2012年6月3日日曜日

齊藤 堯(点訳ボランティア)      ・進行性筋委縮症とともに60年

齊藤 堯(たかし・点訳ボランティア) 進行性筋委縮症とともに60年
21歳の時に進行性筋委縮症と診断されましたが、治療法も無く60年の歳月が過ぎました
今も病はゆっくりと進行して腕も上がらず 歩く事も出来ません  
介護度は4 車椅子を使い奥様の献身的な介護で毎日を過ごされています
斉藤さんは進行性筋委縮症を発症してからも 20年会社を務めて 40代で会社を退職しました 
退職後は趣味である油絵を描き 美術展で入選するまでになりましたが、
自己満足ではなく人の役に立ちたいと の想いから八王子六つ星会で点訳ボランティアを始めること
になりました
この活動を通して現在ピアニストとしてとして活躍する全盲の梯剛之さんに出合いました   
全盲の梯さんに小学校の教科書や小説などの点訳を送り続けました
現在も点訳の活動を続けています
点訳が主なボランティア  車に乗っている時は健常者と同じに動く事ができる 
2Fに上がるのには簡易リフトがある  
進行性ではあるが大分遅い状況  握力が左3kg 右が7kgと 弱い 字を書くことはできる  
自力では起き上がれない
動かないと筋肉は委縮してゆくのでなるべく動くようにしている  
家のなかでの移動は自分で出来るので不自由はない
介護保険は使っていない(奥様の介護で)  進行性筋委縮症の治療法はない  
21歳の時に東大で3か月入院してようやく病名が判った
5人で尾瀬を泊りがけで旅行した  坂になると付いていけないので違和感を感じた 
帰ってきても疲れが抜けず病院にいろいろ言ったが駄目だった
会社に戻って 内視鏡の開発していたが 歩き方がおかしいと言われて東大に行った
病名は告げられたが治療法はなかった  歩けなくなり 立てなくなり 寝たきりになる 
眠れない日が続いた
歩けなくなったら会社は止めなければならないので これからどうしたらいいか 
人間一度は死ぬので やることだけやって 例え目標に届かなくても
やることやって駄目なら後悔しなくても済むんじゃないかと思うようになった  
動けるうちは働きたい  車を購入する(有り金20万円はたいて 免許も無かった)
ブレーキが効きにくい 足の力が無いので  ブレーキの改造を考える (ディーラーと相談して)  
試験場に持って行って運転する 半年掛かりで免許を取ることができる
会社にはそのまま勤めることができた  当時はまだ職場の周りは親切にしてくれた 
おぶってくれたりしてくれた人が多数いた  22年間務められた 
43歳で会社を辞めた  その後も内視鏡の修理、図面を書く等をやらせてくれた
車椅子生活になって何をするにも妻の助けが無いと何もできないことになった
趣味の中で油絵をやっていたので 不自由ではあるが絵を書いて行こうと思った  
時間が余り過ぎるので何か 人の役に立ちたいと思っていろいろ探した
指先が動く間は何かやっていけると思った  点訳の事をやっている人が近所に居たので 
聞いて 資料を集めて勉強を始めた
八王子六つ星会 普通は週2回 半年 初級と中級を受けなければならないのですが 
負担がかかるので協力して貰い初級は自分で勉強して中級を教えてもらった 
大変だったが半年でクリア出来た  点訳のボランティアを始める  易しい小学校の教科書から始める
全盲の子を持つ母親と知り合うことができた 
その子を応援しようと小学校の教科書作りを始めた
その子が中学に上がる頃は夢中になってやる様になった  
その子が ウイーンに留学することになり 「刑事コロンボ」を点訳して送った
その人は梯剛之(かけはし たけし) (世界的なピアニスト) 招待状を貰って涙が止まらなかった  
ウイーンから帰って一緒に食事をして移動できないのがかわいそうだと言われて人の心をよくわかる
人だなあと思った
教養とか、自分が話せることは点訳のお陰だと言われて嬉しかった
目的を持って目的に進んでいけば必ず何かが得られる  
目的に届かなくても努力したという事で後悔しないで済む そういうことが一番大事
点訳は続けている  今はパソコンがあるので力がなくても点字を出来る  
点図 触図 をやっている  携帯電話の点訳もやっている(図入りのもの)
最近は筆を持つと腕が上がらないのでパソコンのペイントを使って絵を描くのが面白い
パソコンが有り昔の点訳を考えると雲泥の差ですね  
パソコンを使いこなせるようになって世界が広がった 
夢を持つこと やりがいのある事を持つことは生きて行くうえで大切なんじゃないかと思う
NHK障害福祉賞貰う  其の応募作の最後の部分  現在介護度 5ですが 
かみさんは「貴方の世話は私がやる」といって 介護保険を絶対に使おうとはしません
もし神様が一度だけ歩かせてくれるなら妻を背負ってどこまでも走ってゆきたい
妻がいなければずっと前に施設に入って寝たきりになっていたのではないか
80歳を越して障害者となって60年になりますが 妻も75歳 腰痛で苦しんでいますが 
不便ではあるが決して不幸だと思ったことはないし 一生はまだまだ続くと思います
その間何があろうと何か目的を持って前を向いて生きてゆけば絶対道は開けると何時でも確信しています