2012年6月25日月曜日

天野祐吉            ・隠居大学(田中優子)

天野祐吉             隠居大学(田中優子) 
1952年横浜生まれ。法政大学大学院人文科学研究科博士課程  
専門:日本近世文化・アジア比較文化    法政大学教授 江戸文化研究家   
アジア比較文化論等、 「江戸の音」 「江戸の想像力」 の本が刺激的だった  
「世渡りよろず知恵袋」 最近出版の本

大学で教える時間以外は着物   江戸の隠居について話を伺います。  
現在還暦を迎えた。  定年まであと5年   江戸時代 隠居は憧れだった。 
伊能忠敬 は隠居の達人だった。  17歳で婿入り 豪農の家に。 資産を10倍にする。  
40代になってから天文学を独学で学ぶ。 隠居して江戸に出て本格的に学ぶ。
私費を使って測量をしていたら幕府からも援助を受けて進めた。  隠居仕事の業績。
井原西鶴 の活躍は全て隠居後。  大阪の裕福な商人なので番頭に任せる。 
30代で隠居して俳句をたしなみ始めてその後小説を書くようになる。  
膨大な量の小説を書く。  江戸文化は隠居文化です。   
江戸時代は個人の判断で隠居を決める。   
隠居料が出る。 (武士の場合 人口で10%程度)
 
一般は 相続の10~30%は隠居料として確保する権利がある。  
子供が全部確保したいと思った場合 裁判を起こすことができる。
老人を大事にする空気が江戸時代はあった。 
隠居屋があった。(子供と暮らす必要がなかった) 
幕府は養老手当を渡した。(80歳過ぎるとでるが、今ほど高齢者はいなかった)
「宵越しの銭は持たない」 腕のいい職人がよく使った。 
美味しいものを食べて、余ったものを他の人の為に使った、そのような話が出てくる。
落語 「文七もっとい」   50両が戻ってくると、若い男が身投げしようとしていて、それで50両をやってしまう。 死なせるわけには行かない。・・・。
「文七もっとい」芝居にもなっている。
 
俳句人口が多い。 俳句 お金が無くても遊べる。  お金のかかるレジャーが最近の傾向。  日本には無料で遊べるいろいろなものがあるのに、もったいない。 
絵を描く人も江戸時代は多かったようだ。
浮世絵 当時浮世絵安かった。 
音曲 稽古しに行かなくても 本屋さんで歌舞伎の台詞集で自分でもやってみる。  
自分でやりたがる人が多かった。
落語「寝床」  義太夫 下手な大家がやる。 無理やり聞かされる話。  
川柳 等も自分でやりたがる。
落語「あくび指南」(あくびの仕方を教える)  
俳諧 俳句ではない。人と一緒に遊んでいる光景が多い。(連句を楽しむ)  
3人ぐらいからやっていた。
  
旅  お金を使わなくても お伊勢参り  村で組んだパッケージ旅行 
自分の金を出さなくて済むような田んぼ(伊勢田)があってそこからの収益で行く(人選が必要)
一部の人しかいけないので、必ずお土産を買ってきた。 (御利益がある)
芭蕉  
全ての活動が隠居後 お金も無く 「つて」があって連句の会を催してくれる(授業料替わりに宿、食べ物を提供してくれる)
福岡の50歳と52歳の女性がお伊勢参りをするが、結局江戸まで旅をする。
手形が無くて、関所を通らず裏道を通って江戸に行く。 5か月の旅をする。 こんな旅ができた。
女性の隠居が勿論いた。  旦那が亡くなって子供に身代を譲った後  
四国88か所めぐりの街道筋ではお米をくれたり、お金をくれたりしてくれた(或る程度を決めて)
88か所めぐりは江戸時代に発生した。  
江戸時代は助け合いの精神が強かった。  ある種の信仰心がある為に。  

「江戸の音」 当時は能楽 笛、太鼓、つづみ  禁欲的な音楽がずーっと続いていたが
三味線の音が突然出てくる。    
猥雑な能感 大衆の欲望が解放された。  
三味線の音が非常に大きな役割をはたした。
文化の発展が一気に江戸に出てきた。  人
口が急激に上がる (新田開発が理由と思う)  
職人が多くなる(国の中で自分たちで作ろうという姿勢) 凄く大きな活気が出てくる。
中国から琉球に伝わり 日本に三味線が伝わる。   
最初に三味線を弾いた人は琵琶法師だった。  
琵琶のばちを小さくしたのが三味線のばちになる。
日本的な三味線の音に成ってくる(ばちの変遷により) 人の気持ちをわくわくさせる。
能の音楽は聞くと人を厳粛にさせるが、三味線は華やかになる。

120万人が一時期江戸に居た。  人口増減、経済成長率が殆ど変わらない。 (江戸時代)  
経済は成長しなくても廻っていればいい。 
成長しなくてもいいのでは、循環システムが江戸時代はあった。   
人口はある程度減った方がいいと思う。 但し活動力が減ってはいけないと思う。   
いいものをドンドン創り出してゆく。   江戸時代も流行はある。 商品はちゃんと作られる。  
クリエーティブであることが大事。  循環出来ればいい。
江戸を単に懐かしむだけでなく、未来像として江戸を見つめ直す事は大切だと思う。  
「未来の為の江戸学」発刊した。