角谷敏夫(64歳) 塀の中の中学校教師35年 |
長野県松本内の刑務所に有る唯一の公立中学校 がある 松本少年刑務所内の松本私立朝日町中学校桐分校です |
2008年まで35年間この桐分校の教壇に立ち続けてきました 教師を志していた学生時代 教育に一番必要なのは誰かと考え矯正教育を行う |
法務教官になり 桐分校に赴任 一つしかない学級担任になりました 生徒は教育を十分に受けられなかった受刑者です |
読み書きもままならない生徒ばかりでした 退職した今も桐分校よ 卒業生よ 風に負けるな そして自分に負けるな呼びかけています |
多分 世界でも例の無い教育制度 刑務所の中に中学校 昭和30年に作られました 昭和28年に青年受刑者が255名いて200名が義務教育未終了でした |
その背景は太平洋戦争、敗戦による社会の混乱や社会の貧困 就学環境が悪かったこと 学校制度の変更(6,3制) そういった環境が背景に有ったと思います |
200名の義務教育未終了の受刑者の救済方法はないかと問題提起したのが昭和28年のことでした |
其れから以来今年で58回で703名が卒業した 平均1年で10名ぐらい 長野県と松本市と検討を重ねた結果 所内に義務教育の場を作るのが |
一番いい方法ではないかと言う事になり 彼等に義務教育終了と言う資格も与えられるし 社会生活に必要な資質を備えられる |
それが彼等の更生に繋がってゆくだろうという事で雄大な理想ではあったのですがそれが 朝日町中学校が積極的に理解して下さって 所内に分校が作れるなと言う |
見通しがつきまして 法務省、文部省にお願いして 法務省は法律を改正して 最終的には 松本市長が市議会に刑務所内に中学校をつくることを議案提出して30年3月に可決する |
桐分校が誕生した 1年間で3年間分をこなしてしまう 14科目ある 夏休み、冬休みも無い 朝8時から4時30分まで7時間の授業 |
1時間の授業は60分授業 休み時間は10時に15分間 昼休みは45分間 3時に15分間 一般の受刑者は9時で就寝だが10時まで蛍光灯は付いている |
勉学の時間を保証する意味で1時間増やす 辛かったと思うが机に向かっている |
全国から移送されてきて入学認定会 入学式 入学者にはこんなに多くの人から祝福されるのは 初めてだという人もいる |
松本教育長、地域の町内会のかた法務省の矯正局長とか来賓が50名の来賓があり300名ほどの 受刑者も出席して受刑者を祝ってくれます |
午後からさっそく授業が始まる この教科書の臭いを嗅いで下さい そしてこの教科書がボロボロになるまで使って下さいと言って新しい教科書を渡す |
入学祝いのプレゼントする 一遍の詩を彼らへの入学祝いのプレゼントとして読んであげる |
相田
みつを作 命の根 「涙をこらえて悲しみに耐える時 愚知を言わずに苦しみに耐える時 いい訳をしないで黙って批判に耐える時 |
怒りを抑えてじっと屈辱に耐える時 貴方の目の色が深くなり 命の根が深くなる」 この詩のような生活を1年間送ってほしいと 内容は説明しません |
自分で1年間考えて下さい そう言って毎授業の初めには必ずこの詩を読んでから授業を始めます |
この詩を選んだのはハードな授業に対して、又社会にでた時に思いだして励みになるだろうと 思って多くの詩の中から選んだ |
2学期の終わりごろには完全に暗記するようになる 大きな行事は遠足 火災、自殺、逃走 これは決して起こしてはいけない事故 |
当日に初めて遠足に行くことを連絡する(事故防止) みんな歓声を上げる 弁当を用意して出掛ける時に必ずいうことがある |
生き先、今日ぼくは手錠とか歩錠とか一切持ってゆきません 僕が持ってゆく武器はたった一つあります それは「信頼」と言う武器です |
4月~10月の間で君たちと築き上げた「信頼」と言う武器です この信頼にこたえる一日を送ってほしい 楽しい遠足にしましょうと言ってバスに乗る |
一度も事故はありませんでした 帰って来てからの作文を読むと信頼の様子を書いてくれる |
塀の外の地面を噛みしめる 1日1日勉強してゆく中ですこしずつ自分の知識が豊かに成ってゆく 自分の心が学ぶことによって少しずつであるが豊かに成ってゆく |
学問と言う今まで自分の知らなかった世界を知って学問に感動する 学問をやっている自分というものに感動する |
卒業する時には校長先生は顔つきが変わったと驚く(険しい顔から穏やかな顔 目つきになっている) よく勉強する |
本を出す→佐藤忠男 NHK 吉田信子 合評 昔 学問をしてそれを生かして自分の人生に 活かしてゆく 社会にそれを生かしてゆく 其れを今はどうだろうか |
彼等(桐分校生)はそういう学問をして自分に活かしていきたい 自分の人生を何とか切り開いていきたい という思いで彼等は勉強していることをこの本 |
を読んでわかった と評価してくれた 今までの人生の軌道修正をしてゆきたいと思っているようです |
卒業式の前日 最後の最後の授業 「命の根」 の感想を言ってもらう |
「初めの頃はただ読んでいるだけだったが 今はその一行一行が凄く重いんです」 |
「目の色が深くなるというとは 命の根が深くなるということは 自分の心が変わるという事なんです 考え方が変わるという事なんです」 |
「字の読み書きは一番大事です 字の読み書きができると人生が変わりります」 学ぶことによって人生が変わる 軌道修正ができる |
「自分で知らなかったことが判るのは楽しいし 知る楽しさに替わるものは無い」 と言い残していった |
卒業式 楽しかったこと辛かったこと いろいろあるが 別れる事が一番つらい |
校長が卒業証書を渡してくれる 一番重い重荷(小学校しか出ない)がスーと身体から抜けてゆく |
最初のきっかけは 夢 憧れがあったが 中学校2年生の時に先生になりたいと思った (担任の先生の影響) 大学の4年生 皆先生になろうとの思いであった |
自分がやってきた学問は何のための学問だったのだろうと その問いかけが 回りの人と同じように中学校の先生になっていいものだろうかと自分に問いかけた |
今最も教育を必要としているのは誰だろう という問いかけに成り 其れは非行や犯罪に走ってしまった人達ではないだろうかと |
自分はそう言った人達の為に教育に携わろうと思いました 桐分校の内定通知が来た |
新宿発(23字55分発鈍行)の松本行きの列車で面接にゆく 桐分校が私の生涯を掛けた仕事で 有ったし 職場であったと思う 日本でただ一人の人ではあった |
訴えたいこと→彼等はずっと絶望の中で生きてきた 教育とは希望を語ること 学ぶことは生きる力を養う事 教育と言うのは気付きを待つこと |
人間とは 自分とは何か 人生とは何か たった一度きりの人生をどう生きて行ったらいいのか その気付きを待つ それが教育だと思います |
いつもいつも何かしらを働きかけて気付きを待つ 卒業してから17年 訪ねてきた子がいまして 最初にこう挨拶してくれた |
「きり分校に出合えなかったらば角谷先生に出合えなかったら自分は人生の大切なことに気付かず にあのままだったと思う 先生ありがとうございました」 といってくれた |
その時にわざわざ奥さんと一緒に来てくれていた 其の時 教育とは希望を語ることなんだと 学ぶことは生きる力を養う事なんだと |
教育とは気付きを待つことなんだと 其の時につくづく実感しました |
講演でいつもこの言葉を残すんですね 「学ぶ、感動する、生きる いつもいつも私の心に有る言葉です」 |