2021年1月24日日曜日

温又柔(作家)              ・「ふつう」って何だろう

 温又柔(作家)              ・「ふつう」って何だろう

台湾出身40歳、台湾人の両親と共に3歳で日本に移住、日本の学校で学び日本の大学院を卒業しました。   2017年小説「真ん中のこどもたち」で第157回芥川龍之介賞候補になりました。  最新の小説『魯肉飯のさえずり』で2020年第37回織田作之助賞を受賞するなど近年注目の作家です。   温さんの作品は日本語を中心に書かれ、そこに時折台湾語、中国語が混じり合うという多言語の文体が特徴です。   台湾と日本、中国といった多文化にルーツを持つ主人公が、自分はいったい何者なのかを悩みながらも居場所を見つけようと、葛藤する姿を通じ普通とは一体何かを問い続けています。

温又柔(おん ゆうじゅう)の名前は父親が付けてくれました。  3歳で日本に移住してきて、幼稚園の頃はへんてこな名前だなあと思っていました。   

日本語は日本語とはっきり線を引くべきと思っていましたが、ノイズ的な部分を放り込んだほうが私が生きてきた言語感覚のリアリティーを示せるかなあと思って、こういう文体にたどり着いたと思います。

『台湾生まれ 日本語育ち』のエッセーから「ママ語の正体」の一部を朗読。

(母の言葉は中国語でもなく、日本語でもなく、台湾語でもなく全部なんとなく入り混じっているもので、ママの言葉をママ語にしてしまおうと思って名付けました。)

「どうしてママは普通のお母さんみたいに普通の日本語をしゃべらないの。   ・・・思いのたけを母に向かってぶつけたことがあった。  ・・・母はしーんと黙り込んだ。・・・あれから10何年かが経った。・・・大人になった娘たちにママの日本語を言っても直らないんだもん、という母に私は言う。  気にしないでよ、ママはそのままのほうがいいもん。・・・台湾語、中国語が混じっている、それを知った私は母の日本語を興味深いと感じるようになった。  ・・・そうしたまま後の数々はややもすると日本語だけでものを思い考えてしまう私にとって、凝り固まった頭を心地よく解きほぐしてくれる効果がある。・・・ママの日本語は素晴らしい。・・・」

お母さんは何人(なにじん)といわれたりしていて、説明することが面倒で、他の子と違う自分が普通ではないということが一時期嫌でした。   日本人に同化してゆこうとしていた子供時代はありました。

中国語を学ぼうと思って上海に学生時代ちょっと留学しましたが、難しかったです。  

今の日本は私の時と違って外国に縁のある方々が増えていると思うが、異言語をしゃべる人とか別の文化を持つ人を異物化する風潮が強まっている気がします。

私の場合は日本人っぽく無くても、台湾人っぽいところがあってもそれは私なんだと思えるきっかけがあったし、思わせてくれる友達、大人にも恵まれましたが、同じような環境の中でそういうことを感じさせてもらえない子たちが、どんなん寂しい思いをしているのかという事を想像すると、あなたたちはあなたたちのままでいいんだよという事を、何とか伝えてあげたという事はここ数年感じています。

純粋な日本みたいなことを求めてしまう人が、最近増えているような気がします。  今の日本は国の力が弱まっているので、自分を誇るためには何かこう理由を作らなければいけない、国は、うちの文化は素晴らしんだと、敢えて主張しなければいけないような空気があるような気がしています。    日本を誇るために日本ではない人達を、自分たちより下に見る環境も進んでいるような気がして寂しいなという気がします。

誰が敷いたわけでもない普通に自ら縛られて行って、先ず普通を破ろうよと、世の中で普通のお母さんになろうとして、実はそういうお母さんは幻想なのではないかと思うんです。  それぞれのいびつとか、それぞれのはみ出し方みたいなものを、みんなが「それもあるよね」というように日本がもっと包容力を強くして行ったら、みんなもっと幸せになれると思います。

もっと気軽に言い合えるような仲間を作ったり、連帯してゆくことで社会全体にとっていい変化が起きるのではないかと信じたいところです。

ある候補になった小説のある選考委員から「これは当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって同調しにくい。  そう言う問題も起こるであろうという程度で、他人事を延々と読まされて退屈だった。」というコメントがありました。   この人個人であったならそうではなかったが、主語が日本人でしたので、看過できないと思い、あなたにとっては対岸に見えるけれど、この炎は足元で燃えているものだよと、いう事を言ったら、凄く注目されて小説の評価を越えて賛否両論でした。

複雑なルーツをかかえこみながら、自分は普通ではないと悩んでいる人たちにとって、ここにいてもいいんだよと言ってあげられるものを作りたいし、圧力を投げ続ける人たちに対しては、いやいやあなたたちの普通こそ盤石だとは思うなよと、この両方をやっていかなければいけない、という覚悟になりました。   自ら率先してノイズを立てていきたいと思う様になりました。

台湾はもともと非常に複雑なところだと思いますが、日本人にとってはなんとなく優しくて懐かしくて受け入れてもらえる場所という印象がありますが、一部には台湾は俺たちを受け入れていて当たり前だみたいに思っている人がたまにいますが、不安になることがあり、台湾はもっと複雑ですよという事を言い続けたいです。  宗主国と植民地といった歴史を度外視して、日本人と台湾人は仲良しだったという風に思い込むのは失礼ではないかと思います。

コロナ禍で不安感が広がっていると思います。  みんなが持っている不安を、連帯して協力して乗り越えるべきを、なにか蹴落とし大会みたいになってしまっていることが怖いと思います。   違うものを認める余裕のない日本の社会の希薄なところに、自分もいつどうなるかわからない怖さ、不安を他人も抱いているからこそ、思い遣りを持てるようになったらいいなあと思います。