2017年5月25日木曜日

窪内隆起(司馬遼太郎担当編集者) ・歴史を学ぶ意味とは

窪内隆起(司馬遼太郎担当編集者) ・歴史を学ぶ意味とは
今年は大政奉還からちょうど 150年、立役者である坂本龍馬の名が広く知られるようになるきっかけになったのは、1962年に新聞連載が始まった司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」です。
窪内さん84歳は新聞社の後輩として司馬遼太郎と出会い、編集者として 4年1300回をこえる連載を支え、担当を外れた後も司馬遼太郎と交流を続けました。
龍馬の故郷,高知で暮らす窪内さんに今なお読み継がれる作品の執筆の舞台裏や歴史を学ぶ意味について伺いました。

産経新聞の大阪本社、昭和30年入社、社会部に配属、デスクに呼ばれ天王山についての解説を15行で書くようにいわれ、「あのおっさんのところに行って聞いてこい」と言われて、文化部の福田さん(司馬遼太郎)だった。
天王山に関して30分福田さんが話してくれました。
今後歴史的な事にぶつかると、辞書代わりに聞きに行ったらいいなあと思いました。
昭和35年1月21日、NHKのニュースを見ていたら、芥川賞、直木賞のニュースをやっていて直木賞梟の城司馬遼太郎、経歴紹介があり、本名福田定一、産経新聞大阪本社文化部部長と言う紹介があり飛び起きました。
福田さんが小説を書いていることを知りませんでした。
私は2月1日付けで北陸の福井支局に転勤になりました。
知り合いがいっぱいいるから会うように言われて、道元禅師、柴田勝家、お市の方、松平慶永(春嶽)など31人ぐらい名前を挙げて福井は歴史の宝庫だからといわれました。

昭和37年6月から「竜馬がゆく」が始まる。
支社で私だけがはしゃぎまわっていました。
坂本竜馬の知名度は少なかった。
昭和28年の初め頃、支局に新聞の購読の申し込みがどんどんかかってくる。
理由は「竜馬がゆく」が読みたいからということだった。
昭和40年2月1日付けで大阪本社文化部への転勤を命じられた。
社会部から文化部への転勤は後方部隊のような感じを抱いたが、「竜馬がゆく」を担当するように言われて、がっかりしていたのが吹っ飛びました。
一番頭にあったのは長編にしたいとのことで、維新に関することを古書店に頼んだら3000冊だった。
そこで坂本竜馬のことを書こうと思ったとのことだった。
どうして略字なのかを聞いたら、歴史学者、歴史研究者でもない、竜馬の事実とは違う、フィクションでもあるので 僕の竜馬として活躍してもらいたいと思った、ということだった。

ハンガリーのスティーブン・トロク(24歳) 旧ソ連軍がハンガリーに侵入してて アメリカに亡命、そのあと京都に来て勉強して、司馬家にやってきて、僕は将来帰ってハンガリーの大統領に成るんだと喋ったそうです。
キャラクター作りにふっきれないところがあったそうで、トロク君の亡命と、竜馬の脱藩とがだぶってきて、暗い境遇にありながら将来大統領に成るというそのキャラクターを竜馬に植え付けてみたらどうだろうと云うヒントをそこで得たと言うことでした。
人柄などは半分以上はフィクションだと思います。
身分制度が厳しい時代に家老家のおたず様と竜馬が京都の茶屋で逢引をするというようなことは当然フィクションです。
ファクト(事実)とツルー(真実)で行くと、真実は「竜馬がゆく」に関して言えば、薩長同盟、大政奉還、船中八策でいえば、長編では読者がついてきてくれなければ無意味なものに成ってしまうので、読者をひきつけておかないといけない。
そうすると面白おかしく読者が逃げないようにしてフィクションで繋いでゆくしかない。

司馬さんが一番力を入れて書いた部分と云うのは、竜馬に言わせた心情、「こういう青年を神様がこの時代必要だと思って、地上に送り出してきて、いろいろ働かしたんだ」、と言うのはどうだと言っていました。
最終回の一月前ぐらいのことでした。
結末文に関しては訂正がなかった。
相当頭の中で練っていたのではないかと思う。

結末文
天に意志があるとしかこの若者の場合思えない。
天がこの国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上に下し、その使命が終わった時惜しげもなく天に召し返した。
この夜京の天は雨気が満ち、星がない、しかし時代は旋回している。
若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し開けた。

一番大事なのは誤植なしに載せることが大事で、違う漢字一字で意味が逆になるような大失態があるので、校正は20回読めと前任者から言われました。
司馬さんは文章の流れがいいので、見逃す可能性が多分にあるので、注意しないといけない。
私の担当期間中は司馬さんに対しては全くだぶりのミスなどは無かった。
司馬さんは陸軍の戦車隊の少尉で終戦前の3月前、栃木県の佐野に引き揚げてきて、米軍を迎え撃つ訓練をしていた。
軍の参謀が激励に来ていて、「戦車で対応するときに逃げて来る国民と出会ったらどうしますか?」と福田少尉が聞いた。
しばらく考えて参謀が「曳き殺して進め」といった。

こんなくだらない人間の指揮のもとに我々は戦争をしているのかとふっと湧いていた。
これまでの日本にはずっとましな人間がいて日本を作ってきたのではないか、もし戦争が終わってそういうのを書いてみようと思ったと言っていました。
70歳のときに文化勲章を頂き、その記者会見で「私の作品は22歳の自分への手紙です」、と言ったんです。
或る時かつての日本にはもっとましな人間がいて、いままで日本をつくってきたと思った、それが22歳だった。
「竜馬がゆく」から見習ってもらいたいのは、「万事観てみないとわからん」、という精神は全ての事に通じると思う。
殺害しようとして勝海舟との面会で、竜馬は話が終わった後、先生弟子にしてくださいと言っています。
戦後70年で転機を迎えており、竜馬の存在を自分の頭に置き換えて、読者が今後の生き方についていろいろ考える、自分にあてはめながら生き方を学べるのではないかと思う。