岩崎勝稔 真知子(静岡県沼津市)・里子からもらう幸せ
10年前から里親になっています。
さまざまな理由で実の親と暮せない子供の里親になっています。
上から10歳の男の子、4歳の女の子、1歳の女の子のお父さんお母さんになっていると言うことです。
去年、勝稔さんが里親になった経緯や子育ての喜びなどをまとめた本を出版しました。
74歳、68歳「今まで生きてきた中で一番幸せです」と言う本を出版。
40~50代の人たちに里親に興味を持っていただいて、引き取って育ってると言うよろこびを感じてもらえればいいかなと思っています。
3人をすでに育て終わっていて、まん中の子供が金メダルを頂いたりして、普通の親では経験できないようなことを経験させてもらっていますので、でも子育てはいつの時代でも大変な思いをしながら育てて、でも育てて良かったと思うのが子育てだと思うので、少しでも皆さんが感じていただいて里親と言うものに対して理解をしていただければいいと思っています。
敬子、恭子、佐知子 2番目が1992年バロセロナオリンピック水泳女子200m平泳ぎで金メダルを受賞。(岩崎恭子)
養子縁組の場合は2種類、裁判所で決められた手続きを終わって自分の実子として育てる。
私たちは何れは親元に帰るだろうと言うことで養育している、養育里親というものです。
養子縁組里親と、普通の養育している里親と、専門里親、親族里親、4つあります。
私たちは普通の養育している里親です。
短いと1年以内、親が養育できるようになった時点で帰す、最終的に帰れない場合は18歳
まで育てると言うことなっています。
うちにいる子の場合は3人とも生後すぐに引き受けました。
勝稔:ウンチが手についても汚いと言う感じはないです。
勝稔:私が物ごころついた時には母親は病院とか、離れとか寝たきりで、暗かった。
会話一つないような感じで、私は陰険な感じの子でした。
顔を合わしたことがほとんどなかったので、亡くなった時には悲しいと言う感じはなかったです。
5人兄弟でした。
小学校1年の時から自分で弁当を作っていきました。
遠足の時は周りは母親が作ってきたのを食べて、私は離れて食べてお昼の弁当の時間は辛かったです。(涙ながらに話す)
名古屋に冷暖房の設備の会社に就職して6年いて、沼津支店に転勤になって、妻の両親がやってた水道の仕事と関連があって妻と出会い、養子に入りました。
勝稔:40歳のときに病気になり輸血が必要になり、35人から鮮血を輸血して、身体がポカポカしてきて、何か感謝の気持ちというか、周りの人がいて助けてくれると言うか、その夜ベッドの中で「ありがとう」と泣きました。
真知子:その当時上の子が小学校2年、恭子が年中で、下が3歳ぐらいでした。
先生から話を聞いた時はこれからどうしようと思いました。
食べようと思っても口の中に入らなくて4kgぐらい体重が落ちました。
2~3カ月ぐらいの時に敗血症になり高熱が続いていつ死んでもおかしくないと言われてしまった。
上の子が水泳をやっていて選手コースに行かないかといわれて、行くことになり、恭子も行くことになりました。
勝稔:入院は半年ぐらいで、5年目でようやく良いんじゃないかと言われました。
通院しながら抗がん剤をやって、抗がん剤をやると吐き気があり、子供には心配をかけました。
弟ががんで亡くなっているので敬子は冷静に見て居たし、妻が長女だからしっかりするようにときつく言ったようです。
真知子:意外と親って、言ったことを覚えて居ないです。
1992年 バロセロナオリンピックに恭子が出場。
金メダルを取ってびっくりしました。
恭子の「今まで生きてきた中で一番幸せです」という言葉が注目されました。
勝稔:周りは喜んだが、14歳でしょう、私は喜べなかった。
真知子:水泳連盟そのものがアマとプロを分けて居た時代で、中学2年で金メダルをとった事に対してアマチュアなんだからこういうことをしてはいけないとか、学校側も中学生だと言うことをメインにしてほしいと言われたのですごくよかったと思います。
勝稔:急性白血病で多くの人に支えられてきて、自分一人ではないと言うことで、奉仕の活動、なんとかしたいと言うことで、中越地震があり最初は災害ボランティアと言うことで参加させてもらいました。
真知子:ボランティアは学生時代からやっていました。
沼津市でファミリーサポートセンターの立ち上げがあってかかわっていましたが、ファミリーサポートをやっていたが、里親をやってみないかと言われました。
登録してOKになったので施設の子さんを土日にあずかって家庭の味を味わっていただくと言うことから始まって、その後一番上の子をちょっと預かってほしいと言われて始めましたが、それが今は10年に成りました。
勝稔:うちに来た時に「ごめんな、ごめんな」と謝りました。
我々の年代の子供が産んだ子なので、私たちの世代が悪いと言えば悪い、保護されて家に来ましたが本当に可愛いです。
自分の子だと思って育てて居ます。
真知子:最初の子供の時は歳をとっていても50歳代の後半で、3人目の子は60歳代の後半で身体の衰えは感じます。
一人目の時は3時間おきにミルクを飲ませても寝られますが、3人目は自分の寝つきが悪くて体力の衰えは感じるが、寝顔を見ると可愛いんです。
勝稔:レスパイト この制度を利用して子供を里親さんに預けて自分たちが旅行に行くとか、里親さん同士が仲良くなると子供同士が仲良くなってお互いの家に行って寝泊まりしていろんな交流が生まれて来ます。
うえの男の子が18歳になるまでは生きて居たいと思いますが、その後はそれまでに実の親が子供を育てる環境になってほしいと思います。
真実告知 そう簡単なものではないと思う、理解するには相当時間がかかると思います。
真知子:実の子からは「お母さんは私たちを育てて居ることはそんなに優しくなかった」と言います。
別れはどこかで来ると言うことは常に思っていることなので、一応は覚悟はしています。
自立しなければいけないということは実の子にも言っていたが、親が手出しをすることは良くないことだと思っているのでなるべく自分でやって行ってくれればいいなあと思っています。
時々「やったの」と怒ってしまいますが。
勝稔:一般家庭の生活をさせてあげる、そういった面には注意して居ます。
カッとすることもありますが、抑えられると言うのがこの歳なんですね。
虐待とかいろいろな理由で親と暮らせない子は4万8000人ぐらいいると言われていて、里親で暮らしているのが4500~4600人ぐらいで、里親への委託率は少ない。
1/3は里親に委託したいと言うのが国の方針でもあります。
真知子:里親の認知率は低いと思います。
「里親」でネットで一番最初に出てくるのは犬と猫なんです。
生活費、委託費は国から頂けるので、ちょっと大変なところもありますが、子供って誰が見本になるかと云えば自分の親しかない。
家庭の中で育つと言うことは大事だと思います。
「里子からもらう幸せ」とは愛だと思います。
年金が減ってしまうと思われるかもしれないが、年金は下の方の支えで貰っていると思うので、逆に有難いのかなあと思います。
勝稔:この歳で子供からもらえるのは若さですか。