宇梶静江(古布絵作家) ・【人生の道しるべ】今こそ、アイヌの心を伝えたい
昭和8年北海道浦河町出身、87歳。 23歳で上京し東京で暮らしていた宇梶さんは、昭和48年40歳の時に「東京ウタリ会」を立ち上げ、20年余りにわたってアイヌ民族の権利獲得のための活動を続けました。 60歳を過ぎてから古布絵というオリジナルの技法を生み出し作品を作るようになります。 古布絵は生活の中で使ってきた古い布をパッチワークのように縫い合わせ、さらにアイヌ文様刺繍も組み合わせてアイヌの物語を描いたものです。 去年2020年に出版した自伝大地よ! 〔アイヌの母神、宇梶静江自伝〕では後藤新平賞を受賞、宇梶さんのこれまでの歩みは現代文明に対する厳しい批判、今の限界を乗り越えるものを持っていると評されました。 アイヌ文化伝承者で古布絵作家の宇梶さんが、アイヌとして今伝えたい思いを話していただきました。
孫が4人でひ孫が5人になります。 3月で88歳になります。
自伝「大地を」で後藤新平賞を受賞。 民族衣装を着て授賞式に行きました。 この本は442ページになります。 3年かかって書き上げました。 囲炉裏の火を見ながら昔話、なぞなぞ、動物の物語をみんなシーンとして子供たちは聞くんですね。
幼少期は貧しくて和人からの差別も子供のころからありました。 文字を持った人たちと語るという文字を持たなかった民族が一方的に明治政府によって文化がひっくり返されてしまうわけです。 失ったものは食べ物から仕事から全部取られてしまった中で、私たちは生きる力をそがれていきました。 病気になったりするとお金の経済で成り立っている和人の社会では、私たちは貧しく落ちてゆくだけ命を落としてゆくだけ、そういうのを子どもの時から見てきているわけです。
アイヌ民族は元々狩猟民族で自然と主に暮らしていたが、明治政府によって仕事も奪われ、アイヌ語、文化も奪われてしまいました。 親のいない子が厳しい寒さの中、亡くなって行ったり、歳をとった人が病気になって医者にかかるお金が無くて仕方なく亡くなってゆく、仕方ない、仕方ないという言葉、諦めのことをいやっというほど聞いて育ちました。
魚とか野菜とか神様が食べ物を与えてくれたのに、全部禁止されて、牢屋に入れられるのが嫌だから魚を獲りに行ったりできない。 私はまつげが濃くっていじめられる、和人の子は薄いんです。 鏡を見てまつげを鋏で切ったんです。 姉が母親に告げましたが、母親は黙っていました。 そういう傷つけられたことは沢山ありました。 アイヌ同士で結婚するとまた同じアイヌでいじめられると、子供の頃の思いができてしまって避けあうんです。 和人と結婚すると毛深くない子が生まれるとか、私も勘違いして私もアイヌが嫌いになった。 アイヌの道具がいっぱいありましたが、全部私が無くしてしまいました。
中学に行かずに親を助けて、20歳で札幌の中学に進学、3年間かけて23歳で卒業。 入院中の父を説得して2万円というお金も調達してもらって3月17日東京に行きました。 27歳で結婚しましたが、アイヌであることは封印していました。
1972年38歳の時に朝日新聞に「ウタリたちよ手をつなごう」という同胞への呼びかけの文章を投稿しました。
「・・・私たち種族は北海道の大自然の中にありましたが、他面実に様々な差別の元に苦しんでまいりました。 いまだに就職や結婚問題などで数えればきりがありません。 差別は我々アイヌ系に限られるものだけではないでしょう。・・・実に多くの差別があります。・・・アイヌだからという事で独特の差別をされたのはなんであったのか、見詰められるのなら、その差別されたことによる苦しみの真の原因を捉えられるのではないか、それには同朋との親睦を深めあい、共に語り合えるならならばと望みを託して筆を執りました。・・・」 心を火だるまにしないとできなかった。
纏まらなかったり、5,10、20年と経っていきました。 勇気が足りないという事が悔しかった。 カムイ 神様が好きでした。 神様しか頼れなかったのかもしれません。 勇気を出したかった。 なんで頑張ってきたのか判りませんでした。 60歳ぐらいになった時にもう一回アイヌの刺繍の着物を身に付けようと、私は自分を生きると決めました。 62歳の時に新宿で北海道展があり、ふっと「私は北海道にアイヌの刺繍を習いに行きたい」と言葉が出てしまいました。
デパートで古い布展があるという事を聞いて、行ったら、布絵を見ましたが、身体が宙に浮くような衝動を受けました。 子供の頃絵を描いたりして過ごしていましたので、それと一緒になりました。 何を作ろうかと一晩眠れませんでした。 シマフクロウの写真集を買いました。 シマフクロウの絵を作りました。 目が赤いのは政府にアイヌがここにいるよ、あんたたち見えないのかというメッセージです。
その後いろんな作品に取り組み、その分身体がボロボロになってしまいました。 ぼろ布の色彩をいただいて絵にするわけです。
2011年、古布絵が評価されて吉川英治文化賞を受賞。 貰うたびに怖いです、次元が違い過ぎて怖いです。 語りましょう、あなたから出る言葉からあなたを幸せにすることも出来るし、民族を救う事も出来るし、周りの人にも認めてもらえることなんだよと、いう事を残したいです。 語ることが財産だと思います。 語ることで文化とか生きる力が生み出されれます。 自分の幸せを生み出す力を生み出します。 大地と向き合って学んで行く、大地こそが先生、哲学者だと思います。 大地は神様だと思います。
人間だから人間らしく生きていきたい。
宇梶さんの詩
語りましょう。
民族、人として、人とはどうあるべきかを民族に自負をもって
理解ある和人の友達、あるいは世界の先住民族に向かって、
いわれなき差別と闘っている友達に向かって
先ず人間、アイヌを語りましょう。
そして正義を培い、森羅万象と共に生きる命たちを抱きしめて
傷みを癒し愛しあいましょう。
アイヌ民族の祖先たちが残してくださった営みを取り戻し
民族に適した仕事の復活を図り、分け合って生きる。
生きる事を楽しむ、追い詰め合わない。