2012年6月21日木曜日

飯塚俊男(記録映画監督)      ・日本の自然文化誇りを描く



飯塚俊男(記録映画監督)   日本の自然文化誇りを描く
(1947年9月19日 - )は、日本の映画監督。記録映画の分野で活躍している。東北大学卒業 東北大学在学中から記録映画の世界に入り 多くの賞を受賞してきました  
最新作は「プッチーニに挑む岡村喬生のオペラ人生」です

40年は記録映画を撮っている  2011年プッチーニ祭 
最近はドキュメンタリーをつくるのは非常に難しくなってきている  
岡村さんはだいぶ前から蝶々夫人の誤りが沢山あることに(日本文化の誤り) 
演出上の誤りが多い  蝶々夫人は日本を舞台にしたオペラであるのにも拘わらずイタリアの
原作オペラなので日本文化を理解してなくておかしな表現に成る 
 
台本にも誤りがあるという事を見出して(5~6年前から)直した台本を使ってイタリアに行って
プッチーニの故郷の劇場で直した台本で上演するのだと言って皆に訴えかけていた  
ほとばしるような日本人の誇りを無視されるという処に対する怒りと言うものがひしひしと伝わってくる  
一途に自分の感じた間違いに対する憤りを簡単には捨てきれずにずーっと貫いてゆく姿勢に面白い人だなと思ってポイントになる出来事があると撮影してきた  
NHKの番組になった 
 
小川紳介監督の 小川プロダクションに学生時代に入ったのがきっかけ  
若者の反乱の時代   三里塚の空港に反対する農民の姿が代表作 スタッフに段々組み込まれてゆき 政治よりも面白いなと考えるようになった  
人間に対する接し方が人間味 あったかさを感じて面白いなと思った  
マスコミの視点と小さいプロダクションとの見方は違っていて 客観的に見ることが必要であるが
 当時農民は孤立していて俺たちの気持ちはだれも判ってくれないと言うような状況だった  
そこにドキュメンタリーの集団が入っていって 主張だけでなくその背後にあることを掘り下げてゆく 村の共同体の歴史であるとか背後に有る世界を掘り下げてゆく  
農民が何でこの様な事にこだわるとか どんどん深く掘り下げてゆかなくてはいけない  
農民の映画をとりながら 民族学とか日本人とかを そういうものを勉強しながらやっていました
小川プロダクションには20年所属した  農民の歴史、考え方等を深く掘り下げようと山形県の農村(100軒ぐらいの集落) 牧野村(まぎの)に行く
15~6年はお世話になった  家族も一緒にそこで生活する  
ドキュメンタリーの手法は定点観測  一か所にずーっと止まって歴史、人間の有りよう 風土 生産 経済 ずーっと徹底的に掘り下げてゆく   
人間の暮らしの普遍性に至るというか そこをきちんと見つめ続ければどこの村とかどこの人間の暮らしも 見えてくるんだという  考え方があって 一点にこだわるという
 
経済性は捉われない  無茶苦茶だった 4~5年に一本ぐらいしかとれない  
それで一生懸命に上演したって元が取れるのではなくどんどん借金がたまっていった
稲作を教えてもらった 24アールを借りる 米を作ってそれを売ったり食べる 
普通の農民がやることを8年やりました  いい稲だと農家の人が見に来てくれた
海外にまで出て行ったのは2本しかなかった 「ニッポン国 古屋敷村」(1981年完成  
「千年刻みの日時計」1986年完成  どっちも3時間を超える大作

1991年に独立  「小さな羽音 朝鮮あかしじみ蝶の舞う里」1992年 受賞   
米沢で蝶を研究している青年がいて その方と一緒に何か 東北の自然山形の自然を撮りたいと 蝶の視線から見ると面白い言われて 蝶の生きられる環境とはどういう環境なのかというと 人間の環境とちかい環境に出てくる蝶々だった    
里山に居たのが人里に来るようになった  とねりこという木を好む蝶々だった  
江戸時代に上杉鷹山が水田開発をするのに水路を強化 そこにとねりこを植えろという政策をやっていた  どんどん里に蝶がとねりこを求めてやってきた
その後コンクリートで護岸工事をしてとねりこを切ってしまう  
蝶の生息領域が極端に減ってしまった
  
草刈さんがいろいろ調査してこれだね(とねりこ)と言う経過があった  思わぬ展開が有った 
企画があったが実際にスタートすると新たな展開がありそこが大事
1995年「土と木の王国・青森県三内丸山遺跡」   三内丸山遺跡の発掘を撮った記録映画   1994年から青森に行って 前年より本格的に発掘調査をやっていた 
とにかくい続けて 全国では全く無名の遺跡だった  野球場を作ろうとしていた  
教育委員会の方は順番にやっていかなくてはいけないといい 
作業を早めるために600人を投入した   
発掘を指導できるのは県内に何人もいないので600人を指導するのは大変で混乱する現場だった

 「小さな羽音 朝鮮あかしじみ蝶の舞う里」を撮った時に縄文太鼓を使って「てふま」(蝶)と言う曲を作ってくれた人がいてそれを映画の中に取りいれた
飯塚は縄文太鼓を知っているのであれば縄文に詳しいだろうと言ってくれた人がいてお前取ってこいと言われて青森に出掛けた
縄文には興味があったが  蝶から縄文に移った  6年ぐらいは縄文三昧の日々が続いた 1500年はほぼ定住していただろうと言われている  
縄文時代は遅れて貧しい時代だろうと見られていたが 相当に進んでいて豊かに暮らしていた  
栗林があり 発掘調査が次々に新しい発見になっていった  
栗を食べ物にして管理しながら育てていた という事が判ってきた
5000年もまえの時代を学者が言っていたのでは面白くないと思い 映像でどういう風に見せたら判るのかを考えた
発掘を長くやっていた人に聞いたが 発掘していると5000年前の葉っぱが青々としてまるで生きているように見えてくることが有るという

掘ってゆくと空気に触れて水分が抜けてゆくと一気に枯れてしまう 
1分と持たずに変わってゆく  その映像を撮りたかったが出来なかった
栗の巨木 6本  柱なのか 議論になった  
青森は雪国なので雪を利用して柱を立てたのだろうと思っていた
木の根元を掘りだしたらびっしり葉っぱがあった 冬ではない  
御柱を立てる様な皆が一致協力してやるような祭ではなかったのだろうかとある学者がいっていた
大変だけど皆が集まってきて力を発揮したのではなかろうかと  男女の出合いの場にもなったのではなかろうかと

20年ぐらいはミニシアターがありそこで上映  最近はDV  ひとりでも作れる時代になった 
個人の作家も出てきた
私は集団で録音 撮影 照明 とか専門職を持った人が集まらないと良い映画は作れないと思っている  
金が無ければという面があるが  かつての集団で映画をつくるダイナミズムを ドキュメンタリーと言っても 維持していってそういう映画を上映していくことはできないかなあとは考えている  
「プッチーニに挑む岡村喬生のオペラ人生」 オペラなので音 メジャーの劇場で 音と絵を 両方を感じて貰わないといけない

人間の生活を成立させてゆく 大事なこととは何だろうかと  縄文でも感じた  
縄文人は遥か遠い人だとは思えない 
縄文人の祭の心と言うものは 今の我々が祭を必要としている事と全く同じだと思う  
人間は経済的に成立しなければ人間は暮らしてゆけないと思いがちだけど
経済は大事なことには違いないけれど 祭る心と言うか 人と人とが一緒になって何かやるというのは そういう熱中する心が失われてゆくと衰退していっちゃいます
そういったことは縄文からも教わりますし 現代の我々が生きている処に 自分達の活力の源ですね そこのところを引き出してゆきたいですね