堀内賢雄(声優) ・【時代を創った声】
63歳、アニメやゲームの出演はもちろん、主にブラッド・ピット、チャーリー・シーンなどといった俳優たちの吹き替えで知られています。 声優人生はDJからスタートしたという堀内さんに伺いました。
印象に残っている俳優としては、コリン・ファースの「英国王のスピーチ」という映画でアカデミー主演男優賞を受賞していますが、吃音であがり症でスピーチが苦手な人が国王になって、演説をうまくするため日々努力するが物凄く苦労するわけです。 これは僕にとっては相当練習して、これが分岐点になった作品です。
ブラッド・ピットは「マリアンヌ」という作品でモロッコを舞台にした映画です。 もしかして敵国のスパイと結婚してしまったのではないかという、常にそれを持ちながら衝撃のラストに行きますが、寡黙で渋みもあってとってもいい演技をしていて、それが僕にとっても印象的でした。
吹き替えって、家でTVを見ないでいて、吹き替え映画をやっていると思われたら駄目で、もっとリアルにやれと言われました。 なりきるんだといわれました。
人間としてもいろんなことを磨いてゆくものなのかなと思います。 それと作品に愛情持つことなのかもしれません。
どうやったら自分の台詞にできるのということは、40年やっていると意外にできてきますが、はじめのうちは飲み込まれてしまいます。
中学は野球をやっていて、ピッチャー、4番、キャプテンで、野球推薦で日本大学三島高等学校に入学して、高校2年で身体を壊して、逗子開成高等学校に転校しました。
小学生時代に朗読を褒められたことから高校卒業後にはDJになることを目指しました。 DJやったり司会をしてたりしていました。
或るプロデューサーから芝居をやってみるのはどうかと言われて、運命の人のたてかべ和也さんに出会うことになります。 オーディションをやらしていただいて、劇団に入れていただいて芝居の勉強をしました。 デビュー作が1983年の特撮番組『アンドロメロス』のアンドロウルフ役でした。 何をしゃべってもうまくいかず毎回居残り練習の連続でした。 何作も居残りをして、委縮してしまいましたが、とにかく役者さんたちの仲間に入りたいという思いはありました。
洋画で主役に抜擢されるようになって、当時吹き替えは大変なブームになりました。 新劇の人たちと飲む機会があり、励ましてもらいました。 たてかべさんに認められたのはうれしかったです。
3作目に悪役を担当しましたが、笑う場面でなかなか出来ませんでした。 笑いの特訓をしました。 次の本番の時には出来まして、周りから拍手が起きましたが、ある役者さんから「金貰っていて拍手を受けるなんて恥ずかしいと思え」と言われて、まったくその通りだと思いました。 悔しかったです。 本当に自分の中から笑いがこみあげてこないと駄目と言う事です。
アニメの場合は過剰に表現していかなくては行けなくて、こんなにやっちゃっていいのかなと思う時があります。 ゲームは洋画に近いような気もします。
最近の若い人は骨太の声の人が凄く少なくてみんな柔らかいですね。 「七人の侍」とか昔の人はみんな骨太です。
2002年に養成所を立ち上げる。 たてかべさんから「恩の順送り」という事は言われていて、ワークショップを作って、若い人達を見て養成所を立ち上げようと思いました。 20年目になります。
若い人たちへのアドバイスとしては、タレント性が重要とされてきているが、芝居好きで声優を目指してくださいと言いたいです。 運はなかなか来ないのでいろんなものを磨いて欲しいです。