穂村弘(歌人) ・【ほむほむのふむふむ】
昔は文学の特権性みたいなものがあったし、そう書いたからそう思ってる、そうだったら推理小説などは書けなくなっちゃいます。 書いたからと言って人を殺したいわけではない。 でもそれが通用しにくいムードがあるという話を対談で話をしました。
今年の「ほむほむ」賞は浅野久元さんの作品。 *「砂糖きびおやつ代わりにかじる僕母の姿は畑の彼方」そのほか23首入選作としました。 「食べ物」というテーマは面白くてなんか思い出とつながっているんですね。
*「幸せの旋律なのだせんべいをバリリバリボリポリポリ食べる」 森本直子
音が面白い、最初バリリ 大きくかじったところ、バリボリは大きい欠片が口の中にあって、段々ポリポリと小さくなってゆく。 音の表現に工夫があって良いなあと思いました。
*「行き帰り偶然同じタクシーで運転手さんがくれたみたらし」 ゆうかりん みたらし団子、そっと渡すところがリアルな感じ。 実体験に基づいた歌の強さがあります。
*「一人ずつアクリル板で囲まれて一口上げることができない」 なみすけ 自分(穂村)なども何十年もやってきた動作なので、アクリル板があることを忘れてしまう。 10年後ぐらいにこの歌を見た時にあーあのころそうだったと思うようなタイプの歌かなあと思います。 歌には時代を詠む役割もある。 短歌には事務的な文章では伝わらない生々しさがある。
*「給食を残し育てた雑種犬僕らの基地をあの日去りけり」 石井秀行 昭和的ノスタルジーを感じる。 少年の時の思い出みたいな、普遍性のある光景のような感じがします。 少年の温かいものを感じます。
*「馴れ寿司を好む家系に嫁ぎきて未だ馴染めず末席に着く」 片岡美枝子 或る時代の嫁のポジションの悲しみが見られる。 馴れ寿司は癖のある寿司。 「馴れ寿司」と「馴染めず」が同じ字で使われているが、全く違った意味で使われている。
*「背を丸め野のハコベ摘む老いの母終戦の夜の一品にとぞ」 浜中富蔵 戦争の時代は今とは食べ物の位置づけが違って、切実感があるので心に刻まれ方が深い感じがします。
*「隠したよ食べられなくて椎茸は牛乳のビニールの蓋に」 しまみけ 「牛乳のビニールの蓋に」というのがリアルで可笑しい。 子供なりに切実だったんでしょうね。 ピーマンとかネギとか或る時から急においしくなったりする。
*「アニメ見てパンに卵を乗せたけどやっぱりただのパンと卵か」 二体のモアイ像 テレビや本でやたらとおいしそうに見えるときがありますね。 やってっ見るとそうではなかったり。
*「敗戦後初めて食べたまくわうり水に冷やして家族五人と」 中村純子 戦争が終わた後の食べ物の歌。 「水に冷やして家族五人と」というところに重みを感じます。
*「口々に食べたき料理言いあいて声だけ元気な午後の病室」 山下恵子 これも光景が目に浮かびます。 過去に関する食べ物が多いが、これは未来のこれが食べたいというベクトルが違う、そこも新鮮な感じがします。
*「寒い朝母が手のひら塩付けてむすんだオカラうまいうまいと」 しょうれん お米がなくて代用のオカラ、でもうまいという思い出の味。
*「亡き母のほうば寿司思い高鋏積み初夏山道葉を取りに行く」 しいちゃん 料理の起点、「葉を取りに行く」 お母さんの思い出につながる料理が始まっている。
*「鍋二つ別々に茹でタイミング合わせて食べるうどんの硬さ」 よねちゃん 硬さの違いをタイミング合わせて食べる、ディテールが細かに描写されている。
*「六月は何もかけないところてんいまにも雨の降る味がする」 北山文子 これは食べものを詠いつつ季節の歌かなあと思います。 六月というのは何もかけないところてんのようなもので、それはあまりおいしくなさそうで、水を食べているようで、季節感を結びつけたところが感覚の鋭い歌というそういった感じがしました。
リスナーからの作品
*「食べかけの奈良漬け消えて見渡せば益子で買ったお皿の縁に」 徳淵哲也 何となくこんなことがありますよね。 保護色みたいになっていてお皿の縁に見つかる。
*「用あって宇宙へ行くという頑固者を駅で見送り夢でよかった」 緒方千賀子 妙にリアルなんですね。 夢の中では止められなかったが、夢でよかった。
*「この人が信号無視しそうなとこでドキュメントはフェードアウトす」 横山ひろ子 不安な予測をして、だからここでフェードアウトしたんじゃないかという奇妙な歌ですね。 人間の心の怖さみたいなものを感じます。
*印の歌および氏名については、かな、漢字など間違っている可能性があります。