武田宗典(能楽師シテ方) ・【にっぽんの音】
1978年生まれ、日本の伝統文化を皆さんに本質を失うことなく判り易く伝え、次世代に繋げ、国内外に発信するプロジェクト「EXTRAD」の中心メンバー。 試作能「桃太郎」を上演。
能は歌いと舞いを中心とした歌舞(ミュージカル)の仕立てで、まじめな話を1時間~1時間半とか長い時間をかけて上演する。 狂言はセリフとかテンポのいい動きを中心にいわゆるコメディーを20~30分で収まる作品が大半ですが、同じ能舞台で演じられて、能と狂言は交互に演じられるというのが昔からのスタイルです。 能五番に狂言四番という風に上演され、兄弟の様な関係です。 能を上演するのにはシテ方、ワキ方、狂言方、囃子方の4つのグループで構成されている。 狂言だけをやる場合にはシテ方、ワキ方は出てこない、狂言方だけ出てくる。 能で出てくる狂言方は能の話は難解なので、判りやすい言葉で解説する役割があって、そのほかにシテ方とかの物語にしっかり絡んでくる時には、ちょっとコメディー的な役割を能の中に加えるような役割もあります。
シテ方は5流あり、観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流の流派があります。 もともとは奈良の出になります。 観世流、宝生流が京都、金春流、金剛流が奈良というところです。
武田家の元々の出は福井です。 私の(武田宗典)曽祖父が養子に行って、武田を名乗っていて東京の観世流宗家のところに面倒を見ていただく形になった時に武田の名前をそちらでも名乗りなさいという事になりました。 祖父が凄く頑張って、その後の父とか家系の人たちが能の世界に多くいます。 2歳11か月で「鞍馬天狗」のお稚児さん役をやりましたが、全く記憶がないです。 10歳で初シテ、能面は付けずに童話っぽい話ですが長い舞いを舞わなければいけなかった。 初おもては15歳でした。 10歳から20歳までが自分の根っこを作っているような気がします。
狂言方だと25歳までに「釣狐」をやりなさいということで、「釣狐」をやったらその道としてのスタートを切るというような形です。
シテ方だと「道成寺」はほとんど30歳を過ぎてからになります。 「道成寺」のことを修行過程の卒業論文と言われています。 紀州道成寺に伝わる、安珍・清姫伝説に取材した能楽作品。(後日談) 有名な一場面、白拍子は舞を舞い歌を歌い、隙をみて梵鐘の中に飛び込む。すると鐘は音を立てて落ち、祈祷によって持ち上がった鐘の中から現れたのは白拍子が蛇体に変化した姿であった。 梵鐘の中は秘事になっています。
試作能「桃太郎」 歌いも節をつけて全部つくりました。 初めて作る能だったし、お客様にどう評価してもらえるのかを探りたいという意味もあって試作能としました。 正義って、悪があるから成り立つんだなあと、「桃太郎」はよく出来ていると思います。 主役を鬼にするという事ですが、能のなかのルールとして非人間の役(鬼、草花、幽霊など)はシテが担当であると、桃太郎は現実に生きている人間ということでワキになります。猿、犬、雉は間狂言(あいきょうげん)。 動物を演じることも狂言の役割。 鬼も100%悪ではなく、鬼の道理も感じて欲しいと思います。
小学校2年生の頃母が、私と妹を連れて宝塚歌劇を見に行っていて、影響を受けて、いろんなものを見るようになって、大学ではミュージカルのサークルに入って演出をやったりしました。 演劇の勉強が出来て、結果的には能に生きています。
日本の音とは、竹の音、装束の衣擦れの音、心を沈める音だと思って、我々にとっては集中力が高まる瞬間の音だと思います。
能を初めて見に来る時に、見た時に何か理解しなければいけないんじゃないかとか、見たら寝ちゃうんじゃないかとか、この二つを取り払うだけで凄く見るのが楽になります。 能の一番の効果は無意識下に働きかけるという事が能の一番の効果なんです。 心と身体を元気にしてくれます。 興味をもって段々理解してくるとはまって来ると思います。 能の文化は一期一会だと思います。