堀ちえみ(歌手・タレント) ・舌がんを乗り越え、もう一度ステージへ
堀さんは大阪府の出身で芸能プロダクションのタレントスカウトキャラバンで優勝し、1982年『潮風の少女/メルシ・ボク』でデビュー、アイドル歌手の仲間入りをしました。 1983年に出演したテレビドラマ『スチュワーデス物語』が大ヒットし、劇中での「教官」、「ドジでのろまな亀」のセリフは流行語にもなりました。 その後『リ・ボ・ン』などのヒット曲を出し、歌手、女優、タレントとして活躍、しかし30代以降この20年間はたびたび大きな病気に見舞われました。 そして2年前2019年にはステージ4の舌癌が見つかり、舌の6割とリンパ節を切除し、太ももの組織を移植して舌を再現するという大手術を行いました。 手術は成功し現在は再びステージで歌う事を目標にリハビリを続けています。 闘病を支えたのは何だったのか、伺いました。
術後は薬でコントロールしてそんなに痛みを感じたという事はなかったと思います。 舌は噛んだものを束ねて喉の奥に持ってゆくという役割がありますが、太ももの組織を移植して血管は繋いたんですが、神経、筋肉は繋いでないので、残っている舌、舌根を動かしてもその部分は動かないんです。 残っている舌で言葉を発して、噛んだものを束ねて喉の奥に持っていって飲み込むという事をやっています。 再現したほうの舌を皮弁と言いますが、最初は大きめになっていて段々薄くなってゆくことを逆算して大きめに作ってあるので、口のなかに肉の塊があるような状態でしたが、薄くなっていって、今の形までになりました。 言葉の練習を一音ずつしていきました。 単語、文章と進めて行きました。 今でもやっています。 筆談の時期もありました。
2019年2月末に手術をしましたが、治らない口内炎が2018年のゴールデンウイーク当たり辺りからなんかできてると思いました。 激痛になったり痛みが引いてゆくことを繰り返していました。 食べても痛いし、水でさえも沁みて痛い、風が当たっても痛いという事になり、スマホで調べたら舌癌でステージ4、リンパ転移後に死亡という画像を見て、翌日すぐに大学病院に行く事になりました。 生存率も高いという事で、手術をする事になりました。 難病、リュウマチと戦ってきて、そのあとの癌でした。 人生を全うしてもういいかなと思いましたが、16歳の娘が泣いて「 お母さんに生きていて欲しい」と言われて、まだ娘は私を必要としているんだなと思って、生きる方法を選択しなければいけないと思い手術をしました。
麻酔から覚めた時には「あ、生きていた」と思いました。 退院前に食道癌が見つかり、二回目のがん告知の方が打ちのめされたような気持になりました。 癌の恐ろしさを改めて感じました。 落ち込んでいた私に主人が「ラッキーだったな。」というんです。 「もし舌癌になっていなかったら食道がんはみつからなかった。 だからよかったんだ。」と言われました。 すべてプラスの方向にとって行けば悪い方にはいかないんだと思えました。
芸能活動は無理だと思いました。 言葉のリハビリも一進一退でした。 娘が「 ファンの人が待っているからお母さんは歌わなければ駄目。」と言いました。 リハビリを頑張って何としてもステージに立たないといけない、と思いました。 34歳の時に原因のわからない重症急性膵炎(膵臓の病気)になって、48歳の時には特発性大腿骨頭壊死症、リュウマチ、これも全部痛い病気でした。 リュウマチは天気、気温、季節、体調によって痛みが激しく陰湿な痛みです。
祖父に大事に育てられ、「運のいい星の下で生まれてきたんだよ」と、育ててくれて、私は運がいいから乗り越えられる、チャンスに変えられるというような、根本的な私の性格を築いてくれたのは祖父で、それを引き継いでくれたのが主人です。 後ろからお尻を叩いてくれるのが娘です。
ブログを手術前後以外ははぼ毎日更新しています。 病気を公表してから頑張れというような内容を物凄くいろんな言葉でブログにコメントを頂き、それを励みに頑張ってこれたという事があったので、ブログは絶対更新し続けて行こうと思いました。 病気で苦しんでいる人、病気と闘っている人が世の中にはたくさんいて、頑張っていることを知った時に、頑張ったら大丈夫だとか、あきらめないで夢を持っていたら必ず叶うんだとか、そういうことを発信していけたらいいなと、私は生きていますという事をブログで発信しています。
2022年3月でデビュー40周年になるので、歌詞を読むところから始めて、やっと曲に乗って歌えるようになったのに1年かかりました。 一曲ずつ一曲ずつ練習して3,4曲歌えるようになりました。 20曲ぐらい歌えるように目標にして、40周年記念ライブを実現させてファンの皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。