ教会にある「大工の聖ヨセフ 」は鴈作とは云えない もっと崇高な目的でここに描かれているんだと 模写した画家は物凄い腕前でもしかしたら心変わりをしたらいくらでも鴈作ができる お金を作る人かもしれない  
絵と言うものは聖なる模倣と犯罪としての鴈作 之が本当に裏表のように人の心一つで二面性を持っているという事を改めて感じました  
その違いはなんだろう 人の心のみだという事ですよね
 
マルセル盗難事件が起きた1968年当時日本人はヨーロッパに対して文化コンプレックスを持っていた 
文化コンプレックスとしての裏返しとしての国の威信と言うものがあってそこに犯罪の付けいる隙があったのではないかと言うのがわたしの推測でもあります 
警察の捜査も今から思えばずさんでした   
世間ではどういう見方をされていたかと言うとこれは美しい作品なので ファンによる愛着の犯罪だと独占欲で盗まれたのだと一斉に流された
文化庁の長官まで犯人に対して「貴方は窃盗犯ではない ただマルセルを愛しただけなのだから 返して下さい」と言うような呼びかけをした

実は日本人のメンタルティーの裏をかいた犯人がいたのではないかと今の私は推測せざるを得ません
現代から40数年前の絵画盗難事件を見ますと、逆にこの40数年間の日本の変化 日本人のメンタリティーの変化あの頃はナイーブだったなあ 心優しき日本人だった という事かも知れません もっと合理的で科学的な目を現在は備わっています 
捜査も科学的な手法は取られますし 今と40年前は全然違います   
今を生きている30代の女性を主人公にして父親が残した資料(実際には新聞記者が残した資料)を元にこの事件を訪ねるという方法で恋愛を交えて小説を書いた
科学するというのは真実に対して謙虚に成る  
謙虚さのことだろうと思っている 先入観を取り去ってものを見る それが大事なんだと思います
先入観が如何にいい加減なものであるかと言う事が長年生きていると判ってきます 
つまり疑い深くなる 

去年の大震災で色んな価値観が替わりました 安全神話も壊れました 
そこで何も信じることが無くなったかと言うとそれでは駄目だと思うんです
すべてを疑うけれど根本から自分の目で確かめたものを信じてゆこう 拠り所は自分の目で確かめたものだけだ そういう感覚が日本中に広がりつつある
大震災がもたらしたちいさいけれども大事なポイントだと思っています  
一言でいえばいろんな情報が寄せられた時に「本当にそうなのという素朴な疑問」
40数年前には無かったことです  
いま日本人は一人一人が自立し始めているのかもしれない  
大きい犠牲を払ったけれどもそういう意識を持ち始めている
のだろうと感じています  せめてそれぐらいはあの震災の一つの結果として持たなくてはならないとその様に感じています