2021年11月9日火曜日

野村潤一郎(獣医師)          ・愛玩動物の命を守り続けて

 野村潤一郎(獣医師)          ・愛玩動物の命を守り続けて

コロナ禍や在宅ワークで人との触れ合いが制約され、犬や猫などの小動物に癒しと安らぎを求める人が増えていると言われています。   都内の獣医師野村さんは犬や猫は勿論古代魚から亀、ワニ、蛇など持ち込まれるあらゆる動物のけがや病気に年中無休で診察に当たっている熱血獣医師です。    野村さん自身100頭を超える動物を実際に飼育していて、気温、水温、運動環境そして糞尿の始末という衛生管理に至るまで、自ら汗を流して世話をし、動物たちに最適の飼育環境をと腐心続けています。  私たちの家族の一員として暮らす愛玩小動物と人との深い歴史とよりよい関係について伺いました。

35年獣医師として動物たちの面倒を見ています。  犬、猫、爬虫類、トカゲ、魚、蛇、亀などあらゆる飼育動物の診察をしています。  獣医師は牛、馬とか仕事をさせたり人間の食卓にのぼるような動物たちの病気やけがを治すというそういう仕事でしたが、最近は人間の心を満たす意味でも動物たちを飼う方が非常に多くなりました。   それで獣医師も3つに分かれました。  ①大動物の獣医(馬、牛など) ②中動物の獣医(豚も含む)  ③小動物の獣医(その他の愛玩用など)です。   

商取引をするときに単価というものがありますが、少なくなってきたために、今上昇する傾向があります。   動物を購入する人が増えたという実感もあります。   ペットのなかで1位は犬ですが、人類最古の家畜であり、人間の最高の友達です。   チワワから大きなものはナポリタン・マスティフ、セントバーナードなどがいます。  この間来たチワワは成犬で680gしかなかったです。  大きい犬は100kg超える犬もいます。  こんなにバリエーションのある生き物はほかにいないです。   人間のニーズにこたえてきた結果なんです。 人間にとっても役に立ち、犬たちにとっても生活戦略、DNAを未来に存続させるために有利だという事で、お互いに利益が合致して何万年もやってきた相棒なんですね。  動物たちは大人になって行くための予行演習としていろいろ遊びます。   大人になると野生動物はピタッと遊ばなくなるが、犬は遊びます。  犬は精神的なネオテニーを持っているからです。   家畜は赤ちゃんのまま体が大人になるんで、いつまでも学習能力が長くて人間とうまくやっていけるんです。  犬は人間の感情も理解します。  阿吽の呼吸もあります。  人があの人が嫌いだと思うと犬も嫌いになります。  犬は言語の疎通ではなくても、心で判ってしまう。  大人になった野生動物などは一人前になってどこかへ行っちゃいます。

猫は単独生活の肉食動物です。  ネコ科で群れを成す動物はライオンとチーターぐらいです。  猫は独立心は旺盛ですが、精神的なネオテニーを持っています。  ネオテニーは幼形成と言います。 もっと簡単に言うと子供のまんまで大人になります。  大人になっても飼い主の元を去らないでいてくれる。  猫と犬は根本的に全く違う生き物で、飼い方、接し方が違ってきます。  犬は群れの動物で、群れのボスである飼い主のいう事を聞く様にできています。   猫は群れを成さないので、一人で生きてゆくシステムになっています。   勝手に旅に出て行ったりするので今は基本的には猫は外に出さないです。  猫は放し飼いのほうが本来の猫の仕事ができるわけです、猫の仕事は害獣、害虫の駆除ですから。  猫は穀物を食べてしまう害獣を駆除するために人間に飼いならされた使役獣だった。   動物の世界は二つに分かれていて、①野生動物、②家畜動物です。  人間も野生の世界で生きていたが、農耕牧畜が始まって人間が野生の世界で生きて行かなくてもよくなって、人間圏という村を作った。   人間圏に対して悪さをする動物がほとんどだったが、牛、馬、豚、ヤギ、ヒツジ、犬、猫、フェレット、ハムスター、鶏、七面鳥、アヒル、ガチョウ、日本蜜蜂、蚕などは人間界に入って来る事になる。   犬は万能家畜なのでいまだに飼われている。  猫は今時鼠を捕るという事はないので、失業したわけです。  しかし外観の可愛さから、ペルシャ猫、マンチカンとか、心を満たす可愛い外観を提案してきた。(突然変異を人間が操作しているが、)  フェレットも鼠取り用の家畜です、昔はヨーロッパには猫が居なかったので、イタチに鼠取りをさせたわけです。   フェレットはめげない動物ですし、鳴かない。  飼うんだったら家畜がいいです。

母は19か20歳で僕を生みました。   父は競馬などしていて母が家庭を維持していました。  ですから赤ちゃんの時から鍵っ子でした。  3歳の時に動物との触れ合いがありました。  石の裏などを見ると虫たちが居たりして、そのうち僕の家族のようになりました。   いじくり回しているうちに死んでしまう子もいて、生きる死ぬの概念を僕は知ってしまった。  4歳の時にカナリアが欲しくて、泣いて頼んで祖父が買ってくれました。 母が引き出しにはさんんでしまったためメスが死んでしまってオスがしょげて歌わなくなってしまった。  心があるんだなと思いました。  オスが食べなくなってしまって、亡くなってしまった。  母もワンワン泣きました。   母は仕事から帰って来る時にハイヒールを脱いで帰ってきたそうで、僕が誰かにとられてしまうのではないかと思ったそうです。   動物の母親と同じようでした。  カナリヤのオスが食べなくなって寂しくて死んでしまって、寂しくても死んでしまう事があるんだなと思いました。  

死んでしまうかもしれない動物が助かるともっと大事になります。  野生動物が消滅しないように守ることが、自分たちを守ることにつながるんだと思います。  もっと勉強してほしいと思います、それが人間という生物の未来の保証でもあるわけです。  動物に癒しを求めるのではなくて、動物を癒してあげる自分を育ててあげる。  彼らが求めているのは愛情と生きてゆくための糧なんです。  一方的に可愛いと撫でまわすだけではなくて、命自体を愛せる人になってほしい。  どこを撫でたらいいですか、ではなくて彼らも必死に生きているのだから彼らの要求を満たして生命の保証を与える、それが彼らが求めていることであると思います。  すべてをひっくるめたことが動物を飼う行為である。  たまには動物に関する本を読んでいただきたい。  命そのものに向き合っている自分を育ててみるという風に僕は思います。