中村仁樹(尺八演奏家) ・【にっぽんの音】
中村:34歳に成ります。
能楽師狂言方 大藏基誠:尺八界のプリンスといわれていますね、私は25歳のころは狂言界プリンスと言われていましたが、最近は呼ばれなくなりました。
吹いている姿吹き方がきれいだなと言われますね。
中村:日本舞踊は習ったこともあり、お茶も小さい頃やっていて物の扱い方の基本みたいな事は勉強しました。
尺八は道具と云うよりも楽器と言いますが、竹と言ったりもします。
尺八は乾燥しすぎると割れてしまうし、湿気を含み過ぎても普通の場所に行っても湿度の差でわれてしまうので一定にしておきたい。
海外にいっても息を吹き込んでからしまったりして大事に扱えば割れることはそうないです。
日本の音と言うと響き豊かなさわり(障り)の音ですね。
*(尺八で表現 いろんな音が立ちあがって行く)
大藏:祖父が言っていたが「あってあわすの間」狂言もお囃子に合わせて謡いをうたうときがあるが、若干ずらした方が面白いという美学があります。
中村:日本音楽の場合はそれぞれの楽器が個性的なので、それぞれソロで聞かすために発達したものでもあるので、西洋の楽器よりも主張の強い音だと思います。
尺八の一番の魅力は日本独自の風の音を表現できるところ、それがわびさびを生む。
*(尺八で表現)
こういったものを曲に盛り込んでゆく。
尺八の穴は全部で5つあります。(民謡の音階)
これは小さい穴が2つたされていてドレミファが出せます。
プラスチック、竹の材質の差 音の硬さ、抜け、響き方が違います。
プラスチックは1万円、実際にある素晴らしい楽器を型取りして作ったものなので音もいい音が鳴ります。
楽器もあらゆるメーカーの楽器も試して、そのなかにプラスチックもあったと言うことです。
尺八は40本ぐらいありますが、実際に使うのは15本で全部竹でできています。
柔らかい材質は柔らかい音が出て、硬いものは硬い音が出ます。
長さが長くなると低い音が出ます。
近くで聞くとあまり違わないが、コンサートホールなどで遠くで聞くと音が違います。
*「祈り」を演奏。
この曲は兄の結婚式のお祝いのために作った曲です。
頭の中をまっさらにして、兄を思う、故郷を思うと言うような形でピュアな気持ちを持って作ります。(作るモードにしておく)
作ったのは100曲ぐらいになります。
作曲できると言うのは一つの強みだと思っています。
機材を自分にあったものを集めたりしています。(マイクとか)
小学校3年生の時に父親が尺八を吹いていて、その時に初めて接しました。
17歳のころまでに、クラシックピアノなどをやったり、エレキギターをやったりあらゆる音楽を聞いてきていたが、日本のものは無かった。
高校のころ父の尺八で吹き始めて、お琴もやっていていました。
3年生の時に東京芸大に行こうと決めました。
大学では師匠と1対1でお稽古を週1~2回やって、音楽や普通の国語英語などの勉強をしていました。
尺八で有名な曲「鹿の遠音」が一番有名です。
尺八は1500年前ぐらいに伝わったと言われていて、「越天楽」とかの宮中の楽部の楽器の一つとして吹かれていて、そのあとで雅楽の楽器ではなくなって、また中国からお経の称名にふしをなぞるために再輸入されてきて、700年ごろと言われて居る。
普化宗(虚無僧)が吹いていた。
禅の修行の一環として尺八を吹いていたといわれる。
法具として使われていた。
*「鹿の遠音」 (本来20分以上かかる。)
秋深い山奥で鹿と鹿同士が呼び合う様子を描いた曲。
江戸時代中期の頃の作品で口伝だったが明治期に普化宗が廃宗になったので残そうと言うことになり譜面に書き残しました。
いろんなところで僕の曲が僕の演奏で、流れるようになってくれればいいなあと思います。