石岡ヒロ子(聖フランシスコ病院 シスター)・『生』と『死』を見つめるシスター
72歳、大学を卒業後、助産師、看護師として働いてきた石岡さんは聖フランシスコ病院で看護部長などを務めてきました。 現在は病院の宗教部の部長を務めています。 石岡さんは日々シスターとして、外来や病棟の様々な患者の心のケアを行ています。 一人一人それぞれの生や死と向き合いながら、言葉を通して患者やその家族の最後の時間に向き合い続けてきました。
朝5時35分から教会の祈りがあり、ミサがありそのあと患者さんのところに回ります。 シスターになったのは45,6年前です。(27,8歳の時)
ホスピスにはガン末期の患者の方たちが入っています。 数日の方から数か月の方まで入院しています。 薬を投与したり治療はしませんが、患者さんに寄り沿っていこう言うという形です。 旅立つ心中は計り知れないものがあると思います。
長崎で働き始めて24年になります。 病院の近くの墓地には8月の原爆の日の当日に亡くなった人の名が刻まれ、数日おきに亡くなって子供全員が亡くなった日付けが刻まれています。 両親にとってはどの子もかけがえのない子供たちだったと思います。
患者さんの旅立つ関り、というものをさせていただいていると思います。
9時から入院、亡くなった人などを調べて、その後患者さんの所に行きます。 患者さんから話をしたいという方が優先されます。 自分の人生を纏めるというような、これでよかったんだというように、静かに旅立つ人がいます。 なんで自分が、という風に怒るかたもいます。 本などから生きる力を貰う人もいますが、自然から力を貰うという人もいます。(空の雲、山の変化など)
死にたい死にたいと言っている隙間には、死にたくないという言葉があるので、ちょっとユーモアが通じるなという方には、ユーモアで返します。 客観視する手立てにはなっています。 女性だと抱き合って何人とも泣きました。 死にたいといいつつもかかわってほしいという表現している方もいます。
何か生きる力になれば、生きる杖になると思います。 男の人は仕事は生き甲斐になるという事は感じました。 奥さんが「今は大変だけど、あなたよくやった」というと随分違います。 女性の方は孫のこととか、出産のこととか思い出します。
どの方も宝を持っていて、でも埃だらけなのか、気付かない方もいると思います。 楽しかったことが一つでも思いだせたら、それは大事な宝だと思います。
昼間はお日様があり、星は見えないが、でも見えないものがいっぱいある。 「いただきます」もいい言葉だと思います。 お米も誰かが作っているし、魚も誰かが獲ってくれる。
男性の方も子供の心のようにニコニコ頑張る方がいます、やっぱり純粋だなあと思います。
看護師を続けられるのは、患者さんからいただけるものがいっぱいあるという事でしょうか。 「ありがとう」の一言であったり、笑顔であったり、ご家族からの感謝の言葉だとか、ですね。 中にはよくしてもらえなかったというような事もありますが。
ホスピスのゴール、旅立ってゆく人なりに、人生をOKして、かかわった奥さん、家族などに、「世話になった、ありがとう 先に行くな」というのが思えたら、それがOKというのが私の中にすごくあります。