武田鉄矢(歌手・俳優) ・終活よりも学びを
72歳、60代半ばから合気道を始める。 気力の衰えを感じていました。 長い間言葉の商売をしてきていましたが、哲学の先生であり合気道の達人で、その人の言葉に惹かれていたが、合気道をやらないと判らないと思いました。 先生役を長くやってきて、教える側のことが身についてしまって、もう一度教わる方に回ると、世界が広々と見えて来て、いろんなことを教わろうと思いました。 絵、俳句、又英語で日記を書くとか始めました。
合気道の先生は内田樹(たつる)さんで、学びの本質は知っていることを応用したという事ではなく、まったく知らないんだけれど何故か知ってしまっている、どうしていいのか判らないのにどうかするために身体が動いている、それが学ぶ為の実は目指すところではないですかと言われると、魅了されて、頭の中が走るんです。
内田先生は司馬遼太郎を批判していましたが、坂本龍馬や勝海舟はかっこいいと思うが、彼らに比べて東条英機、板垣征四郎、石原莞爾など昭和維新の軍人たちはかっこ悪いと思うが、知識量を比べてみると、昭和の軍人たちのほうがはるかに優れている、世界の情報を握っていたわけだから。 「両者の違いは学びの姿勢」とおっしゃっています。
「日本人は学びの姿勢にある時、最強である」、この言葉はショックでした。 「教えてやろうとする時、日本人ぐらいずさんな教え方をする国民はいないんじゃないか」そうすると物凄く胸に迫ります。
学ぶ側の人間でありたいという思いが60代から急激にこみ上げてきました。 若い人でも先生と呼ぶとその人の何気ない言葉が自分の中に立ち起こるというか、皆さんに薦めたい。
合気道は言葉使いが変です。 その変さがたまらなく武道なんです。 技の極意の説明が不思議な言葉で説明します。 相手の腕をねじり上げて持ち上げる動きの時に、自分の腕時計を見るように手を挙げてゆくとか、ほかに他の技の説明で、花咲じじいが木の上から桜の花をのぞむように持っていきなさいとか、違う物語の形容を持ってくる、のどかな言葉をあえて使う。 相手が引くのなら相手に引かれてあげなさいよという、反抗しない武道は初めてでした。 相手がプラスならマイナスになってあげなさいよ、という感じです。 頭を下げることを習慣にすると、トラブルは起きませんね、頭を下げることが護身術のうちに入っているんですね。
奥さんから何かいわれたら、直ぐにやり直す、軽快な腰さばきは合気道のたまものだと思います。
「老いと学びの極意 団塊世代の人生ノート」 昨年末出版。
「幸福の黄色いハンカチ」で高倉健さんとご一緒して、監督は山田洋次さんで、下痢で草むらに座るシーンがありますが、現場で一番しごかれたシーンで、自分としては面白くやろうみたいに考えていましたが、下痢をすることは君にとっては悲劇なんだと、悲しさが出ないと駄目なんだといわれました。 ちゃんと心理を作らないといけないといわれました。 しごかれてしょげかえっていると、健さんが肩を叩いてくれて「お前 あの監督さんの評判知らないだろ、 あの人は伸びない奴しごかないらしいよ」と言って励ましてくれて、涙が出ました。 試写会のセレモニーに妻を呼んだが遅くきて、妻を高倉健さんに紹介したら、深々と頭を下げて「今度の撮影では武田君に色々お世話になりました高倉健と言います。 どうもありがとうございました。」と言ってお辞儀されて、妻はいまだに言いますが「人生で一番幸せだった」というんです。
先生役をやるようになりましたが、どこかで「幸福の黄色いハンカチ」でのことの影響がありました。
教えるためには学ばねばという事があることはありましたね。
細やかなことでも感動して生きていきましょう、あんまり遠くを見ては駄目です。
不幸の時には遠いいところを見ないで、例えば地震で壊れた建物の瓦礫のレンガを、今日このレンガを何個片付けようと細やかな目的が、やがて大きな夢が実現することになると思います。
侍が最も軽蔑したのが驚くことで、驚きすぎると身体が動かなくなってしまう、驚かない静かな心をキープするためには、毎日小さく驚くことと内田さんは言っています。 大変な事態が起こってもさして驚かない習慣がついてくるんです。
母親から言われた言葉で「人間死んでゆくとき、死んでゆくという元気がないと駄目だ」と言われました。 最後人間を支えるのは好奇心ではないかと思います。 生涯「判った」といわない「判らない」と言っているうちが人生いい時ではないかと思います。