緒方賢一(声優・俳優) ・【時代を創った声】第15回
ゲッターロボ、コン・バトラーV等の悪役を始め忍者ハットリくんの獅子丸という犬の役などで知られています。
5年ほど前に腎盂癌を患いましたが、手術をされて去年放送された連続TV小説「とと姉ちゃん」にも俳優として出演するなど元気に活躍されて居ます。
声だけで悪役をしなければいけないので、どう本当に腹が立つようなキャラクターをやるか、心を鬼にして燃えました。
人観察ですね、そうやって自分以外の人間を表現するので、他人を研究しておかないとうまくなれない。
性格とか、キャラを狂暴にするのに、いろいろちょっと変えてやったりしています。
家は福岡の料亭でした。
後を継ごうと思ったが、炭鉱がどんどん傾いていき、街もさびれていって、ここで料理人になってもしょうがないと思っていたときに、仲間をかばったがとばっちりが来て、逃げました。(16歳ぐらい)
僕がしゃべると周りが笑うので、ひょうきんさを生かして、役者にでもなったらと思いました。
バイトしながら劇団を受けて、見事に軒並み落ちました。
東京で高校に入って2年勉強していなかったので判らず、定時制に行きました。
4年間高校で言葉のなまりを直そうと友達にチェックしてもらって言葉はよくなってきました。
劇団を受けたら軒並み落ちましたが、或る劇団の座長の奥さんが同郷だったので、補欠で入ることができました。
人との出会いは大きいですね。
劇団では難しいことをやっていて全然わからなかった。
パチンコ屋のバイトをしながら、児童劇団とのかかわりが出来て、やっていました。
パチンコの技は或る程度出来たので、何とか生活をしていました。
インスタントラーメン、フランスパンなどを沢山購入して食いつないでいきました。
児童劇団は3~4か所手伝いました。(東北地方がおおかった)
作品を面白く見せると言う工夫をしないと、子供たちの反応は厳しいです。
いろいろ話をして、工夫をし勉強しながらやりました。
ディレクターをやっていた人との出会いがあって、面白い声だからやってみないかといわれて、声の出演をさせていただきました。
洋画で「リンゲ」の庭師の役をやっていたと思いますが、四苦八苦しました。
ほとんど生の時代で、洋画で口の合わないのは当たり前でした。
アニメにかかわるようになってからちょっとした悪をやる様になって、良いじゃないかといわれて、段々親分の役をやるようになりました。
宇宙戦艦ヤマトではロボットのアナライザー、忍者ハットリくんでは獅子丸という忍者犬、人形劇では沼の河童など人間ではないキャラクターでした。
擬人化しないと絶対だめで、分析して役作りをします、そうしててどういう声の質かを決めていきます。
アナライザーも機械音だけでいいと言われたが、感情がないといけないでしょうと、多少感情も入れさせてもらいました。
獅子丸の場合は声質としてはアナライザーに似ているが、違ったキャラクターが出来上がっていきました。
とにかく擬人化しないとできない。
堀 絢子さんと子供たちとの言葉の遊びの番組にもださせてもらいました。
セリフを覚えて言わなくてはいけないし、子どもたちは遊びたがるので遊びながらやるのは大変でした。
カメラの前での動きは難しいです、動きが制約されました。
一休さんをやっていたころが一番忙しかったです、月に70本ぐらいやっていました。
収録中にスタジオが廻り始めて初めて倒れました。
新しい劇団を自分で作ってやり始めてからが忙しかったです。
25年ぐらいやって体調を崩したりしましたが、或る時おしっこすると血が混じったりして、結石だと思って公演後入院しようとおもっていたら、腎臓にがんがあったらしくて、腎臓片側をとって膀胱の半分取りました。
5年ぐらいたつが再発は無いです。
今の子たちはアニメ学校を出て事務所に所属して、仕事を貰った段階から、まんまの声でかっこよく喋るとか、成立して居る人もいるので、出来上がっているので先輩にものを聞く必要は無いと思うのかあるのかどうか、一緒に食事をしようなんて言うことはないです。
私は一緒に食べに行こうと自分から若い人を呼んで話をするようにしています。
スタジオの中でも交流は無いです、こんな状況でよく仕事が出来るなと思います。
私は作品に関わってその作品を越えたいと思う気持ちがあり、自分に対して厳しくあってほしいと思います。
「大根役者であれ」 それを発見した時に何て素晴らしいことだと思います。
歌舞伎などで大根は当たらない、すぐ下ろされるとかいわれて居た。
まず出発が真っ白で、いろんな手を加えることにより、色んな色になり味になり保存もきいて、ありとあらゆるものに対応できるという認識を持ちました。
「大根役者であれ」と言っています。
声は45年ほどやってきて、初心に戻ると言うか、ドラマにも出て経験できたので、緒方を知ってもらいたい生きざまを知ってもらいたいなあと思います。