樂吉左衞門(陶芸家 樂焼十五代)・一碗は宇宙を宿す
東京の国立近代美術館で「茶碗の中の宇宙、楽家一子相伝の芸術」と言う展覧会が開かれています。
楽家は400年を越える歴史を持ち代々茶碗を作り続けてきました。
この展覧会には初代、長次郎から15代吉左衞門さん迄の作品が展示されており代々伝統に
根ざしながらもそれぞれが時代感覚を反映されつつ新しい美を創造してきた日本独自の茶碗の世界をうかがうことができます。
楽焼の茶碗は轆轤(ろくろ)を使わず、一点一点手捻り(てびねり))で作られ一つずつ炭火で焼きあげられます。
その赤や黒のモノトーンの世界は千利休のわびの世界を示しているとも言われています。
1949年生まれ、東京芸術大学で学び、1981年に吉左衞門を襲名しました。
大胆な削りを入れた彫刻的な造形は従来の楽焼の枠を乗り越えて居て、現代性を強く意識し表現したものとして高く評価されています。
東京展覧会の前にアメリカ、ロシアの展覧会を開催、好評だった。
アメリカは楽焼を知っていてアメリカは好評だったが、ロシアはアメリカ以上に好評だった。
ロシアでは12万人来ました。
日本人よりも遥かに楽焼に興味を持って見てくれた。
武道だけでなく茶の湯、日本の絵画などにも興味を持っています。
楽焼は特殊だしロシアで興味もつことはとても難しいと思っていたが、お茶の文化がロシアにあると言うことです。
ロシアは西洋に近いと思うかもしれないが、ロシアはアジアにまたがっています。
お茶はアジアが発祥で紅茶もそうですし、お茶の文化はインドで生まれて、中国の南方で生まれて広がった文化です。
ロシア人はコーヒ―よりもずっとお茶が好きです。
日本のお茶、中央アジアのお茶、中国のお茶、そういったお茶の文化が広がっていって家庭でもそれを日常的に飲んでいる。
茶の湯も活発に活動している、モスクワ大学に裏千家の支部があり、素晴らしいお手前をする。
日本人の指導者はいなくて彼らだけで運営している。
野だての会もするが、会の前売りの切符が取れないというほどで、茶の湯の興味と習慣が定着している。
又ロシア人は哲学的な人間だと云うことです。
「茶碗の中の宇宙」と言うタイトルだが、どういう宇宙なのだ、どういう世界なのだと聞いてきます。
レクチャーをしたが質問攻めにあいました。
黒茶碗に対してレクチャーしたが、黒の色が単なる色彩のバリエーションの中の黒ではなくて、その色の中に深い思想、哲学が含まれている、それがわび茶という美意識にもつながっているんですよと、話しましたが(2時間)、黒と言う色の世界について深い話をされたが、楽茶碗は赤茶碗もあります、赤についてはどういうふうに考えて居るかという質問が直ぐに来ました。
思索的な土壌のある国民なんだと思いました。
僅かな体験から推し量ることは間違いもあるかもしれないが、国によってずいぶん違うと思います。
イタリア人は感覚的な人間だと思います。
イタリア人は黒い色にどう言う意味があるかは聞きません。
黒と白のバランスは美しいとか、いろいろ色が混じっているとモダンだねとか、そういう風なとらえ方をします。
フランスはロシアとは違った意味の哲学性を持っています。(特にパリでは)
東洋と西洋、日本とヨーロッパとか、比較と言うことで、こういったことは日本人として欠けて居るとか、日本人が大切にしているのにヨーロッパ人は何も考えて居ないとか、これから先の世の中にとってどういう方向に歩んでいったらいいかとか、一番の大前提を考える時には日本の国内だけを見て居たのでは、とても見えてこないのではないかと思います。
そういう意味で西洋での体験は大きな影響力を持っていると思います。
茶碗は単なる器ですが、コーヒーカップと違うのはそこの中に人の思い、人生、喜び、悲しみ、迷い、憤りなどが込められる。
生きて居ることの心の動き、そういうものが茶碗の中に込められる、そういうものは世界にないと思います。
茶の湯の文化はそこに深い哲学、人生観、自然観、他者とのかかわり、生きる喜びなどが込められていることが大切な事で、世界で類例のないことだと思います。
心の宇宙だと思います。
初代長次郎が利休の話を聞き心をくみ取って黒い茶碗、赤い茶碗を作ったが、そのまま継承すると云うことではない。
新しい心の動きがあって再び長次郎の茶碗をそっくり表現すると言うことではなくて、その心を自分でもう一度くみ取りながら、新たに時代の中で自分たちが生きて行くと言うことが、そのまま茶碗の中にあらわれて行くというのが本当の伝統の継承だと思っています、時代とともに変わってゆく。
長次郎は一番の始まりで深い思想があり、2代目3代目が新たに変化してゆく、3代目はモダンです。
最初の長次郎は重たくて深くてどっしりとした存在感があって、華やか、豪華、煌びやか、賑やかそういったものを全部そぎ落として、静かな黒い茶碗に特化して行く訳です。
本質的な静けさに到りつくのが長次郎の黒い茶碗、赤い茶碗だと思います。
歴代は常に長次郎を見続けてきたと思います、そこに自分の生き方を模索してきて、3代目が到り着いた結果はモダンになり、5代目はもう一度長次郎に戻ろうと考えて錆びた茶碗を作る。
しかし決して長次郎と同じものではなく、光沢のない鉄のさびのような黒を作り上げる。
さまざまな生き方が語られていて、そこが楽茶碗の面白いところです。
僕の中にも68年間の人生の歩み方があって、茶碗も年代とともに動いている。
楽家を継いで茶碗作りをしようとようやく決心をしたのが、27歳の時でした。
作ることは嫌いではなかったが、少々のことで継いでは自分が負けてしまうと思った。
継ぐのだったらはっきりと自分の意志で継ぎたかった。
なかなか決心がつかず、大学卒業後ローマに2年間行って、茶碗を作ろうかなと思った。
そんな時に作ったものは優しい、温かい感じのするかわいらしい小ぶりの茶碗だった。
それが変わって行くが、30年ぐらい前、30代の終わりごろに長次郎の400年忌がめぐってきて、代表的な長次郎作が集まった展覧会をした。
必ず足が止まってしまう茶碗が何椀かある。(「大黒」、「一文字」、「無一物」など)
感動がこみ上げて来て鳥肌が立ってきて、何に感動するかわからないが、そこに重なってくるイメージは長次郎であるとともに利休なんだと思って、秀吉から切腹を命じられて切腹するが、利休が死に到るさまざまな心の動き、秀吉との軋轢など全てを長次郎の茶碗は背負っていると感じました。
それが岐路になり、茶碗作りが激しくなっていった。
色彩も豊かに激しくなり、全てが激しく湧きだっていくような表現になりました。
長次郎の茶碗とは反対の方向に走ってゆきました。
1990年に東京で個展をやったときに、気に入っている茶碗が4椀ぐらいありますが、激しい茶椀のはじまりでした。
その時はさんざん批判され物議を醸しました。
ものごとは激しく燃えていることがとても大切な事だと思います。
利休は激しく燃えていた、黒い茶碗はじつは激しく燃えて居る。
黒い静かな茶碗の中に激しく燃えてる物を感じたからです。
おもてなしの心 おもてなしの心の深さを考えたときに、世の中で口にされているおもてなしとはちょっと違うなあと僕は思います。
利休さんの黒い茶碗は形、色、激しさ、個性、装飾も全てそぎ落としていって、黒い静かな茶碗にたどりついたが、秀吉と言う人物が室町時代の制度が全て崩壊して、新たな世界を作り上げようとして、政治、経済、文化も定まる。
秀吉は文化の頂点の中にさえ自分がいると、長次郎茶碗を文化の制度の中に取り入れたいと思いつづけてきたと思う。
しかし掴みとることができない、それはすべてをそぎ落としているから。
利休と言う人は激しく世の中と秀吉に黒い茶碗を突き付けて居る。
利休の茶室は窓が小さく暗い。
そこにぬっと黒い茶碗が出てきて秀吉はどう思ったか、ただまっ黒い闇と一体となるような茶碗をみて、自分では理解できない物を置かれたのではないだろうか。
多分屈辱があったと思うが、その最初の出会いのギャップは埋められることはなかったと思う。
ギャップを埋められずに死を招いて行ったという宿命を長次郎茶碗は負っている、それだけ烈しく燃えて居る、相手に対して突きつけて居る、そういう世界だと思います。
自分の中にそういうものをめらめらと燃やし続けたいと長次郎の茶碗を見て思ってきました。
又最近はちょっと変わり始めて居て、赤い色など色が抜け始めて居ます。
茶碗はすべて自分の信条なり思想なりが形になってあらわれてくるので、今まで言葉を発しすぎたので言葉を少なくしたいと思って、色が抜け始めています。